気づくと考えてる
内容はそれこそなんでも
なんでも
だから、内容なんてもちろんなくて覚えていない
覚えてるのは、考えてるってことだけで
そこに別になにかしらの得るものがあるわけじゃない
多分、考えるきっかけのほとんどが後悔だからかもしれない
そう後悔から
まさしく今やってしまった後悔とか
後々考えてみるとやっちゃったなっていう後悔とか
そんな風に後悔に気づくタイミングはバラバラだし際限ない
それに後悔なんて言ってるけどそれほど誰かを傷つけたわけでもないし
他人には迷惑はかけてるわけではない
と思う
ただ後悔してるってことは何かしらあるわけで
それに後悔に気づいて考えはじめてなにかしらの結論が出たところで次に生かすことなんて一度もあったことなんてない
ましてそのことすら忘れる
しつこいかもしれないけど
後悔に気づいて考えてなんかわかって
それを繰り返してるってことは
自覚できる。
ただそれだけ
本当にそれだけ
意味があるのかもわからない
や、強いていうなら
意味があるなら聞きたい
そんなこと答えてくれる奴なんて
いないだろうし、いても信用しないけど
そもそも忘れてしまうようなことは後悔と言えないのではというツッコミはあえてしない
ならなんで考えてるんだろう
って今も考えながら書いてるし
これは余談だが
書いたら覚えるというけど
あれは繰り返し同じことをするからであって
一つのこと一回書いたきりじゃ覚えてるわけない
実際
こうして書いてるブログだって
覚えていない
以前までのブログは正直
読者のためにとか
自分が後でそのとき考えてたことを思い出すためにとか
思いながら書いてたように思う
以前までのブログを読んでた人にとって今回のこの雰囲気は
温度差がありすぎてついてこれていないかもしれないし、
ついてこれてなくてもいい
と思うようになった
ならなんでこうしてブログという形で保存するのかという疑問にはもちろん答えたい。
ブログとして書くこと自体は今も昔も変わらないから頻度は変わったが
こうしてブログに残す理由は
ただ共感して欲しいから。
だれでも構わない
友人知人そんなのはどうでもいい
こんな文で支離滅裂で分からないならそれでもいい
たとえ、わかりやすく書く努力をしたところで結局それはわからない人にはわからない
こればっかりは仕方ない
だからわかる人にわかって欲しい
そんな感じだ
ところで
見返して気づいたが
誰かのためにすることはアホだ
みたいなことも書いてる
つまり、以前までのブログは
こうする奴はアホなんだぜとアホが
自らを証明しきっていたという
なんとも馬鹿馬鹿しい話だ
それに皮肉にも後者の目的は今回達成してしまっている
こんな風に自分のブログを皮肉っているが万が一にもこのブログでなにか考えたことがある人もいるかもしれない
いや、あえてたくさんいたと思ったとしても
今現在考えたことなんて覚えてないだろう
覚えてたとしても
なにか役に立ったわけでもないだろう
だって書いてる本人がそうなってないのだし
や、あくまで個人的な意見であり考えだからもしかしたら考えたこと考えさせられたことを鮮明に覚えている人もいるかもしれない
ほんとに?
さぁ?としか言えないのだけど
だけど、よくよく考えると
こうして考えてることをこうやって文に残しておくのも悪くないとはやはりどうして思う
見返すとおもしろい
このおもしろいは確実にバカにしてる意味である
んー子供をバカにする感じだろうか
なにをそんなにそんなことを真面目に考えているんだなんてふうに
そんな風に思えるということは成長しているんだろうか
そんな期待するために書いてるのかもしれない
あるいはそんな期待の瞬間のために考えてるのかもしれない
つくづくどうしようもない
そしたら、
このブログを書いたことを忘れた頃に、
また読み返してみたら
アホだと思うということか
我ながらアホだと思う
けど、それもいいなと思う
こんな話にはオチなんてない
それもいい
なんでいいのかな
おわり