2011年10月26日、ボーイング787全世界1番機がANA成田→香港チャーター便として飛んだ。

 これに一般人が参加するにはチャーターツアー購入「権」を抽選で獲得せねばならなかったが、高倍率のため私は外れ。その日夜RACに乗っていた私は、CAから「行かなくていいんですか?」と心配されたが、事情を説明して納得してもらう。

 同型機本邦国内線1番機は翌週11月1日の羽田→岡山NH651便で、私はコーヒーが有料となったANA国内線普通席には哀しくて乗ってはいられず、従って国内線初便予約そのものを見合わせた。プレミアムクラス?取れる訳なかろう。

 これら経緯から私はFDAやJ-AIRで、ANA国内線787就航以降「自身の787初搭乗はJALデビュー便で果たす!」と豪語することになった。

 

 けれども「JALに於ける787デビュー」とはいつなのか?「2012.4.22ボストン」は2011年初夏では表明されていたが、それに先立つ「3月末北京・デリー・モスクワ」の「3月末」って3月の何日??

 JALご意見ダイヤルに電話しても不明。それどころか「3月末」が「4月末」になり、従ってデビューはボストン行き。いや、ボーイング次第ではそれも判らん。

 結局3月半ばでも私は未予約状態だったが、ボーイングから日本へ来るのが3月21日プレスリリースで「3月27日」と発表され、これで4月22日のボストン行きが787のJALデビュー。同日プレスリリースには「初便記念ツアー」も載り、こちらは3月22日から発売。私は意を決し、かつて通っていた大学の授業料1年分に匹敵する28万円弱のJALPAKの初便ツアーを申し込んだ。

 

 2011年2月28日ホノルル発~3月1日成田着JL75便がJALボーイング747-400国際線ラストフライト、これに続く那覇発JL3098便の成田着を以って日本航空におけるボーイング747の歴史は終わる。

 その日JA8089充当JL75便に乗った私の次の国際線搭乗は、その日から1年1ヶ月以上を空けた2012年4月22日。成田~ボストンJL8便、充当機材JA822J。

 自身の国際線搭乗史に於いて「JALボーイング747ラスト」に次ぐのは「JALボーイング787デビュー」である。

 

 搭乗当日の7:15頃に成田空港でJALPAKツアー参加手続き。ここで「ドリームライナー&JAL」ネックストラップを頂き、これを首に掛けてツアー参加を明らかにし、15人の参加者は8:45からオペレーションセンターへ向かった。

 玄関前ならしょっちゅう行くが、入館は初。広い部屋にテーブルが置かれ、そこで客室乗務員がブリーフィング中。へぇ~、こういう所で出発前の打ち合わせをするのかと思っていたら、JALPAKコンダクターから1人の機長を紹介された。この方こそがJAL 787にとっての重要人物であり、これから初便の左席に座るのだ。

 

 この後ディスパッチへ行き、ディスパッチャーから航路説明を受ける。これから乗る8便の燃料・代替空港について聴いたが、質疑応答で私が訊くのは「低気圧の近くを通るが、揺れることは無いのか」とか「目的地近くに前線があり、これだと向こうは雨ではないか」ということ。自身の気分はコックピットクルーだったが、回答は前者は雲がかかっていないので揺れない、後者はその通り、であった。

 T2本館3階に戻って一旦解散。私はカウンター前の787モデルとそこで世話をする整備スタッフたちを撮ったり、成田~ボストン就航記念演奏を見たりで、チェックインロビーでも祝賀ムードが高まっていた。

 

 出国し、サクララウンジで間食を取った後で70番ゲートへ。今日のJL8便搭乗口がそこであると示すスタンドが置かれ、何か特別感が漂う。

 階下に下りたら「!」、これが成田のゲート行事装飾及び人出か!いやはや我が地元・伊丹空港におけるJAL行事と大違いで、例えば2010年10月1日J-AIR E170伊丹就航の時の人出は何じゃい!と思ってしまった。

 就航行事は、記された文字を見る限りでは「ボーイング787」よりも「成田~ボストン」に重きが置かれている感があり、10:05から始まったその中での千葉県知事・成田空港関係者の言葉はやはりボストンのことが主だった。いっぽうJAL社長は機材のことにも触れ、そして機長の挨拶は787のこと、それに私は姿勢を正した。

 加えて何より「成田らしさ」を強調するのが「サプライズゲスト」。それは芸能人で、その登場では撮影制限がかかった。伊丹ほかの行事が撮影し放題なのとは大違い、等々思ううちテープカットを以って10:33頃行事終了。

 

 搭乗改札までは少々間があったので改めて見回ると、787やJALスタッフのパネルが立てられたり、記念品紹介コーナーがあったり。そうか、こういうのを後でもらうのか。

 改札が始まり、記念品入り紙袋を頂き、JMBサファイア会員の私もこの場ではツアー団体の一員としてバスに乗り込んだ。

 ランプエリアを進めば先程オペセンから見た2機のボーイング787が近づき、JA825Jの横を通りJA822Jの前から回り込んで停車。大勢のスタッフ・報道・横断幕、雨が降りそうな空の下でのこの模様は1年1ヶ月前の747ラストと同様だが、今回は気持ちとしては晴れ晴れしいデビューフライトである。

 

 バスから降りてもすぐにタラップを上がれる状況に非ず。この賑わいを見届けたり、ツアーメンバーで記念撮影したりで、僅かな時間でも目をあちらこちらに向けねばならず、かなり集中力が求められる。

 この時「航空情報」誌カメラマンに私の単独記念写真を撮ってもらったが、後日送られた画像では私よりも後方にいるスタッフに見入ってしまった。その鮮やかな笑顔は787就航を喜ぶものか、はたまた私の妙なポーズへのものか。

 ようやくタラップに足を掛けても、その上から見るエプロンや787デビューを表す客室エントランスにも一見の価値があり、私の神経集中状態が続く。やっと客室へ足を踏み入れ後方へ、新造機内客室カラーには清涼感を覚えながら歩く。

 そして最後列55Hにたどり着けば「はぁ~」。その姿にCAは「出発前からお疲れのようですね」、返答の台詞は「そりゃ、ここまでの行事を見てきたらそうなりますよ」。

 こんなやりとりをする空間は「新鶴丸塗装機」の中。昨春から導入された新鶴丸機だが、その塗装機材に私が乗るのは今日のJA822Jが初であり、鶴丸機には2008年5月31日JL138便以来の搭乗だ。その前回は先代鶴丸機のラストフライトであり、ボーイング777-200・JA8985機内におけるキャビンスーパーバイザーの万感こもるアナウンスが思い出されるのだ。

 

 「JAL 747ラスト以来の国際線搭乗」は昨秋以降狙ったことだが、先代鶴丸以来の鶴丸機への搭乗については、2011年3月1日~2012年4月21日におけるJALグループ航空会社60回搭乗のうち1度も無く、たまたまとはいえ787初便が私の新鶴丸機初回になったことには、まことに感慨深いものがある。

 ドアクローズ、ディスパッチでは186席中予約は185名と聞いたが、実際は空席が若干数見られ後に報道で知ったのは181名。隣席には福岡からツアー参加の方が座り、私はフィルムカメラで見送りシーンを撮りましょうと勧める。

 機体が動き出したのは11:46。ドアが閉まってからやや時間を要しているが、これは成田出発混雑に巻き込まれたからと機長から787初便挨拶とともに説明された。

 11:51タキシーアウト、くるりと回れば右席からでも見送りの様子がばっちり見え、そして両サイドで構える消防車から放水アーチ、隣席の方へ「シャッターを!」。もう1回見送りが見え、タキシングから見所が続出している状況だ。

 ランウェイ34Lエンドにたどり着き、テイクオフロールスタート。第1ターミナル送迎デッキに多数の人を視認し、JA822Jは曇天の下で12:13離陸。この先雲の上に出て、主翼に記されたレジストレーションは日が傾くまでずっと陽光を浴びていた。

 

 12:25にベルトサインが消えると日本時間24:21まで消えることはなく、その間にカート使用ドリンクサービス~15:00頃に食事~20:20頃にリフレッシュメント~22:30頃に2度目の食事と飲食サービスが行われ、長距離国際線サービスを満喫する。機窓についても夜を挟む間にアンカレジの街の灯とその向こうにオーロラが見え、夜が明けた後はカナダの湖の数々を臨むことが出来た。

 またMAGIC Ⅴを本格的に用い、今まではエアショウしか見なかったが今回は邦画を楽しむ。「スカイマンガ」なるものが大きくPRされていたが、私が読みたくなる作品が無いのでこちらはパス。惜しむらくはエアショウに不具合が生じたようで、ボストンへのアプローチを画面で捉えることはできなかった。

 

 JALボーイング787就航&成田~ボストン線開設初便の客層はといえば、多数の旅客機趣味人が御祝儀搭乗するのを事前に想定したが、エコノミークラス144席ではその比率は1割にも満たないような気がした。

 「787初便ツアー」参加15名でも皆が皆旅客機趣味者という訳でなし。確かにディープな方もいたが、例えばメディア取材搭乗者の顔と名を一致させる趣味者がエコノミークラスでは私だけだったということを取っても、毎度のレギュラー趣味人が少なかったことを示していよう。

 従って客室を動く趣味人は4~5名に限定され、昨年10月26日のANA B787デビューに乗った取材スタッフへ訊いてもこのJAL初便はANA初便に比して「ずっと静か」とのこと。これには隣席の方・相模原南西空友会会長・私が終始比較的おとなしくしていたせいもあろうが。

 

 けれども従来の私の図太さは変更無し。「この席だと機内食のチョイスが」と言う隣席の方へ「じゃあ先にリクエストしときましょう」と私。CAへ食事内容を訊き、私は洋食をリクエスト。後刻その通り食することができたが、ここで付いたデザートが「チョコクッキーアイス」で、これをチョコレートが苦手な隣席の方が食べず、CAが「お口に合いませんでしたか」と気を遣うと私は「じゃあ僕が頂きます」と「ど厚かましさ」全開。

 ところで国際線ホットミールを食べるのは昨春のJL75便以来でその旨をVAへ告げるが、加えて「国内線なら有料ですが先月食べました」と私が本邦LCC Peachへ3月だけで4回乗ったことも伝えておく。なに!友人がPeachにいるって!?

 こちらエコノミークラス担当CAには5名がおり、それぞれと話したりJA211J「俺JET」画像を見せて驚かせたり。国際線ではおなじみの飛行経路マップ、これがギャレイに掲げられることになるが、それのみならず「787デビュー」を示す装飾が至る所に為され、特にラバトリー内のオブジェが秀逸でそこでも私は写真を撮っていた。うーむ、WC内で写真を撮らせるか~。

 

 「太陽のアーク」塗装のボーイング787を梅田のJALプラザ大阪で見てから、いったいどれほどの時間が経ったことだろう。そしてこの間または近年のJAL関連の出来事を思えば、市内営業所縮小・路線休止・地点撤退等々JAL利用者にとっても辛いことが数多く在った。

 客である私がそこで受けた心のダメージ、それが癒えるにはまだ時間を要するだろうけれど、減らせるだけ減らした感のある中から再起動するJALに、幾らかの明るさと力強さを感じることもある。

 鶴丸をまとったボーイング787は、J-AIRが伊丹の主となったことと合わせて、私は復活JALの象徴と捉える。

 

 そのJAL 787デビューに乗れることへ私は周囲に感謝の意を表するとともに、今回の国際線搭乗をJAL 747ラストからダイレクトに続くものとしたことも、それは自身の情念・執念に拠るものである。

 昨年7月にトリトンブルーをまとった787を伊丹で見た時、その斬新さに惹かれてANAデビューで乗ろうとしたものの、それに外れそして搭乗時の魅力が私には減じられていた同社国内線での787搭乗を見合わせてきた結果JALでの搭乗。今日のことを思えばANA香港チャーターに外れたのは良かったのだ。

 JA822Jはそういう私の情念や歴史を込めて飛ぶ。けれども機内で私はそれを前面に出すことなく、記念品を頂戴出来たこと、セレモニーを見られたこと、賑やかな出発を見られたことに満足していた。だがプロのスタッフは私の執念・情念に追い討ちを掛けるかの如く魅力的言動を発する。

 

 2度目の食事にはWEBに載っていたドーナツがあり、そしてボストン名物といわれる「クラムチャウダー」なるものが出た。前者は市中で食べるのよりも小さく、後者はアメリカ入国後に2度食することになり、機内食についても何らかの話がつきまとう。

 その行路後半ともなれば夜が明けているのだが、787の日除けはシェードを降ろすのではなく窓ガラスの色を調節して光を遮るというもの。そのため色を変えなければその席はいつまでも夜であり、他の席に陽光が射すのを見てとっくに夜が明けていたのを知るところもあった。

 さて機内取材陣には「エアライン」「航空情報」誌だけでなくテレビ東京「カンブリア宮殿」もいて乗客にカメラを向けたりインタビューを取ったりし、私も乗り心地についてコメントを求められた。私が言ったことは国内線普通席に比して、あるいは国際線でもかつてのJAL 747のエコノミークラスに比してシートピッチが大きく、横8人が並ぶシートの1人当たりの横幅も他に較べて広く感じられ、また客室全体も広く感じるので居住性は良好、国際線に乗るなら787!というもの。

 そこでTVクルーが返したことは「787はANAでも飛んでいますが」、そうか、JALの787のアドバンテージを答えよということか。「ここまで乗ってきて感じられたのは、JALが客をもてなす心。それは私がJAL国際線に乗り始めた頃から変わらず、その心配りにおいてJALには一日以上の長があると思う」、と言う私のJAL国際線搭乗歴は実はまだ12年にすぎないのだ・・・。

 

 およそ12時間ぶりにベルトサインが灯ったのは日本時間4月23日の午前0:21、降下そしてボストン・ローガン空港へ進入するが先述の通りエアショウは不具合で見られず、よってヘディングは不明。持参の方位磁石で確かめることもできたが、なぜか異国ではほったらかしにする私である。

 で、雲の下に出ると成田のディスパッチで見た通り天気はよろしくなく、海を右手に見てアプローチ、0:37ランディング。どのランウェイだ?この件は翌日機長から聞き、それはランウェイ04Rであった。

 日本では真夜中だがボストンは22日の午前11:40台、JA822Jは先導車の後をタキシングするがそのたどり方にコックピットでは「?」となっていたそうな。とにかくついていけばこの地でも放水が行われ、先に記せばボーディングブリッジを渡り終えた所でも民族衣装をまとっての歓迎の演奏があった次第。うむ、これらも初便到着にふさわしいシーンである。

 

 スポットインは現地11:47、最後列席ゆえ降りるのは後のほうだったが、そこへCAが私へフライトデータを持ってきてくれた。素性がバレバレやないかい、って上空での振舞から判るな。前方では私たちが降りるのを待つデッドヘッドCAがおり、その中の1人が私に目を見開いた。

 「お会いしました・・・」「ええっ!」「静岡発で私の前に座ってらして」「福岡行き3810便!!」、そのCAは2009年6月4日の静岡空港1番機・静岡発福岡行きJL3810便乗務。ここボストンにて私とがっちりと再会の握手。あれから3年、よう俺を憶えとったことよ。だがその真相は、当人が開港当日の静岡空港関連ニュースを録画しており、そこに出る私を見ていたから!

 「僕はあの後も静岡へ10数回行っています」「私はあの日だけです」「!」、けれどもMD90が入っていたのは同年10月末までのおよそ5ヶ月だけであり、それを取り上げても近年のJALの苦難がうかがえよう。しかしながらそういう客室乗務員とJALボーイング787初便で再会する、これも何かを象徴している気がする。

 さて私が「25日に帰ります」と言えばCAはがっかり。というのは当人は明日23日の成田行きJL7便乗務だから。私は「また会えますって!」。

 

 再会といえばもう1件。ドアから出たところに社長!いや会長!「ホノルルから帰って来た時以来でございます!」と握手、だが会長が私を憶えていたかどうかは知らん。それ以前に私が747ラストで成田エプロンへ降りた時に「快適なフライトでした!」と言った相手が社長だったとは、実は後で知った。

 かくして私は北米初上陸、到着ロビーを見回していたらそこへJL8便コックピットの4人のキャプテンが出てきた。JALボーイング787デビューフライトは、最後の最後まで気が抜けなかったという訳である。

 

 「わぁ、ジャンボですね」、私が示した主翼の画像に機長は目を細めながら声を発した。続く画像について「ラストフライト、乗られたんですか」「ホノルルまで行って、そこから乗ってきました」・・・2012年4月23日ボストン市内のレストランに於けるやりとりである。

 初便搭乗翌日のツアーイベントには冒頭に787初便機長との懇親会があった。JAL 787運航の中枢として成田初便行事でも挨拶したキャプテンは747-400や777にも乗務。それらのみならずJALPAKスタッフが紹介する機長乗務歴の中には、上の2機種だけでなくダグラスDC10とボーイング737-400もあって、これに俄然私のテンションが上がった。

 私は「ディーテン」とか「フラワージェット」とか発して、他の多数の参加者や取材に来たテレビ東京クルーを置き去りにするかのような名詞を吐きまくる。機長の口からも「DC10で啓徳ランウェイ13へ降りる時は目標を見定めて」とか「山形空港進入においては」とか出て私は大喜び。

 私も12年前の1月に山形→名古屋でフラワージェットに乗り、何よりその年3月のJAL国際線初搭乗機種がDC10。まったくこの繋がり方には、もう何やねん!?と思うくらいだ。

 

 成田からボストンまでJL8便に乗った後は、「747以来の国際線」「初の新鶴丸」搭乗への感慨があり、3年前に会っていたCA・JAL会長と会ったことへの感動に浸っていたが、懇親会で機長と話せばさらにこの搭乗が自身の中で重みを増した。

 尽々JALPAKツアーに参加して良かったと思うのだが、そのツアーの中身も懇親会等を含んで濃いものとなったこともあり、「JAL 787デビューフライト搭乗」は自分史において大きなウエイトを占めるに至ったといえる。

 さて帰国もJA822Jだったが、これが24時間ディレイというJAL同型機史上初の大幅遅延となった。そうして1日遅れの4月27日(金)に帰国、これを以って私のJALボーイング787デビュー搭乗ボストン往復は終了。JAL 747-400によるハワイ往復以来の海外渡航、その間にあった東日本大震災やJAL路線縮小といった試練、それらを経てJALに新型機が飛ぶ。その事実に次なる希望を垣間見た思いだった。

 

 成田空港から帰宅する者がいればテレビ東京クルーのように会社へ戻る者もいる。だが私はもう1レグ、成田18:30発伊丹行きで帰阪するのだが、搭乗手続きへ行くと1便前のJEX伊丹行きに予約があり、これはJALのご厚意によるものだが、所定通りというか魂胆あって1日遅れでボーイング777-300ER充当JL3007便へ。

 この後ここや本館3階のファーストクラスカウンターで787エコノミークラスキャビンについて説明しまくるのだが、スタッフは興味を持って聞いてくれていた。そしてオペセンに勤務するJALメンバー兼旅客機趣味界先輩へ挨拶しておこうと国内線到着口前ベンチに座っていたら、見覚えのある顔が出てきてそれは「キャプテン!」。

 本日の勤務を終えて出て来る787初便機長とばったり!ボストンのレストランにおける懇親会以来の再会だが、私へ開口一番「御迷惑をお掛けしました~!」。

 オペセンで7便クルーから状況を聞いているだろうが、私からも機内の様子を説明。ともあれ今回ツアーは出発日にオペセンで機長の話を聞くことから始まり、今ここでまた会う。最初と最後がキマった感があり私は興奮を覚える。

 こうして一般旅客とJALメンバーとの絆が深まっていくのだと改めて思った。

 

 伊丹行き777-300ERへ乗ると、「お帰りなさいませ」「ただいま」「どちらからですか」「ボストンからです」、これにCAが何らかの感慨を抱いたのは24時間遅れで着いたからか、まだ成田へ3便しか着いていないJAL 787乗客の1人だからか。

 ドアクローズ前にCAへ787画像を見せびらかし当人を感動させ、さらにスーパーバイザーが最後方57Gにいる私へ787搭乗者であると知って話を聞きに来る。話すのは「こちらに較べて787キャビンは明るく、シートも良い」ということ。

 なおこのJL3007便は時刻表では成田18:30→伊丹19:50というところ、成田ランウェイ34L離陸が19:29~伊丹32L着陸が20:25頃とやや遅れたのだが、これで全旅程が終わる私は苛立つことも無く、着陸後CA何名かに787のことを言いまくりであった。

 思い返せば昨年3月1日でもホノルル発JL75便から乗り継いだ3007便で、「747ラスト」や「新鶴丸」の話をしたなあ。という訳でJALワイドボディ機の旅は面白いのだ。

 

 こうして伊丹空港到着口に戻ってきたが、この時間帯はJ-AIR伊丹帰着便が多数、いやもうピークは過ぎた頃か。1ヶ月前の3月25日だが、こちらも「JAL復活」を表す国内線再開路線・花巻→福岡再開初便に私は乗っており、J-AIR CAへ「JALボーイング787初便ツアーから帰阪すれば、J-AIRに報告できるかも」という内容を話していたが、そして本日・・・あ、知り合いCAの姿。

 「これコレ」とデジカメ画像を見せると、「大井さん、乗られたとか?」「そうです」。私の生涯搭乗1093回目と続く1094回目に記されるJALボーイング787、この機種もまた人と人をつないでいくのだ。