13年間の人工透析 の末 生体腎移植 を行った その体験記 -6ページ目

13年間の人工透析 の末 生体腎移植 を行った その体験記

2002年日韓W杯の年に、慢性腎不全から人工透析治療を導入し、
2014年ブラジルW杯の年に、生体腎移植を決意し
2015年カナダ女子W杯の年に、移植手術をした筆者の
腎移植の体験と、13年間の人工透析生活の体験を書いています

一昨日の8日が
今年初の定期受診日でした。

クレアチニン値は0.96と正常値で
腎臓の機能は問題なしでした。

しかし、医師からは
「脱水」の疑いを指摘されました。

ヘモグロビン(Hb)と
ヘマトクリット(Ht)という
貧血の数値が前回より
かなり高くなっていたからです。

データは、
Hb 前回13.1→今回17.3
  正常値上限 17.5
Ht 前回44.8→今回56.9
  正常値上限 48.0

水分は毎日2リットル超は
摂っていたので、
水分不足という自覚は
ありませんでした。

また、ヘモグロビンについては、
前回の検査で、
数値が正常範囲の下限を切った為
その後鉄剤を服用していました。
従って数値が上昇した説明は
つきます。

それなので、ヘマトクリットの値は
気になりましたが、
医師も様子を見よう
ということになりました。


私は午後から会社へ行き、
夜に帰宅後、改めてデータを読み返すと
やはりヘマトクリットの値が
高いのが気になりました。

ヘマトクリットは、
血液の濃さを示しているので、
この数値が高い程、
血液ドロドロ状態なのです。

透析時はこの数値が逆に低く、
数値を高めるのに
苦労していましたが
今は透析時のほぼ倍の値です。

ちょっとやばいな、
と思っていたとき、
夜の9時ごろですが、
病院の医師から電話がきました。


他の医師とカウンセリングした結果、
私はやはり脱水症状のようです。
そして、
・最悪の場合に脳や心臓の血管に
 血栓ができる恐れがあること。
・11日の祝日に
 再度血液検査をすること。
・それまで経口補水液を、
 日に最低2本は摂ること。
を指示されました。

思えば、正月の3日から急にだるくなり
のども痛かったので、
風邪をひいたと思っていたのですが
これが脱水症状の始まりだったのでしょう。

加えて、会社が始まってから、
行き返りの電車の中や会社でも発汗が激しく、
これも脱水を進める要因だったと思います。

手術後、初めての自己管理のミスになります。
一昨日は若干落ち込みましたが、
今は、言いつけを守り、
明日朝9時からの休日診療での検査に臨みます。


烏帽子岩

今夕の烏帽子岩と伊豆大島です
50歳を過ぎると、会社生活のゴールが大体見えてきます。
特に私のように障害をもっていると尚更です。

ふっ、と肩の力が抜けた途端に、
交流が途絶えていた昔の学友に会いたくなりました。

そんな時、小学校の親友のN君から連絡がありました。

親交が途絶えていたので、N君から直接連絡があった訳ではありません。
実は、私の高校時代の同級生がN君の大学時代の友人でした。
彼が高校の同窓会名簿から、まず勤務先を教えてくれたそうです。

そして私の勤務先に、N君の高校の友人が勤めていました。
その彼が私に「N君の小学校の同級生ではないですか」と
コンタクトをしてきてくれたのです。

こうして数十年ぶりに、
N君や小学校時代の友人と再会できたのです。


小学校の友人たちとはその後も交流が続き、
手術前にもお見舞いに来てくれました。


学生時代の集まりは、一旦出なくなると、
年々敷居が高くなり、ますます足が向かなくなりますが、
私はこの小学校の同期会をきっかけに、
高校の同期会にも7年ぶりに出席し、
その後は毎年出席しております。

またその後も、大学のゼミで親しかったメンバーでも
定期的に会合が開かれるようになりました。

こうして一気に学生時代の友人とのサークルが広がっていったのです。

今回の手術入院でも、これら学生時代の友人が
大勢お見舞いに来てくれました。

以前ブログの中で、手術をするタイミングが良かった
という話をしましたがこのことなのです。
無事新しい年を迎えることができました。

厳密には「無事」ではなくて、
昨日は何年か振りに
大晦日恒例の大喧嘩がございました。

まぁこれも、大晦日に透析に
行かなくて良くなった賜物?
と思うことにします。

今朝は久し振りに家族で
初日の出を拝みにいきました。

写真を撮るのに夢中で、
拝むのを忘れてしまいましたが(^_^;)
今年は綺麗な日の出がみられ、
よい画像も撮れました。


今年はいろいろな面で
リスタートの年になりそうですが、
幸先の良い初日の出でした。

皆さんもよい一年にしてください。



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