誕生日 苦手 嫌い  | 読んだり書いたり

読んだり書いたり

読みたいし書きたい、いろんなことがしたい人間の紆余曲折がここにあります

お仕事の連絡はこちらにお願いします nrmw19@gmail.com

今日は誕生日だ。
そう思った瞬間、胸の奥に小さな違和感が生まれる。
祝われるはずの日なのに、気持ちは少しだけ身構えている。

私は誕生日が好きじゃない。
理由を説明しようとすると、いつも少し言葉に詰まる。
嫌な思い出があるわけでも、誰かを恨んでいるわけでもない。
ただ、人に期待する自分と、気を遣いすぎる自分が、この日にいっぺんに顔を出すからだ。

期待なんてしなければいい。
そう思っていても、完全に期待しないことはできない。
「おめでとう」と言われたら嬉しいし、
覚えていてもらえたら心が温かくなる。
その気持ちがあるからこそ、
何も起きなかったときに、静かに落ち込む自分が現れる。

誰も悪くない。
悪いのは、勝手に期待して、勝手に傷つく私だけだ。
それが、とても疲れる。

もうひとつ、誕生日が苦手な理由がある。
それは、周りに気を遣わせてしまう気がすること。

祝われる側になると、
喜ぶ役割を与えられる。
ちゃんと笑って、ちゃんと感謝して、
相手の善意を無駄にしないように振る舞う。

でも私は、その「ちゃんと」が苦手だ。
自分の感情よりも、場の空気を優先してしまうから、
終わったあとにどっと疲れる。

だから私は、誕生日が来るたびに、
何も起きなければいいのに、と思ってしまう。
特別じゃなくていい。
いつも通りでいい。

そんなことを考えていると、
『不思議の国のアリス』に出てくる
「なんでもない日」のお祝いを思い出す。


誕生日じゃない日。
特別な理由もない日。
それなのに、帽子屋と三月ウサギは、
大げさなくらいにお祝いをする。

あれはきっと、
理由がないからこそ祝える日なんだと思う。
誰かが主役になる必要もなく、
期待も、役割も、感謝の言葉もいらない。

誕生日は、理由がありすぎる。
生まれた日という事実が、
期待や意味や感情を次々に連れてくる。

一方で、なんでもない日は、
ただ存在しているだけでいい。
何者にもならなくていいし、
誰かを喜ばせなくてもいい。

私はたぶん、
誕生日よりも「なんでもない日」のほうが好きだ。
何も起こらないことに、
安心できるから。

誕生日を特別にしないのは、
自分を粗末にしているからじゃない。
むしろ、自分を守るための選択だと思っている。

もし誕生日が苦手な人がいたら、
それは冷たいからでも、ひねくれているからでもない。
期待しすぎない優しさと、
気を遣いすぎる不器用さが、
この日に表れているだけだ。

今日は、私の誕生日。
でも同時に、ただの一日でもある。

「なんでもない日」でいい。
静かで、特別じゃなくて、
それでもちゃんと生きている日。

それだけで、今日は十分だ。