佐藤天彦叡王&勝利のセンダガヤマスト号 59 駒得の過程をさとらせない | 表参道芸術大学 

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大山康晴は駒得主義者である

一般人は
「駒得ぐらい私にも理解出来ますよ」
と思っている
それは駒得の結果を知ってるだけで
駒得の過程はわかってない
ぼんやりとしてる
「駒得」という事に関して
深く考察したことはない
そういう発想すらない
漠然としている

将棋は難しいと皆 思っている
しかし 意外に単純なのだ

駒の差

桂馬と銀の交換
桂馬と金の交換
銀と金の交換
玉側の金がなくなれば
将棋の終わりが見えて来る

①交換手
②非交換手

将棋には2種類の手がある
序盤は②ばかりだ
②では駒得も駒損もない
②では駒の差は生じない
「待つ将棋」には駒得も駒損もないのだ

大山康晴にしてみれば
それらは無駄な動きなのだ
意味のない もったいない動きなんだ
重要でない動きなのである

しかし 将棋の半分はこの無駄で構築される
これが将棋の性質だ

A.大山は左側では相手が攻めて来るのを待つ
黙っててもやって来る
受けることで駒得を目指す

B.一方 玉側では 大山側から積極的に動き
安い駒でより価値の高い駒の攻略を計る


A.浮き飛車にはしない

B.穴熊にはしない

大山康晴がなぜ こうするのか?の理由
全ての答えは「駒得主義」から来ている

それと もっと大事なことは
「大山哲学」を相手にさとられない
ようにするということである
どんなに素晴らしい「戦略」であっても
相手にさとられたならば
価値は消滅してしまうのである