巷に知れ渡っていなくとも、才能に溢れた人間が存在することを、久しぶりに実感しました。漫画家・小説家黒谷知也(くろや ともや)氏のことです。
 僕は、kindle Unlimitedといって毎月一定の金額で、一定の範囲の書籍が読み放題になるサブスクに入っているのですが、この黒谷知也氏はそこで初めて知りました。おそらく、ですが、黒谷氏の作品はネットでしが読むことができません(唯一「三護さんのガレージセール」という作品だけが書籍として販売されているようです)。


 黒岩氏の作品の特徴・魅力を表現するのはとても難しいのですが、まず絵がとてもユニークです。女性が主人公であることが多いのですが、不思議に口が描かれず、また、眼鏡をかけていることが多いため表情がよくわかりません。しかも、各コマの背景には黒い斜線が多く引かれているため、一貫して暗い雰囲気があります。


 ストーリ-に至っては、とにかく幻想的・摩訶不思議・不合理、起承転結の希薄さ。何といって表現してよいのかさっぱりわかりません。1頁で終わるショート・ショートもあれば、それなりな長編もあります(但し何巻も続くようなものはありません)。
 例えば、「浮力の本」という黒谷氏にしては長編の作品がありますが、何の説明もなく唐突に「高貴な者は生まれながらに体内に崇高な書物を宿す」、「他の多くはそうではないので移植手術を受ける」と始まります。なぜ体内に書物が宿るのかについては最後まで何の説明もありません。とにかく、それが当然の前提となっているのです。しかも、宿っている本がどのような内容かも本人を含め誰にもわかりません。そして主人公(これも眼鏡をかけ口が描かれていない女性)は、なぜか収容所のようなところで何が書いてあるかわからない書物の写本の仕事をしているのです。さらに体内の書物には、問題ある行為をすると「魔術的な力で自動筆記され」その記述が増えて最後までページが埋まるとその人は浮力を得て宙に浮くのです。天井のあるところでこの浮力を得てしまうと、その人が死んで腐乱していくまで放置されます。外にいる場合にはそのまま空に消えてしまいます。この作品では、この女性がこの収容所を脱出して様々なエピソードの末に最後は空に消えるのですが、ここまで読んでも、何の話かさっぱりわからないでしょう。そうなのです。最後まで何ら理由のない細かいエピソードが、その世界ではあたかも必然のごとく重ねられていきます。


 このように、黒谷氏の多くの作品では、「本」が特別な存在として描かれます。上記の「浮力の本」もそうですが、例えば、「頭が本の動物」が出てきたり(「薄荷力と本」)、本が寝台になっていたり(「本の寝台」)、巨大な図書館が舞台だったり(「コーヴェ・アンネイの図書館」)、ページをめくる度に本が巨大化しついには宇宙を飲み込んでしまったり(「二乗の本」)するのです。ただ、不思議なことにこれらの「本」に何が書かれているかの説明は一切ありません。大抵は、その文字は誰も読めない、とされています。
 黒谷氏が何らかの考えや思想をもってこれらを書いているのか、あるいは氏自身何も考えず思いつくままに書いているのか、僕にはさっぱりわかりません。ただ、このような不合理・不可解ともいうべき内容があたかも「必然」として重ねられていくことに、なんだかとてつもなく広い幻想世界が広がっているような、とても不思議な魅力を感じるのです。


 他方で、例外的にとてもノーマルな作品がいくつかあります。これらの絵柄は上記の幻想的なものとは異なり、とてもありふれていてかわいいものです(本当に同じ人が描いているのか信じられないくらいです)。「書店員 波山個間子」が典型で、これは書店員である波山個間子がブックアドバイザーとしてお客の注文に合う本を選ぶというものです。各話毎に様々な文学作品が紹介され、それがお客さんとの関係を描くストーリーの中核になります(こちらのストーリーはとてもよく出来ていて起承転結がはっきりしています)。例えは、ヘッセの「車輪の下」、田山花袋の「布団」などが紹介されます。ただ、ここでも異常な程に本へのこだわりがあり、黒谷氏が各本をどれだけ深く読み込んでいるかのがわかるだけではなく、出版社毎の編集の違いにまで言及しておられその博学には脱帽するしかありません。こちらなどはもっと大衆的な人気を得るべきだと思います。


 とにかく、うまく表現できないのですが、黒谷知也氏が描く世界はあまりにも広大であり、唯一無二のものです。彼は間違いなく「天才」です。ただ、検索しても氏自身のXやアマゾンなどによる若干の作品の紹介は出てきますが、その素性などはさっぱりわかりません。なぜもっと世間が大きく取り上げないのか、なぜこんなところでくすぶっているのか不思議でなりません。

 僕は、氏が遅かれ早かれ有名になることを確信しています。
 

  2025年6月11日、ブライアン・ウィルソンが亡くなりました。
 この時期、「天才」ブライアンを称える論考があちこちに掲載されました。そのような中、あえて僕は、ブライアン以外のビーチ・ボーイズのメンバーの重要性を指摘しておきたいと思います。
 なぜなら、ジョン・レノンが亡くなった時のように、ブライアンも神格化され、相対的に他のメンバーの評価が下がることを懸念するからです。


 もちろん、僕も「ドント・ウォーリー・ベイビー」、「ウエンディ」、「プリーズ・レット・ミー・ワンダー」などに代表される、初期の夢のような楽曲群、さらには「ペット・サウンズ」での革新的なサウンドを作り上げたブライアンの才能は賞賛すべきものだと思います。
 ただ、ビーチ・ボーイズの楽曲が、ビートルズのように普遍的な人気を博したのは、単に音楽的に高度であるというだけでなく、やはりブライアン以外のメンバーによるコーラスの魅力によるところも大きいと思うのです。
 ビーチ・ボーイズ(というかブライアン)がジャズ・コーラスグループであるフォー・フレッシュメンをお手本にしたことは有名ですが(彼らの曲をライブで取り上げています)、単に音程の正確さや楽典的な面ではフォー・フレッシュメンのほうが、ビーチ・ボーイズより上だと思います。
 ただ、フォー・フレッシュメンと違ってビーチ・ボーイズのコーラスは、それぞれのメンバーの個性が浮き立って聞こえます。もっと具体的に言えば、個々のメンバーの声がわかる「チャーミング」なコーラスなんです(このあたりビートルズと似ています)。とても複雑なのになぜか各パートを誰が歌っているかがすぐにわかる。これは、フォー・フレッシュメンと違う、「素人くささ」がその魅力だと思うんです。
 ここに、フォローワーミュージシャンがどれほど音程を正確に取って多重録音でコピーしても(例えば山下達郎氏)、あの「チャーミングさ」が表現できない理由があると思います。


  前述の初期の楽曲にしても、ブライアンのみならず、マイク・ラブの少し鼻にかかったコミカルな低音、カール・ウィルソンの優しいファルセット、アル・ジャーディンの少し硬めなテナーなどの個性的な声が一体となっての魅力だと思います。
 「ペット・サウンズ」の楽曲にしても、もちろんブライアンが指揮して作り上げたレッキング・クルーによる鉄壁の演奏も素晴らしいのですが、メンバーの魅力的なコーラスという唯一無二の「楽器」があってこそのすばらしさだと思います。
 「素敵じゃないか」、「僕を信じて」などもまずはチャーミングなコーラス・パートを思い浮かべる方は多いのではないでしょうか。あるいは、名曲「ゴッド・オンリー・ノウズ」は、カールの優しい声だからこその魅力であることが、後にボックスセットでブライアンがボーカルを取るバージョンが発表されたことでも明らかになったと思います。


 この点で、1967年にお蔵入りになったものの、2004年に再構築されて発表されたアルバム「スマイル」は、ファンの間での評価が高いようですが、僕にとっては、やはりメンバーのコーラスあってのビーチ・ボーイズであることを再認識させられただけで、個人的には好きになれません(このアルバムがメインとなるブライアンの来日公演には行きましたが)。
 やはりオリジナルメンバーのコーラスによる「グッド・ヴァイブレーション」こそが幻のアルバム「スマイル」の片鱗なのです。


 このような意見を持つのも、僕がビーチ・ボーイズにのめり込んだきっかけが、中学2年生の時、FM大阪で田中正美さんが司会の「ビート・オン・プラザ」という番組でアルバム「サーフズ・アップ」全曲を聞いたためかもしれません。ブライアンはこのアルバムに名曲「サーフズ・アップ」こそ提供したものの、彼が不調のため、中心となったのがカールだったと言われています。それ以来50年近くこのアルバムをどれほど聞いたか、どれほど心洗われたかわかりません。
 個人的にはカール・ウィルソンの優しいボーカル(時には激しいけれど)、ファルセットが好きだった僕にとってのビーチ・ボーイズは、1998年にカールが亡くなった時点で終わっていたのです。

 ご存じのとおり、「A Hard Day's Night」の途中にギターソロがあります。このソロについて、ジョージ・ハリスンは技術的に弾くことが難しかったので、レコーディング時にはテープスピードを半分に落として録音し、かつプロデューサーのジョージ・マーチンのピアノとユニゾンにしたことは有名な話です(元に戻すと音はオクターブ上がる)。

 確かに完成版のソロ、正確に弾くのは結構難しくて、僕などは未だにきちんと弾けません。
 この点、「アンソロジー」に残された、レコーディング過程の「A Hard Day's Night」(Take)1)では、完成版とは全く違うソロ(というかごまかし)になっています。


 このため、ジョージは、ライブでこの曲を弾くのに苦労したと言われています。
 ところが、残された正規の「ライブ」音源では、どれも「正確に」演奏されています。
 「Live at the BBC」では、「ライブ」と言いながら明らかに録音されたテープとの「合奏」で特に当該ソロの箇所は明らかに正規版の音です(突然ピアノが聞こえる)。
 ここまでは、ファンの間でもおそらく「通説」だと思いますが、僕は2016年にリリースされた「Live At The Hollywood Bowl」での「A Hard Day's Night」のソロもジョージではなく、発売に際して別の音を「被せた」ものだと思うのです。
 1965年8月30日の音源だとされていますが、レコーディングであんな演奏しか出来なかったジョージがライブでこんなに正確に16分音符を弾けるはずがない。
 しかも、この部分だけギターの音が突然クリアになりますし(最後のアルペジオの音と比較)、このソロの部分では、(ストロークだけを弾いているジョンではない)オクターブでギター2台分(あるいはこのライブ映像では弾いているはずのない12弦ギター)の音が聞こえます。


 もちろん、テクニカルではないから優れたギタリストではない、などというつもりは毛頭ありません。ジョージのギターだからこそのビートルズだと思うし、「Something」などのソロはとても美しいと思います。
 ただ、それにしても、まだまだライブを活発にしている時期、しかもシングルカットしてライブでは演奏しないわけにいかない曲で、弾きにくいソロにしなくてもいいのに、と余計なおせっかいをしてしまう僕でした。


  ちなみにこの2016年に出たこの「Live At The Hollywood Bowl」、他にもいろいろあやしい演奏があって、僕は、発売に際して、かなりの音を「被せて」いると睨んでいます(リンゴのドラムスも時々クリアすぎる)。

 母方の祖母は,熊本県高山の阿蘇山の麓、高森というところの出身でした。
 この祖母は1902年に生まれ、聞いたところによると昭和初期に(どういう経緯か知りませんが)神戸に出てきて戦前からずっと神戸市兵庫区荒田町に住んでいたようです。というのは、この祖母から、1938(昭和13)年の阪神大水害の話(「あそこの~さんのお母さんは洪水の時に亡くなった」)とか、1945年3月の神戸空襲の時に疎開先から戻ってきたところ家が焼け残っていた,と聞いたことがあるのです。

 1947年、(戸籍上)祖父と結婚しましたが(おそらくそのかなり前から事実上の夫婦だったようです)、祖父は1961年に亡くなりました。その後、1976年に74歳で亡くなるほんの数年前まで助産師をしていました。
 産院に勤務するだけでなく自宅でも受診しており,僕が住んでいた神戸市兵庫区荒田町の家には「助産婦」という大きな看板が掛かっていましたし、実際に妊婦さんが時折訪ねてきて、特に診察室でもない、家族でテレビを見たりする普通の8畳ほどの和室で診療していました。そしてそんな時は,僕は外に出ているように言われてました。今思えば不思議なことでした。

 この写真に写っているのが祖母で、その後ろに一時的に外されている看板があります。

 

 

 いわゆる「ハイカラ」な祖母で、亡くなる1年くらい前までずっと髪の毛を真っ黒に染め,またタバコが好きでした(よく大師筋商店街にあるタバコ屋に当時80円のハイライトを買いに行かされました)。朝はパン食でしたし、毎日のようにテレビで洋画を見ていました(ゲーリー・クーパーのファンでした)。また、サイダーが好きで近くの酒屋によく買いにいかされました。
 少なくとも僕は、この祖母が感情的になって怒ったりした場面を見た記憶はありません。なんでもきちんとしていて、いつもかくしゃくとしておだやかでした。また、僕のことを大変可愛がってくれていました。


 確か小学1年生か2年生の頃だったと思うのですが、この祖母が、新聞に挟み込まれたりしている広告の裏を利用して、僕のために紐綴じの「ノート」を作ってくれたことがありました。僕はそれを見ていて、なぜか「おばあちゃんが遺言を作ろうとしている」と思い込んでしまい、祖母が死んでしまうことを想像して、祖母の前で泣いてしまったのです。後で祖母が母に「自分のために泣いてくれた」と喜んで報告したそうです。


 ところで、僕はよくこの祖母から熊本に伝わる怖い話を聞いて、一層怖がりになっていったのでした。

 トイレに入って大便をしているとカッパがお尻の穴から手を入れて内蔵を取ってしまうだの、年老いた猫は阿蘇山に登って猫化けになるだの、今思えば全国各地にあるようなありふれたものだったのですが、当時の僕の家はまだくみ取り便所でしたし

野良猫もそこら中にいましたので、これらの話をリアルに感じさせる「材料」が周囲に豊富だったのです。


 この祖母が、僕が中学に入る時(おそらく1976年3月頃),神戸市兵庫区荒田町の東山市場にあったカバン屋でカバンを買ってくれました。周囲は生きのいい魚屋や八百屋がある大きな市場でその一角にカバン屋があったのです(この市場とカバン屋については,このブログの別の項で紹介しました。神戸市兵庫区荒田町-東山市場・マルシン市場の思い出)。
 僕は、祖母と2人ということもあり、ばつが悪いのと遠慮もあって、あまり積極的に吟味することもなく「これでいい」という感じでデニム地のショルダーバッグ型のカバンを買ってもらいました。

 


 

 僕の記憶では,これが祖母から買ってもらった最後のものでした。この後しばらくして、僕が中学1年生の時、祖母はガンで(病名は後に知ったことですが)亡くなったからです。
 
 今でも、祖母専用の小さなタンス(そこには助産師としての様々な器具や薬品が入っていたように思います)を開けた時の薬が混じったような清らかな不思議なにおいを覚えています。

 僕は幼い頃から美術が不得手で,小中学生時代の成績もよくありませんでした。自分の描いたものを見ても、我ながら「下手だなあ」と思うし(技術的な問題のみならず、「閃き」やインパクトがないのです)、著名な画家の美術展に行っても「すごいんだかどうなんだかよくわからない」というのが正直なところです。


 ただ,それでも「いいな」と思う絵は人並みにあり,例えば,著名な画家(シャガール、ポール・デルボー、キリコ)のみならず、新聞でみかけたそれほど有名でない画家の作品展などにも時折足を運んでいます。例えば、1989年には伊丹市立ミュージアムで開催されたハンス・エルニという画家の作品展に行きました。僕の家のトイレにはこの時購入した彼のポスターがもう長い間、貼ってあります。

 また、2023~2024年の年末年始に家族でパリに行った際には、「もうこんな機会はあるまい」とルーブル美術館を半日かけて周りましたし、オルセー美術館やオランジュリー美術館も丹念に見て周りました。


 そんな中,近年毎年足を運んでいるのがボローニャ国際絵本原画展です。
 ホームページによると,「ボローニャ国際絵本原画展」は、イタリアの古都ボローニャで春に開催される児童書専門の見本市「ボローニャ・チルドレンズ・ブックフェア」が主催する児童書のイラストレーションを対象にした国際コンクール,とのことです。
 関西では毎年西宮市大谷記念美術館で開催されています。
 もちろん、毎年多くの絵本作家の作品が展示されるので、どの絵がよかった、と逐一挙げるのは難しいのですが、行く都度感心するのは人間が持つ想像力の豊かさです。摩訶不思議で幻想的な世界を、まるで見て来たかのように、これだけ多くの人間が描き上げていることにいつもとても感動します。
 また、それぞれのお国柄(欧米のみならず中東や中国、台湾などのアジアを含む全世界)が感じられるものも多く、これも魅力です(ただ、近時のウクライナ紛争下にある作家のものは悲しかったですが)。
 他方で感じるのが、やはり原画がもつ迫力です。この展覧会では、展示されている原画による絵本が多く販売されているのですが、いざ絵本を見ると、原画と比べて迫力や繊細さなどの点でどうしても見劣りがしてしまい、購入する気になりません(高いし)。絵画に疎い僕ですが、この違いはどうしても見過ごせません。だからこそ、この展覧会に行く価値があるのだと思ってます。
 これからも続く限り、通いたいと思ってます。