よく「悩み事は人に話したほうが気が楽になる」などと言われます。実際に,つらいことを人に聞いてもらって心が軽くなる,という経験談は巷に溢れています。

 ところが,いつの頃からか,僕には,その時々で一番つらいこと,一番悲しいこと,一番悩んでいることはどんなに親しい人にでも話さない,という「習性」が身についてしまいました。また,話してみて気持ちが楽になった,という経験も長い間記憶にありません。
 自分でも理由はよく分かりません。


 自分で言うのも何ですが,僕は,おそらく他人からは「社交的でなんでも開けっぴろげに話している」と見られていると思います。ただ,その「社交性」は,誤解を恐れずに言えば「計算尽く」で,一緒にいる人をなんとか喜ばせたい,退屈させたくない,嫌な気持ちにさせたくない,という「サービス精神」によります。もちろん打算もありますが,「僕などと一緒にいていただいているのだから」というある意味謙虚な姿勢でもあります。
 ですので,自分でも処理できない,コントロールしようのないつらいことや悲しいことは,その「計算」に乗ってこないのです。それは「自分ですら解決できないことを他人が解決できるはずがない」といううぬぼれや諦めにも基づいていると思います。


 では,そのようなつらい気持ちや悩みはどうするのか。
 どうもしません。日々,ひたすらルーティンを守り,できるだけ心を動かさないようにして考えないようにするのです。僕はできる限り合理主義者でありたいと思っているので,日々の客観的な行動に影響が出ない限り,内心の苦しみはなんとかなる,という考えなのです(若い頃,長い間自堕落で不合理なことばかりしていた反動なのかもしれません)。また,そもそも自分を見失うほどつらい経験がないためかもしれません。
 いずれにしても,我ながら変なやつだとは思います。