元宮城県民による東日本大震災のこと | 本をめくったりしながら生きてる

本をめくったりしながら生きてる

読書と物づくりが好きな人間の日記、本の紹介などを更新します◉


今は九州の福岡に住んでるんですが、今日夕方に九州で地震がありまして、私の住んでるところは震度3くらいだったんです。震源地では6あったみたいで、なんだかふと震災のことを思い出したので、少し書いてみようかなと。


東日本大震災の時は3日前に震度5、6くらいの地震があったんです。当時中学生、高校入試の試験中で「これ以上揺れる場合は避難となります〜!」って言われたのを覚えてるあれが本震だと思ってたけど違ったんだなあ。

東日本大震災の当日、中学校の卒業式の日でした。式自体は終わって、卒業パーティー、みんなでわいわいごはん。たくさんのご馳走が運ばれてきて、さあ余興が始まるかな〜なんて頃にあの大地震。みんなの持っている携帯から沢山の警告音。どんなふうに揺れたとかあんまり覚えてないけどあの音が怖かったなあ。あと胸騒ぎというかもう心臓が耳の横に移動しちゃったんじゃないかと思うくらい心臓の音が聞こえてた。みんなでテーブルの下に隠れて、揺れで料理がどんどん床に落ちてくる。泣いちゃう子もいて、初めて見るパニックで、このまま地球が終わっちゃうんじゃないかって。実際は地球は終わらなかった。終わらなかったけど、地球はひび割れた。ウソ。道路がひび割れてた。

一瞬にして大混乱。ネットは繋がらないし、電気はつかない。水道から水が出ない。家に帰ろうにも信号が機能してなくてあちこちで車が渋滞を起こしてる。みんなパニックになってコンビニやスーパーに入るけどレジが使い物にならなくて長蛇の列。並んでる場合じゃないってってね。でも連絡取る手段もなく、安否の確認もそこそこに食べる物や水も心配だったんです。

あとガソリン。ガソリンスタンドもすごい列だった。

田舎だったのもあり、オール電化の家は少なく、ガスが主流だったので辛うじてコンロは使えたのが生命線でした。水があればお米が炊ける。2、3日は溶け始めていく冷凍庫の中身を調理して食べる。さあ水だ。みんな水を求めて給水車に並んでペットボトルに水をもらっていました。

お風呂に入れないのも辛かったですが、地味に辛かったのがトイレ。断水のせいで流れないんですね。でも飲める水を流すのは勿体無い。でも流さないとニオイが辛いんですよね。そこで役立ったのが湯船に溜まっていた水。これをバケツで汲んでトイレのタンクに入れて流すことでなんとかやりくりしていました。

結局、水が出るようになったのは4日目くらいだったかな。蛇口から変な音がしたと思ったら、少し濁った水が出てきて、少し流していたら綺麗な水になっていったんです。涙が出るほど嬉しかったです。実際出たのは水道水なわけなんだけどね。3月のまだまだ寒い中でしたが、思いっきり顔をバシャバシャ洗いました。今思えばあの水、本当に綺麗だったのか、調べる術はなかったけど謎。迷宮入り。

津波の被害が酷かった仙台港に父が働いていて、ずっと心配だった。父は地震が起きて5日後、突然家に帰ってきた。(そりゃ電気がダメになってるのでネットも繋がらず連絡する術がなかったので突然になるのはしょうがないのですが)道だったはずの道とはもう呼べない場所を自転車で何時間もかけて。生きてた、嘘じゃないんだと何回も確認して泣いた。帰ってきた父の話を聞いてからすぐに家族みんなで炊けるだけ沢山のお米を炊いておにぎりを作って、持てるだけ沢山の水を空いたペットボトルに汲んで仙台港へ持って行った。
同じ宮城県でもこんなに被害が違うんだと絶句。吐き気が止まらなかったし、行くんじゃなかった。と後悔すらしました。
あれはいつもの平和な日本じゃなかった。自販機を壊して中から飲み物を出してみんなに配る人、避難して誰もいない家に泥棒が入った話を聞いた。津波でたくさん沢山の大切な人、大切な物が流された。あとモラルも流された。そしてそのままになってた、どうにかしたいけど、みんな余裕がなくて自分のことで精一杯だったから。ビール工場のビール缶ががたくさん流されて転がってた。被害の大きい人たちは飲めたとてビール缶なんて目もくれない、でもそれをわざわざ拾いにくる少し遠方の被害の少ない人たち。海水で動かない動けなくなった沢山の車、どうしてそんなところにあるのって場所に車や船が乗りあげてた。
被害の酷いところに行ったことを後悔していると書いたが、実際少々トラウマになった程度で必要な危機管理が備わったと前向きに考えたい。

地震から一週間経って、電気が戻り、ネットがつながった。沢山の安否確認のメールが、一週間前という過去から届いた時やっと自分のなかで一旦区切りがついたような気がしたのを覚えてる。

その後も大きな余震は続くし、停電は何度も起きてたし、津波に巻き込まれ亡くなってしまった従姉妹のお葬式があったり、沢山のお店が潰れたし、高校入学は1ヶ月弱延期になった。放射能による被曝の可能性があるとかで、雨の日は外に出るなとか、外に洗濯物を干すなとか。
ガソリンがなくなるっていうデマとか、トイレットペーパーが売られなくなるっていうデマとかね。

まだまだ色んな思い出がたくさんあるんだけど、なんだか思い出したくないような

でも地震のアラームが鳴ると、少し大きい長めの地震が起きるとまたきっと思い出す。
私の人生の中で怖かった出来事。

また今度思い出したら記事書きます。