ANAグループでQ400が飛び始めてから2023年11月で20年。これに際して20周年行事の催行を2023年5月開催伊丹空港空楽フェスタや9月開催福岡空港空の日イベントにてANAウイングススタッフへ私はリクエストしていたのだが、20周年の日に当たる11月1日の1週間前の10月25日(水)に記念行事の件がANAサイトに載った。

 そこには20周年当日に記念イベントを実施とあり、伊丹~高知NH1607便出発時・1608便到着時に行事催行とのこと。私がこれをネットで見たのは当日15時台で、15:28に旧特割相当運賃で当該便予約完了。めでたく20周年記念フライトへ乗れる見通しとなった。

 

 1週間後の2023年11月1日(水)、晴天下の伊丹空港南ターミナルに11:50到着。1607便は13:50発ゆえ私が来たのは出発2時間前、今から記念便出発前の様子を見る魂胆であり、12:00過ぎに8番搭乗口へと達した・・・通常の光景であった。

 けれども時間が経つにつれて旅客機趣味者と思しき客が来始め、ANAウイングススタッフもやって来て記念フライトの雰囲気が高まる。13:00を回ればそれらスタッフがエプロンへ出て整列し、記念便充当機材を迎えるという段取りと思われ、20周年記念行事はそこから始まるという訳か!

 

 13:14頃どこから飛んで来たのか把握していないがこの後1607便となる機材がスポットイン、先のスタッフが降機動線に沿って並び、この後降りて来た客を迎えていた。それから13:25に2階搭乗口前へ上がって来て1607便搭乗に備える。

 関係者挨拶等は実施されないがこちらには運航乗務員・客室乗務員がおり、そして青いTシャツを着たスタッフもわんさか。取材陣も来ており、機長・CAが記念品のステッカーを持つところを撮っていた。私を含む趣味人もだが。

 

 機長たちは改札向こうの通路へ移動、記念品を手渡す準備へ。13:37に改札が始まり、私はグループ4だけれど機材がQ400ゆえあまり待つことなく通り、記念品のステッカーを頂戴した。

 エプロンへ降りたら、わ、ステア下に並んでる。それが落ち着くまでスタッフと立ち話、「エアーニッポンネットワークからのスタッフはおられますか」等々。

 見送りの様子を撮るべくあちらこちらへカメラを向け、横断幕は2ヶ所で掲げられて「快適な空の旅をお楽しみ下さい」と「ご搭乗ありがとうございます」の2種。機体前輪を見たら、なに、841やて~!? NextGenやないんかい!というより、20周年記念便に際して20年前の初便に充てた初号機を今ここで充てるか~!

 

 そんなふうに半ば興奮状態でステアを上がり、後方へ進んで18Cに着席した。13:47にドアが閉まった時点で後方に空きは見当たらず、前方を見ても同様、即ち74席満席となっていた。

 この状況が記念フライト目当ての旅客機趣味者で占められたものとしたら凄みを感じるけれど、そういう層でない普通の移動客もいる。けれども後方は趣味人で固められた感があった。

 機体右側に見送りスタッフが並び、841Aが動き出す前から手を振っている。13:52にランプアウト、通路側から見送りを撮り、これで伊丹出発行事は一段落。いっぽう機内ではCAが20周年アナウンスを入れ、こちらに於いても記念の雰囲気が維持されていた。

 

 ランウェイ32Rから13:59離陸、14:05ベルトサイン消灯。14:08に入ったキャプテンアナウンスでは高度16000フィート、そしてQ400就航20周年の紹介だ。現在24機が運用され24の空港に就航、燃費が良い等の特長が告げられる。

 機内サービスはトレイに載せてのドリンクサービス。アップルジュース・スープ・お茶・ホットコーヒーとメニューは豊富で、私はジュースとスープを頂いた。ベルトサインが14:23に点灯したので、18分でこのドリンクサービスには感心する。

 晴天の中を飛び四国へ。14:29ギアダウン、そして内陸側へ回り込んだ後ランウェイ14に14:32着陸。33分にわたる飛行の後、2番スポットに14:34停止。かくして機内では乗員の声による20周年行事が催されたのであった

 

 降機時点では復路は往路と同一クルーと思いきや、ボーディングブリッジを渡り終えた所にクルー1組。交替!? 復路で実施しようと思ってたことがあったのに、とは後の祭り。おや、841Aを見たら操縦席から機長たちが手を振っている。こちらも手を振り返し、それから帰阪準備へ移ろう。

 1608便出発の15:05まで少し時間に余裕があり、一旦到着口を出て高知空港ANAカウンターを見に行くと、Q400就航20周年を告げるものは無くて通常の装い。それから保安検査場そして1番搭乗口前へ行けば、1607便に乗っていたグループ一部が折り返し手続き中。御一行様で固まって搭乗口にて即折り返しとは初めて見た。

 

 1607便CAの2人が搭乗ロビーへ出て来て、私はこの場にて20年前のQ400初便搭乗時撮影画像を示した。エアーニッポンネットワーク社長たちがテープカットを執り行っているのは此処です、という具合に20年前の1番搭乗口の様子を説明すれば感嘆の声を上げる2人のCA、と記しておこう。

 これで往路セルフ記念行事は終了、復路でも同様のことをするつもりで14:58搭乗開始時刻を迎えた。

 

 思い返せば20年前の今日も1601便で飛んできて即折り返しだった。降機したらエプロンで客を迎えるA-net社長と握手し、1階カウンターの様子そして1番搭乗口前での就航行事を見て折り返し便へ。

 往時も今日も晴天の下、違いは午前と午後、1階にQ400就航の掲示があったこと、それから20年前はオープンスポット。ターミナルを出た所からQ400の胴体が長いことを改めて感じた・・・という私のQ400搭乗はA-netでの就航初日が初めてではなく、この年2月JAC Q400就航初便から始まって同社で5回乗っていたから。

 

 高速ターボプロップ機が2社に於いてともに2003年に就航。そのスケジュールは前年2002年には知らされており、私は就航前からこのターボプロップ機が迎える新時代に心躍らせていた。そして就航したらJACでもA-netでも胸がすくような飛行を味合わせてくれて、私はもう賛辞を贈るしかなかった。

 後にエアーセントラルでも就航し、我が国で機数を増やすQ400。ところが良いことばかりではなく、機材トラブルも多く聞くようになり、そして2007年3月JA849Aが高知で胴体着陸。周囲ではQ400を責める声が上がり、同型機支持の私は赤っ恥をかかされた思いだった。

 

 後にトラブルは落ち着いた節があり、2010年からはA-net・CRFでQ400NextGenが入り始める。Q400の後継はQ400NextGen、これが幾らか増えたところでJALグループ・ANAグループのそれぞれのQ400は異なった過程をたどり始めた。

 JAC Q400はJALグループが取った機材構成策に従ってJ-AIR Eジェットへと置き換わり、11機全機が2018年12月までに退役。同社Q400は20周年を迎えることはなかったのだ。いっぽうRACの機材更新が2016年以降新規導入Q400CCによって進められ、2023年末では5機が現役。

 

 2010年10月にA-netとCRFがANAウイングスに統合され、ANAグループQ400はそちらにNextGenを含んだ14機全機が引き継がれ、以降も2013年までに7機のNextGenが加わり、合計21機で導入終了。この次の導入機種である三菱MRJを待つ態勢に入った・・・ところが納入延期によって2017年にQ400NextGenが3機追加。

 これらが20周年の1607便キャプテンアナウンスで述べられた24機だが、これを耳にした時に胴体着陸後に修繕しても抹消となってしまった849Aが、入らないはずが入ってしまった463~465Aのことが頭をよぎった。

 

 エプロンでは横断幕を掲げた見送りがあり、そのもようを見てボーディングブリッジへ進む。復路1608便の席は18B。15:06ドアクローズ、こちらでも空席を視認出来ず、よって満席で乗客は74名。客層は往路同様普通の移動者、旅客機趣味者。

 15:08プッシュバック、機内ではCAが20周年アナウンス。15:13タキシーアウト、ランウェイ14から15:17離陸、15:21ベルトサイン消灯。その前の15:20に副操縦士からアナウンスが入り、高度は15000フィート。そしてQ400就航20周年アナウンスが日本語・英語で告げられ、日本語のほうはQ400の安全性・信頼性・快適性・ボーイング747との燃料比較等のQ400の特徴紹介であった。

 

 復路ドリンクサービスは往路から変わって冷たい飲み物だけで、よって本日はホットコーヒーを飲みそびれることになってしまった。けれども119マイル路線でのそのサービスはやはり嬉しく、ジュースを頂くことにする。

 そのあとセルフ機内イベント、さあCAよ、デビューフライトの様子を見よ!

 復路では私も機窓を眺めたら左下に徳島空港を視認、15:39にベルトサインが灯った時は熊取上空であった。ギアダウンは15:46、伊丹空港ランウェイ34L着陸は15:50、復路飛行時間は33分也。

 8番スポットに15:52停止、降機後に記念品を頂けると知らされ、そしてエプロンへ。往路出発時同様にスタッフがダーッといるが、陽光が弱まりその様子を見易くなっていた。私は往路出発時に実施しなかった初便画像公開をここや2階で実施、さすればやはりスタッフは見入る。CAや伊丹に居たスタッフの中で今日の記念行事に於いて最も印象に残った客は、この私に相違あるまい・・・!?

 

 1607便出発前にA-net OBのことを話したスタッフや機長たちと話している間に、他の降機客は8番搭乗口前からいなくなって客は私だけになっていた。この場で私が振った事柄は私自身がエアーニッポン史に関心を有していること等で、周囲へ日本近距離航空!と叫んでいた?とにかくNKA史をネットを探しても見当たらず、1974年当時のNKA発足や1976年休止の頃はどうなっていたのかと。

 さて客がいなくなったということでスタッフはオフィスへ、私も次の用へと向かうが到着口前は同じ方向なのでなおもスタッフと話しながら歩く。ANAウイングス社長も今日は東京からこちらへということで、同社にとってもQ400 20周年は一大行事だったとうかがえる。

 

 喜ばしい就航20周年、それはそうだろうけれど最後に私の本性を判らせるかのようなことに触れておく。今日の20周年は、果たしてANAウイングスは手放しで喜べるか、Q400が24機揃っているのは望ましいことだったのか。私は三菱MSJ/スペースジェット開発中止の件を。

 もしMSJが2021年に就航していたら・・・スタッフと話すのは全然違う光景が今日は見られたでしょうね~等々。既に退役機が出始めている中でのQ400 20周年。伊丹でも周囲にMSJ M90が駐機している中でのQ400記念便出発、これが望ましい場面であったのは論を待つまい。

 けれどもMSJは飛ぶことは無く、いっぽうQ400 24機が健在。100席以下機の快適性をJALグループと比較した際、ANAウイングスメンバーはどんなことを思うか。

 

 そのQ400も2026年以降退役と2023年6月に報じられ、さすれば代替新規導入機種選定作業が2024年には為されようかと。いずれにせよQ400退役予定が報じられたことで、ANAウイングスのリージョナル戦略仕切り直しが一般にも判ることとなった。

 そしてその辺の話からNKAまで、地域またはリージョナル航空について話し思い巡らせたことも私のQ400 20周年イベントに於ける大きな収穫となっている。