今回もビートルズ・ファン以外にはどうでもいいマニアックな話。
 ビートルズの曲に,必ずしも4人全員が関わっているとは限りません。

 典型は,「Yersterday」でしょう。ポールと弦楽四重奏以外,メンバーは全く関与してません。ポールのこの手のフォークソングである「Blackbird」や「Mother Nature's Son」などもそうです。
 あるいは,ジョンの曲である「The Ballad Of John and Yoko」もドラムまでポールが叩き,ジョンと二人で仕上げています。
 ただ,ポールが関わっていない曲となるとかなり少なくなります。
 思いつく限りでは,ジョンのフォークソングである「Julia」はジョンのみです。ミュージック・コンクレート作品である「Revolution 9」はほぼジョンとヨーコのみで作られているようです。
 さらに,他の3人は関与しているのにポールだけが参加していない曲となると,アルバム「Revolver」に入っている「She Said,She Said」だけではないでしょうか。


 アルバム「Revolver」(1966)は,ビートルズが音楽的に大きく変化を遂げようとする過渡期の作品です。
 僕が思うに,前アルバム「Rubber Soul」まではバンドという制約されたフォーマットで何ができるか,という発想だったのに対し,「Revolver」は,作りたい音楽のためには何が必要かという革新的な発想の転換があったように思います。現代のように理論上は無限にトラック数を増やすことができるのと異なり,当時はわずか4トラックのレコーダーで音を捉えるしかないのです。これほどの制約の中でこのような音楽を作るには,恐るべき想像力の爆発があったと思うのです。
 「Tomorrow Never Knows」,「Got To Get You Into My Life」,「Yellow Submarine」,「Eleanor Rigby」などは,当時の技術を前提とすれば,バンドでライブ演奏する,という発想を超越しているように思います。歌詞もそれまでの単純なラブ・ソングから内省的なものに変わりつつあります。
 わずか数年前には,「I wanna hold your hand」やら「She loves you,yeah,yeah,yeah」などと脳天気に歌っていたバンドに何があれば,このような精神的跳躍が起こりうるのか,大げさかもしれませんが,レオナルド・ダ・ビンチが成し遂げた「知の爆発」やアインシュタインの相対性理論の確立にも匹敵するような精神的変化があったとしか思えません。
 もちろんその中でのポールの活躍はめざましく,特にそれまでにも増してベースが革新的な進化を遂げています。「Taxman」のトリッキーなプレイや,「And Your Bird Can Sing」の歌うようなプレイはポールのめざましい進化を示しています。
 曲作りや他の楽器の演奏にしてもポールは八面六臂です。ジョージの曲である「Taxman」ではリードギターまでポールなのですから。

 そのような中,「She Said,She Said」は少し立ち位置が違います。
 この曲は,ジョンが俳優のピーター・フォンダから「僕は死ぬことがどういうことかを知っている」という話を聞いて,これをモチーフに作られたとされています。歌詞の中にもそのまま「I know what it's like to be dead」と出てきます。
 そして,なぜだか「She Said,She Said」だけは,ポールが参加していないと言われていますし,音からもそれは真実だと思います。
 何らかのトラブルでポールが怒って出ていったから,などという説もありますがよくわかりません(おそらく本人らですら正確に覚えているかどうか怪しいものです)。近時(2021年)読んだゲットバック・セッションの中では,ジョンが,意図的にポールを外してそのアレンジをジョージに委ねた,というようなポールとの会話があります。ただ,ジョンはこのジョージのアレンジが気に入っていないかのような口吻です。
 そのためか,このアルバムの他の個性的な曲に比べて,ポイントとなる「ヒネリ」がありません。曲作りも,途中でジョンの好きな変拍子(4分の4→4分の3)があるくらいで凝ったコードも出てきませんし,コーラスもオーソドックスな2声の3度のみです。キーはBbですが,おそらくギターはカポタストをつけてAでプレイしていると思います。
 ギターもポールのように妙なチョーキングなどもなくジョージらしいメロディアスなものですし,ジョンのストロークを中心としたサイド・ギターも特に凝ったところはありません。
 おそらくジョージが弾いているであろうベースは,このアルバムの他の曲と違って,輪郭もはっきりしないうえ,あまり動きもなく,そもそもバランス的にも音が小さい。この時期のポールが,こんな音や動きの少ないベースを弾くとは思えません。
 唯一,リンゴのドラムだけが,いつもうるさく細かい指示をするポールがいないせいか,とても自由で生き生きとしているように聞こえ,これがこの曲に花を添えています。
 ジョンのボーカルも,いつもより乾いた感じです。同じアルバムの,「Tomorrow Never Knows」や「I'm Only Sleeping」などのねちっこい歌い方と比較すると別人のようです。
 ボーカルに絡む3度上のコーラスはジョージだと思うのですが,少し発音が違うような気もするので,ジョンのダブルトラックの可能性もあります(ベースに参加してないのにこのコーラスだけポールだとは考えにくい)。ただ,最後のかけ合いは発音からして明らかにジョージです。


 この時期以降のビートルズの多くの曲は何度もセッションを繰り返し,少しづつ完成させていくことが多いのですが,この曲はこのアルバムの中ではあまり丁寧に作られたとは言えず,ビートルズ・ファン必携のMark Lewisohn「Recording sessions」によれば,アルバム自体は1966年4月6日からレコーディングが開始され,6月21日までかかっていますが,この曲は,6月21日午後7時頃から翌日午前4時頃までのわずか9時間で録音が完了しています。このアルバムの他の曲が,何日もまたいで試行錯誤されて完成しているのとは対照的です。そして22日にはこのアルバムのミキシングが完了しています。


 ところで,このアルバムが出た1966年というと,5月にはビーチ・ボーイズの革新的なアルバム「Pet Sounds」が出たり,ジミ・ヘンドリックスがデビューしたりと,翌年に花開くサイケデリックの幕開けとも言える年だと思いますが,この曲は,抽象的な歌詞と言い,突き抜けた青空のような感じといい,その時代を表すような雰囲気が出ていて僕は好きなのです。
 ビートルズの曲は良くも悪くもイギリス的な「湿った」感じがするのですが,この曲は,とても「乾いた」感じ,カリフォルニアを彷彿とさせるような,映画「イージーライダー」に流れてもおかしくないような,アメリカ的な気がします。1966年に結成されたアメリカのバンドであるMoby Grapeなどが演奏しても不自然でないように思います。


 ただ,一方で,もしビートルズにポール・マッカートニーがおらず,このような曲ばかり出していたら,ビートルズは60年代に活躍した「かっこいいバンド」という評価止まりだったとも思うのです。
 この曲は,ビートルズがビートルズたりうるためには,(当然ですが)やはりポール・マッカートニーが必然であった,ということを如実に示すものだと思います。


 なお,この曲を録音したすぐ後,ビートルズは最後のツアーに出るのですが,約1週間後の6月29日には来日し,武道館で公演を行っています。そして,8月にアルバム「Revolver」がリリースされます。
 「Revolver」のような,当時としては最先端の革新的な音楽を作っている一方で,ライブでは,当時の貧弱なPAシステムかつ絶叫の中で自分の演奏もよく聞こえないまま,「Rock 'n' Roll Music」のような,3コードのオールディーズを演奏するのですから,ライブを真剣にやる気持ちがなくなるのも最もな気がします。
 そして,この年の8月29日のサンフランシスコ公演を最後にビートルズはライブを辞め,レコーディング技術を駆使したスタジオ録音の段階に進んでいくのです。