小学2年生(1971年)か3年生の時,確か,神戸市兵庫区荒田町の近所にあるパークタウンというショッピングセンターの中にあった本屋で「消えた5人の小学生」という本を買ってもらいました(ネット情報によると1969年に出ていて,大石真:著 ,山藤章二:絵とのこと)。
 記憶では,一番最初に買ってもらったSFの本です。
 すでにこの本は捨ててしまっており,ネットで見て思い出したのですが,山藤章二の表紙の絵がシュールで素敵です。


 内容は(あくまでおぼろげな記憶に基づくのですが),「ジェット自転車」という最新式の自転車を買ってもらった5人の小学生が行方不明になるのですが,それは実は,滅びゆく惑星から来た宇宙人が,その惑星の未来を地球人の小学生に託そうとして,ジェット自転車を使って誘拐したのでした。
 そして,5人の小学生たちは,その宇宙人たちの思いを受け入れ,その惑星の未来のために地球を去るというものです。
 記憶では,主人公は,去るほうの小学生たちではなく,ジェット自転車を買ってもらえなかったために,去られてしまう側の男の子でした。
 具体的な文章などはさっぱり覚えていませんが,この本を読んで,荒田町という下町の片隅で,はじめて「不思議な感覚」「非日常の感覚」を味わったように思います。


 また,この本は,その後の僕のSF熱,それも,単純なハッピーエンドではなく,何かを得るために,何かを失う人物にロマンというか,寂しさを感じる,そういう傾向を植え付けたようにも思います。
 例えば,この後好きになった,NHKで放映されたドラマ「タイムトラベラー」(1972年より放映。原作は筒井康隆の「時をかける少女」。但し,小説とこのテレビドラマは全く異なります)にしても,一貫して暗いイメージでしたし(登場人物が楽しそうに笑っているシーンはあまりなかった記憶です),主人公は結局,未来から来たケン・ソゴルと別れ,記憶を消されることになります。


 有名なSF作家であるレイ・ブラッドベリの作品の中でも「刺青の男」の中の「ロケット・マン」という短編が好きですが,これも悲しい結末です。
 主人公の父親は宇宙パイロットなのですが,毎回,「もう二度と宇宙には行かない」と誓いを立てて家に帰ってきて,妻や主人公の少年と家族水入らずの時間を過ごすのです。しかし,徐々に空を見上げることが増えていき,ある日の朝,突然に,「行ってくるよ」と少年に別れを告げるのです。このようなことが何度も続いた後,ついに太陽に「落ちて」亡くなるのです(ちなみに,エルトン・ジョンの「ロケット・マン」という曲は歌詞の内容からしても,この短編からインスピレーションを受けているのは明らかです)。
 主人公の少年と母親は,それからは,父の「死に場所」となった太陽を見ることを避けるために昼夜逆転の生活をする,というものでした。   

 それが感傷的な表現を極力排して,淡々と語られます。


 以前このブログの別の項(「大好きだったSF映画のこと」)で紹介した,「禁断の惑星」にしても最後は,進んだ文明と共にその惑星が爆発してしまいますし,「サイレント・ランニング」にしても,ラストは,ロボットと植物だけになった宇宙ステーションが宇宙をさまよっていくものでした。
 僕の中で,SFへの愛着は,このような,何か漠然とした静寂感,あるいは「滅び・別れの美学」といったものとつながっているような気がします。