今から私泣くのわかる

いよいよ、保育園の卒園式が迫ってきた。

絶対私泣くだろうなぁ。

 

年長さんで年明けにはコロナが落ち着いたのでお餅つきがあって、年長さんの集大成である保育参観でカルタを見て、節分……なんて能登地震のせいで見ることがかなわなかった行事が今頭の中にワーッと浮かぶ真顔音譜

地震後保育園は、大勢いる避難者の受け入れを行っていたそう。

保育所の駐車場はいつだっていっぱいだった。

 

小学校が再開し、道ががたがただし、ガラスも落ちてるってことで送迎する途中に保育園があるのだけれど。

『今日もいけないね~』

っていうのがなんだか寂しかった。

保育園を横目に小学校にいって、小学校に設置された仮設トイレで朝の用を足すルーティーンだった。

 

家の片付けがおわり、避難者が保育園から出て行った後も、水が出ないこと。

施設内の安全が確認できるまではできないってことで。

 

水汲みにいって、洗濯したり、仕事をしてる私の横で、お絵描きしたり、youtubeみたり、踊ったり娘はしていた。

しょうがないことなんだけれど、失った時間はあまりにもでかかったなと思う。

 

ようやく保育園が再開し、半日だけ預かってもらうのもやっと慣れてきたなかで卒園だ。

 

 

担任の先生も、今回の地震で被災され年長さんの卒業を見届けて退職することがお知らせされた。

先生と仲良かったわけじゃないけど。

地震がなかったらまだまだいてくれただろう先生がいなくなることもなんだかすごく寂しい。

 

 

保育園に入った時、ちょっぴり泣き虫だったけどって娘が歌の練習してるんだけど。

もうそれ聞くだけで涙でてくるの笑い泣き

それに今回は3人目の子で私はこれ以上子供を産む予定はない。

だからこそ、今回は娘だけではない。

一番上の子の時から8年もお世話になった保育園をママである私も卒業するのである悲しい

 

田舎の保育園だから先生の入れ替わりはほぼない。

先生が産休育休でいなくなったり戻ったりはあるけれど。

8年もいるから、産休入る→カムバック→別の先生産休はいる→カムバックも見届けてきているのである(笑)

 

保育園に入った時、ちょっぴり泣き虫だったのは一番上の子だけじゃなくて、私もだった。

一番上の子は男の子で、3人いる中でもう別格で育てにくかった。

うまく寝れない、人見知り激しい、好き嫌い多いのコンボでいろいろ悩みもあったし、子供と離れる時間が必要だったから。

仕事の間安心してまかせられて、子供から離れられたり。

集団行動の場で息子自身が成長していって、育てにくさがだんだん薄れていったのも感動したな。

下の子二人も兄ちゃんがいると安心するからって、慣らし保育の後も、兄ちゃんのクラスにいってちょこっと座るってのをしてくれてご迷惑もかけたし。

 

いろんな行事も参加したし、少子化だから役員もそれぞれの学年で1回ずつやったし。

あぁ、いよいよ卒園でおしまい。

もう通うことはないんだなぁってしみじみ思う。

 

 

子供はけろっとしてるんだけど、親がもう今からナーバスというねくまクッキー

たくさんたくさんお世話になりましたが、4月になれば娘もランドセルの一年生になります。

道は今も直される目途立ってないし、ガラス片が落ちてるから、当分送迎なんだけれどさ。

 

保育園私も卒業だ!

内にもう幼児はいなくなるのである。

一番上の子を産んで10年。

次のステップに進むのだなぁ。