ORCの2022年11月14日プレスリリースによると、ATR42-600がいよいよ2022年12月5日(月)に長崎へ来るとのこと。そして同社ロゴが2023年3月1日から刷新され、夏にはATR路線就航を迎える。

 かくして新型機就航及びQ200退役に向けての動きがORCそして私で高まってきて、12月5日の大阪からの遠征は見合わせたが自身に時間がある12月19日(月)に長崎へ行くことにした。ATRを見てQ200で壱岐へ飛ぶ、そんな目論見だったが、5日のATR到着は延期!まあよい、よくあること。ATRを見られなくても、Q200に乗るだけでもよいのだ。

 

 伊丹からJ-AIR E190で長崎入りし、一旦1階到着口を出てANAカウンターでORC43便搭乗手続き。ただし私は伊丹からJAL~JAL乗継運賃で購入しており、よって搭乗券にはJAL4043便と記載される。

 1番搭乗口での搭乗開始時刻は15:35、優先客案内が始まり、先に自分がJGC会員である件を言っていた私はそこで通ることになったが、なんと優先客は私だけであった。プライオリティ客はおらず、かくして係員に案内されて一番にエプロンへ。

 現在飛んでいるQ200はJA802Bと803Bの2機。4月の壱岐往復で乗ったのは803B、さて本日の壱岐行きはどうか。8月9日に長崎へ行った際、ORCスタッフへQ200運用を訊けば803B優先使用とのこと。それに倣って今日も803Bかな、前輪のふたに記された数字は「03」、そうであった。

 

 「802に乗りたかったんですが~」とCAに言って後方9D席へ。15:45ドアクローズ、空きを数えたら9席あって、よって乗客は30人。15:50ランプアウト、離陸はランウェイ32から、今回はDASH8にしてはゆったりしたスタート、これは長崎空港滑走路や海上空港であることからか。15:55空へ。

 離陸後に飛行状況アナウンスが入って、高度は8000フィート。15:59ベルトサイン消灯、CAがマップを持って回り、この時私はLLPコードシェア初日逆フライトログを進呈、それから戻り便でマップを頂けるようリクエスト。

 

 ということで、4月に続いて今回も壱岐「行ってすぐ帰る」フライトだ。いいかげん少しは島の様子を見て、と思って当初は空港到着後は壱岐交通で印通寺港へ、それから唐津行きフェリーに乗るつもりだった。だが何らかの事由でORC壱岐到着が遅れたら唐津行きその日最終便に乗れない・・・という事態を怖れて「目の前の機材に乗る」ことを優先。

 2007年12月にORCで壱岐へ飛んで来た時は到着後バスで郷ノ浦へ抜け、そこから博多行きフェリーに乗ったのだが、思えば往時は遅延想定無しの怖れ知らずだった。

 16:03ベルトサイン点灯、16:10ギアダウン、壱岐空港ランウェイ02に16:13着陸。飛行時間は18分強、私の知る中では標準的所要時分だ。16:16スポットイン。

 

 私が壱岐空港を初めて訪れたのは2001年7月15日(日)、ORC DASH8就航初便に乗って来た。滑走路へ向かって左側にORCカウンターがあり、同年秋には右側にIIA/壱岐国際空港カウンターが設けられた。

 あれから21年が経ち、IIA路線は廃止、ORCカウンターはターミナルへ入れば真正面の位置へ移り、今日はここで戻りの44便搭乗手続き。なお帰りはANA運賃で購入したので、搭乗券記載はANA4644便である。

 保安検査を通った後の搭乗待合室も拡張され、IIAカウンター及びオフィスのあった所も待合腰掛が置かれ、幾つかの区画に分かれているというレイアウトだ。私はIIA跡に座っていたが、その航空会社の名は今や知る人ぞ知るというものかもしれん。

 

 西日を受けるJA803Bへ、コックピット左席の機長へ会釈してからステアを上がり、そしてCAへ「ただいま~」。復路の席は3Dだが空いている3Eへ移り、帰りは右窓からの機窓をしっかり見ることにした。

 16:36ドアクローズ、目視で乗客は26名、16:40ランプアウト。タキシング中に海の向こうの九州や夕陽を臨み、そしてランウェイ02から・・・こんどは長崎を出る時とは違って天草で味わったのと同様の急加速、これは滑走路長1200mゆえか!とう感慨を抱かせ16:44離陸。

 上昇、右旋回、眼下に壱岐空港、そして夕陽。CAが高度9000フィートを告げるいっぽう、帰りはベルトサイン灯りっぱなしとなった。

 

 下に街が見え、佐世保でないが幾らか大きいその地は、後で調べたら平戸。壱岐→長崎は今回が5回目の搭乗だが、まだまだ航路下の眺めには慣れていないのだ。

 慣れていないといえば、私のDASH8窓側着席もそうで、その訳は通路側に座るのがほとんどだったから。今日見たく機窓を楽しもうという意図が無ければ、その時はもう100%通路側席。その方が客室を観察し易いから・・・私を通常の旅客機趣味人と見てはいけない。

 で、足元に壁面が迫って狭いのだが、これを除けばATR42・72に比して開放感がある。AMX・JAC・HACで乗って来たATRは、通路側に座っても窓側に座っても頭上に圧迫感があるのだ。いっぽうATRには窓側足元に狭さが感じられない・通路幅が広いといったDASH8に対するアドバンテージもある。

 

 大村湾を左下に臨み17:01にベルトサイン点灯、長崎空港へは左旋回の後正対、ランウェイ32に17:04着陸。離着陸時に旋回を伴ったからか、復路所要は19分。壱岐20上がり・長崎14降りならどれ位短くなったやら、と興味を抱くがそれをQ200で確かめる時間がいよいよ限られつつある。ATR42-600へ替わる前にまた壱岐へ行ってまたすぐ折り返す??

 17:08にスポットイン。オーバーヘッドストウェッジの角に頭をぶつけた時に備えたクッションが付けられるが、たとえ中古機材でシート柄も先に2機とは異なるJA803Bであっても、そのクッションは801・802Bのシート柄だった。

 

 最後に降りることになったが、逆フライトログに目を通していたCAからLLPコードシェア開始に当たって不手際があった旨を詫びられたが、私は「そんな俺のことよりも、ORCに大事と思われることがありまして、それは今日でJA802Bが長崎へ来て21年!」、CAは「ええっ!」。

 2001年12月18日(火)、長崎発鹿児島行きORC531便機内にてCAへ向こうに停まっているエアーニッポンQ300・JA802Kについて言及したら、CAはORC DASH8の2号機が明日長崎到着と教えてくれた。よってJA802B長崎飛来は2001年12月19日。本日はあれから21年、ゆえに私は802Bに・・・という訳だった。

 

 ともあれ今回のORC搭乗は終わったが、まだORC趣味活動は残る。翌12月20日(火)、晴天下で空港ターミナル北方のORC建物が集まるエリアへ、目的は現ロゴ撮影だ。

 とにかく「ORC」を撮るが、その看板の中に以前の画に上書きしたと思われるものがあって、よく見たら「上五島」「小値賀」・・・!これをたまたま通りかかった女性スタッフへ私は興奮して言ったものの、当人入社は近年で逆に話題を提供?

 その後男性スタッフが来て、ATR初号機到着遅れの件をボヤく。来るのは明日午後で、今から帰阪する私は怒り心頭・・・とはならず。