ちょーどーでもいい日本史のはなしそのさんじゅうろく | 元鉢巻きのサバティエンヌが今後もしかしたら本格的にボディビルダーを目指すかも知れないブログ

元鉢巻きのサバティエンヌが今後もしかしたら本格的にボディビルダーを目指すかも知れないブログ

訳あって現在は非活動的な日々を送っているかつて鉢巻きのサバティエンヌだった者がいずれ元気になって何事かをなさんとの思いを胸に抱きつつなんとなくその時々の出来事などを記すブログ

ちょっと閑話休題で、かるーい話でもしましょう。
私はまっとうに日本古代史を学んだ人間として、
伝承上の初めのころの天皇たちは実在しないと考えていますし、
万世一系なんて信じちゃいません。
『日本書紀』や『古事記』に記されている天皇のうち、
実在する最初の天皇(大王)は崇神天皇(御間城大王)かなー、
と思っています。
そこで、思いっ切り勝手に、
畿内の王朝がどのように入れ替わってきたのか、
考えてみようと思います。
『日本書紀』『古事記』には記されていない、
中国の史書で確認できる卑弥呼・壹与王朝から考え始めます。
(それ以前もあったかも知れないけど確認できないんで)

西暦の250年代ころ、ヒミコ・イヨ王朝が断絶して、
大王位の空白と社会の混乱が起こります。
その混乱を制し、王朝を樹立したのがミマキ大王、
西暦264年のことです。
この王朝はミマキ大王の子のイクメ大王に引き継がれて、
50年弱続きますが、
突如、播磨・吉備(現在の兵庫県南部・岡山県)を本拠とする一族から、
オウスという名のすさまじい軍事的天才が現れ、
まるでマケドニアのアレクサンドロス大王のように、
ミマキ・イクメ王朝を滅ぼし、さらにさまざまな地域を制圧していきます。
ヤマトタケルとして知られている人物です。
しかし、これもまたアレクサンドロス大王と同じように、
オウスにも後継者がいなかったのです。
オウスの死後、軍事的・政治的空白が生じて混乱が起こった中、
オキナガのタラシという名の女性が力を伸ばし王朝を樹立します。
讃珍済興武の倭の五王を擁するいわゆる「河内王朝」です。
大王の位を嗣いだあと、
系図的に前王朝および一代の英雄オウスと新王朝を繋げるため、
オオタラシヒコ(景行)・ワカタラシヒコ(成務)・タラシナカツヒコ(仲哀)、
3人の架空の大王(天皇)が、
オキナガのタラシの名をベースとした名で創作されました。
河内王朝が80~90年程度続いたのち、
もとは越(今の福井県・富山県・新潟県)で勢力を持っていた一族が、
畿内へと進出し、
一族の男性が河内王朝の女性と婚姻するなどの懐柔的手段も使って、
20~30年かけて大王の地位を確立しました。
現在の天皇家に繋がる男大迹大王(継体天皇)に始まる王朝です。

異論は多々あると思いますが、
あくまでも私の勝手な考えですので、
ご海容いただければと思います。
ではでは。