2023年3月29日(金)午前の函館市街地は晴れ。本日の私の旅程はここから1日1便のJ-AIR伊丹行きで帰阪するだけで、そのJL2124便が函館空港13:50発なので私には朝からかなり余裕がある。よって函館駅から市内有名観光地近くを通りながら函館空港へ向かうバスに乗り、いわば大回りして空港へ。

 午後、5番搭乗口の向こうにあるのはUSJジェットJA252J。振り向いて待合客を見たら、95人機内はかなり混みそうだ。そちらへは13:40搭乗開始だったが、グループ1・2で通るのは私を含めて2名だけ。後続が乗り込み、13:52にドアが閉まって34H席から席の埋まり具合を見たら、乗客数は80人台後半~90人台前半、私より高めの年齢層割合が大。私の過去6回の搭乗時同様の、団体レジャー客比率が大きいJ-AIR函館~大阪線である。

 

 13:55プッシュバック、14:01タキシーアウト、ランウェイ30から14:05離陸。上昇中右下に競馬場等函館市街を視認、函館山もよく見えた。14:09にベルトサインが消え、前方及び後方ギャレイからCAがカートを出してドリンクサービス開始。私はホットコーヒーを頂く。

 巡航中も下がよく見えたのだが、右側席ゆえしばらくは海ばかり。14:46に入った副操縦士からのアナウンスでは高度36000フィートで佐渡上空、いっぽう客室では機内販売で商品はハンカチ2種とCAミラー。それでは私からは逆フライトログを。

 割と好天で且つ北海道から大阪へとあらばCAにも余裕が生じるのか、2人のCAと話す時間を取ることが出来た。そこでは私が訊くだけというのも何なので、ここは面白そうなデジカメ画像を見せよう。4月からJ-AIR社長が交替となるので、それでは5年前の新社長の姿を!これを見たCAの台詞は「若い!」。

 

 振り返れば2013年3月31日にJALグループとして大阪~函館が再開してからの私の搭乗は、今日を含めて7回。その間充当機種はCRJ→E170→E190へと大きくなり、今日の客の入りを見たらよくぞCRJで飛ばしとったなと思う。尤も提供座席数を増やせば利用者は増えるのだが、CRJ200の50席客室でも団体御一行様はいた。考えてみたら、旅客50人乗りCRJをレジャー路線に充てていたという珍しい例になるかも。

 因みにJ-AIR再開前、休止前のJALは関空~函館を飛び、機種は270人乗りボーイング767-300。1997年6月に「前売り28」で普通席に乗ろうと2ヶ月前10:00にJALへ電話したら、いきなり全運賃だったように憶えているが満席を告げられ予約出来ず。今から思えば団体枠で一杯だったのかもしれん。

 なおこちらへは1998年12月に函館発で1度だけ乗ったが、この時はスーパーシートでそちらにずっとおり、普通席の様子は見ていない。否、キャビンスーパーバイザーにコックピットへ案内され、少々の間機長と話しとったなあ。

 

 下を見ていたら14:53頃能登半島先端を視認し、さすれば能登空港は何処・・・発見。さらに進めば、能登島も見えた。その後若狭湾沿いを飛び15:18には舞鶴市街を臨み、そして15:19ベルトサイン点灯。ヘディングを南へ取り、15:22篠山市上空。大阪府へと入り、伊丹空港を遠くに臨みつつ南下。15:28枚方市山之上、ヘディングを北西に変えて15:31東大阪市長田。

 天六で曲がること無くいつもの降り方で伊丹へ、ランウェイ32Rに15:36着陸、23番スポットに15:39停止、ただしボーディングブリッジの先は24番である。

 ターミナルへ達すると搭乗口の所で待機する交替クルーがおり、外を見たら黄色いコンテナ。CAは「どのフライトだったんですか?」、それ、俺が乗員みたいな訊き方!いっぽう私は黄色いコンテナを指し、それを見る確率の低さと運の良さを説明。一緒に居たCAが「私も幸せをお裾分けしてもらいました」。本日の旅程、ここまで。