僕が小学校3年生(1973年3月)まで住んでいた,神戸市兵庫区荒田町の大師筋という商店街の近辺には,いくつもの「駄菓子屋」がありました。
 僕が覚えている限りで,家の周り半径約100メートルの範囲内に,少なくとも3つありました。もちろん,当時の僕は「駄菓子屋」と認識したり呼んだりしていたわけではなくて,それぞれの店の名前を呼ぶか,「あそこの店」と呼んでいたのでした。今,記憶にあるのは,大師筋商店街のちょうど真ん中あたりにあった「ほりうち」くらいです。ここは,年配の夫婦が経営していました。もうふたつは,たしかおばさんが一人で経営していたと思います。


 僕の小遣いは年齢が上がるに従い、徐々に値上げされて,小学2年生で一日20円,小学3年生の時は一日30円だったのですが,この額だと,例えば20円でラムネを買って,10円でチロルチョコを買うとか,20円で怪獣ブロマイドを買って10円で黒糖のような駄菓子を買うことができました。
 当時は45円の小さなプラモデルも近くの文房具屋などに売っていて,わずか一日我慢すればこれも買うことができたはずですが,僕はついぞ,2日貯めて45円のプラモデルを買ったことはありませんでした(つまり必ず一日で使い切ってしまうわけです)。


 かのライダースナックは20円でした。
 確かにこのお菓子はおいしくなく,みんなカードのためだけに買って,残ったお菓子を捨ててしまいちょっとした社会問題化したことは有名な話です。
 小学校から帰ると,よく近所のお菓子屋の回りに子どもたちが集まっていて,「ついに300番台が出た」とか盛り上がっていた風景を覚えています(カードには裏に番号がついていたのです)。また,カードに「当たり」が出ると,カードアルバム(と言っても今見れば単にビニールに表紙がついただけのチャチなものですが)がもらえることになっていました(当たりのカードを送ると郵送してくるのです)。
 僕もカードはたくさん買ったのですが,ついぞ当たりが出たことはなく,友人らから当たりカードを貰ったりしてアルバムを手に入れました。
 今でも,このカードやアルバムは持っていて,同世代の人たちに見せるととても盛り上がります。