RACを組み込んだ行程で大阪~那覇を往来、というのを私は実行したことがある。もちろんRACには大阪就航実績は無いので乗り継ぎを伴う行程となるが、幸い同社には那覇~与論・奄美という県外路線が設けられているので、これを活用することで「RACで帰阪」「RACで沖縄へ」が実現出来る。そう、RACは「沖縄へ行ってから乗る」だけの存在ではないのだ。

 ただし、私のその案の実行は2001年3月の那覇→奄美→伊丹のRAC~JAS、2005年8月那覇→与論→鹿児島→伊丹のRAC~JAC~JALの2回だけ。

 前者は名瀬訪問、後者は与論Q400就航というイベントがあってのこの旅程。単なる帰阪ではなかったが、それぞれで那覇を発つ際には「RACで沖縄を離れる」という妙な感慨に浸っていた。

 

 しかしながら逆コースが無く、いつかは大阪→那覇に最終行程でRACに乗り、そして「今から沖縄へ行くところです」とRAC機内で言ってみたい・・・と同社CAに言ったら感心されたこともある。

 けれども特に2012年以降関空発LCCや神戸発スカイマークの那覇行きと較べたら費用が数倍要し、そのため「やっぱり安く」と考えてしまい、うだうだしているうちに2022年へ。

 

 この間の2017年8月にJ-AIRが奄美へ就航し、ここに沖縄往来にてRAC~J-AIRという新たな乗り継ぎパターンが生じた。

 広島西飛行場を基地に19人乗りEMB110で運航を始めたJ-AIR、その名を有する航空会社で沖縄往来!とはいえこれより前でも福岡乗り継ぎによってJALグループ利用那覇往来が可能で、2016年2月に那覇→福岡→伊丹をJTA~J-AIR乗り継ぎで那覇から帰阪したことがある。

 

 いやいや、やはり南へ行けるところまで行ってRAC乗り継ぎでしょ!とは思うものの上で記したように費用の割高さが障壁となって・・・というところに、2022年1月18日発表路線便数計画を見たら奄美~那覇からRAC撤退。詳しくは7月15日(土)からこの1往復をJACへ移管し、奄美→与論→那覇→奄美というように片道は与論寄港。奄美諸島~那覇が強化された感があるいっぽう、J-AIR~RAC乗り継ぎが不可に!こりゃ腹を決めねば。

 2022年7月1日の「JTA 55周年」に合わせて沖縄遠征へ、現地へ向かうのは前日6月30日(木)、そこで懸案の乗り継ぎを実行とした。「今から沖縄へ行く」・・・この台詞をJ-AIRとRACでCAに向かって発する時が来るのだ。

 

 当日朝6:20頃、伊丹空港北ターミナルJGC保安検査場にてタッチ&ゴー。ん、ご搭乗案内が出て来るまでが長い。いつもより遅いタイミングで発行、わ、紙が長い!

 2020年7月の与那国→那覇→羽田→伊丹以来の3便乗り継ぎ発行だが、今回は伊丹→鹿児島→奄美→那覇のJ-AIR→J-AIR→RAC。充当機材は95人乗り→76人乗り→50人乗りと小さくなっていくのも味わい深く、且つ旅客定員だけ見たらあたかもE190→E170→CRJ200の如し。いや~、この長い1枚だけで幾つものことが頭に浮かぶ。

 

 その1レグ目は鹿児島行きJL2401便、22番搭乗口にて6:50改札開始、機材はJA253J。34C席に座ったら後方担当CAへ長~い搭乗案内を示し、「沖縄へ行きます」。遂にJ-AIR機内で沖縄へ行く旨を言えた!と自分で感動。いっぽうCAは「RAC」に反応か?

 7:02ドアクローズ、7:05プッシュバック、7:11ランプアウト、ランウェイ32Rから7:23離陸。かなり空いていて乗客数は目視20人台、用務からレジャー、年齢層も様々という平日早朝便である。

 ベルトサインは7:31消灯、左手に関空を近いところから臨んでおり、熊本以北へ向かう便とはルートが異なると改めて実感する。ドリンクサービスはカート1台使用、前方からサービスに当たる。

 

 操縦室から7:44にアナウンス、現在高知市上空高度32000フィート、時速850km。南西へ進み、右下に宮崎市街・空港・青島神社を臨み、8:09ベルトサイン点灯。西進してそして右折、今日は鹿児島空港へ北側から降りる。8:20ギアダウン、8:23ランウェイ16着陸、10番スポットに8:25停止。

 私が鹿児島へJ-AIRで来るのはしょっちゅうあり、よってここまでは沖縄へ行く気持ちといつもながらの鹿児島行きの気持ちが混ざっていた。けれども頂いたメッセージには「本日は沖縄にて」と記されており、J-AIRに乗って南下そして沖縄へという念を改めて強くする。

 

 乗り継ぎ便は10:15発JL3727便。9:55に9番ゲートからE170・JA219Jへ、19Cに座ってCAへ先と同じく伊丹発行の搭乗案内を示すが、鹿児島から乗って奄美へ向かう私が新鮮に映ったと思われる節があった。なお私は今日は沖縄だが明々後日に北海道へ行くことへも言及、このためJ-AIR乗員みたいと思われることに。

 10:06ドアクローズ、10:09プッシュバック、10:13ランプアウト。使用滑走路の向きが変わりランウェイ34から10:17離陸、薩南方面行きなので左旋回して機首を南へ。

 

 私が同日中に順方向でJ-AIRからJ-AIRへ乗り継ぐなんて過去あまりなく、今回で5回目だった。2010年8月伊丹→山形→新千歳、2012年7月伊丹→新潟→新千歳、2015年4月新千歳→花巻→伊丹、2017年10月徳之島→鹿児島→伊丹、そして今回である。

 その今回は初めて「E190からE170へ」であり、前者34C・後者19Cからともに最後列通路側に座って前方を見たら、E170客室は短い!と否応なく感じる。普段でもそう感じていたが、短いインタバルで乗れば尚更だ。E170がかつてのCRJ的存在になったと一層強く思う。

 

 10:21ベルトサイン消灯、飛行時間の関係から当便機内サービスはキャンディバスケットを持っての巡回である。前方客がキャンディを摘まんでいく様子を見ていて思ったのは、さっきの2401便とは客室の雰囲気が違う!である。

 種子島屋久島を10:32頃臨み、その後でCAへ上記の感慨を述べた。私が言われたのは生活路線であり、用務での利用比率が大きい、等々。先の伊丹発2401便が早朝の鹿児島行きで客数は少なく、利用者の容姿もまちまち。対してこちらは76席中半分以上が埋まり、男性用務客が主。同一都道府県内または地域内であればこういう客室空間になるのだろうか。

 

 伊丹発と雰囲気が異なる別の理由として、今回の機窓にもある。ずっと洋上飛行で、左右ともに海か島というのは薩南方面J-AIRでしか見られないもので、やはりさっきと違う。

 ともあれ機内サービスは簡素だが、何か心が高揚するJ-AIR薩南フライト。それは南へ南へと向かっていることでもある。

 10:51ベルトサイン点灯、10:55左方に喜界島を視認。そのまま降下し大島北端を右に臨む10:56にギアダウン、これはランウェイ21進入だ。私は03進入で左方に島を臨みながらというのを期待したが、逆。着陸は10:58、242マイルの所要は41分台。

 

 オープンスポットに11:01停止し、降機後は南の島のエプロンを歩くことになる。CAへ「次のRACでも私が知るCAと会うでしょう」とJ-AIRからの連続性を強調した。

 ところで3727便の2人のCAはともに大阪人。このため奄美空港が伊丹と化したかのようになり、JA219Jから降りて屋外を歩いていても伊丹23番か24番で降機したみたいであった。

 ターミナルへ入ればえらく人が多く、途端にレジャー色が濃くなった。それはこちらの前にボーイング737-800充当伊丹発9:15発JL2465便が着いていたからで、当該便は10:50着。

 

 J-AIRから降りて伊丹着便と重なるとは、私の頭は再度大阪脳へ。続いて鹿児島発スカイマークも到着しており、奄美ってえらく発着便数が多い気がしてきた。

 鹿児島へ戻るJA219Jが喜界島をバックにランウェイ03から離陸し、そのシーンに私の頭はいよいよ南国モード。3727便で頂いたメッセージには「美味しいものをたくさん召し上がって」とあったので、よしゃあ、鶏飯を食べたるで~。だが空港のジョイフルにそれはなく、しょっちゅう食べるグラタンに落ち着いた・・・。

 

 搭乗ロビーへ入ると、そこには2018年7月1日(日)運航開始JACアイランドホッピングの初便行事使用幕が飾られており、4年前のものがまだ掲げられてあることに私は往時を思い出す。

 4年前私は逆方向のJAC那覇発初便に乗るはずだった。だが台風で欠航となり、その前にこちらで初便行事を執り行った後飛びたったATRも、台風接近のため最初の寄港地徳之島で打ち切り。その時の恨みつらみを偲ばせるため今も掲げられているのか。

 那覇発Q400CCがランウェイ21に滑り込む。さあ沖縄だ、とはいうものの奄美発着RACは7月14日までで翌日からJAC移管。RAC那覇行きとJAL鹿児島行きが上下に並ぶ搭乗口上表示を眺め、そして移管の件をグランドスタッフと話す。それに関して大阪の話を振れば奄美に居ながら吹田の話題となり、さあ大変、私の頭は沖縄から大阪へ戻った。ここは伊丹か~。

 

 13:40搭乗開始。妙な気分のままエプロンへ降りて歩き、前輪のところ記された「1RC」を見て「ああ、またかいな」、と思った時点でやっと頭は沖縄行きに。

 ステア上のCAへ言うのは「また81です~」、これが挨拶だったというのは無意識に且つ完全にRACへ乗る態勢に入っていたということだ。即ち大阪からいきなり沖縄モードへという、これまで無かった経験をした訳である。

 従来なら関空からJTAに乗り、737-800機内で島言葉挨拶を聴き、Coralwayに目を通して徐々に沖縄脳へ換えていったが、今日はそのプロセス無し。

 

 入って右側の物置台にあるバスケットからキャンディを摘まんで後方11H席へ。どんどん客が来て、13:52ドアクローズ時点で目視30人台。とにかく7割前後の利用率。今日は南下するにつれ機材は小さくなるいっぽう、利用率は上がってきている。要は混み具合が高くなってきている次第。

 CAへ搭乗案内を示して自身の状況説明、「大阪からJ-AIRを乗り継いで奄美まで来て、今からリュウキュウエアーで沖縄へ向かいます」。ついでながら、その自分の台詞に自分で感動してしまった。そう、今日ばかりは「沖縄へ行ってからRAC搭乗」ではなく、「沖縄へ向かうのにRAC搭乗」なのだ。

 

 13:57ランプアウト、ランウェイ21から14:02離陸。那覇への最終行程が始まりに際し、現在は奄美パークとなっている旧空港敷地後が見られた。ベルトサインは14:07に消灯、先にキャンディセルフサービスがあったので巡航中のそちらのサービスは無く、CAは地図を持って巡回。本日それの英語版を初めて見た。

 14:15に徳之島を、14:26に与論島を臨み、鹿児島県を離れる。沖永良部は11Hからだと死角に入っていたかな。

 与論といえばJACのかつての南限で、同社就航地は大阪であると思っている私には与論までが大阪、辺戸岬から先が沖縄なのだ。

 

 14:27その辺戸岬を遠くに臨み、沖縄の空へ。与論発だと近くだったが、奄美発だと辺戸岬はえらく遠かった。なお7月15日から移管されるJACの那覇行きは与論寄港なので、この高さ・距離から辺戸岬が見られるのはRAC那覇行きが飛ぶ7月14日までかもしれん。

 因みに私はRAC奄美線に乗るのは2001年3月12日(月)以来で、往時は逆方向奄美行きだった。で、その時の眺めだがDHC-8-103の1H席に座って私を除く37人の客層を見ることを優先、外は見ていなかった。

 それを思えば、2度目は那覇行き・後方席・Q400CCと、初回とは変化を持たせられている。

 

 本島を左手に臨む14:30にベルトサイン点灯、14:34には伊江島を近くに見る。14:42ギアダウン、那覇空港ランウェイ18Rに14:45着陸、199マイルの飛行時間は21年前那覇行きが49分だったのに対し今回は42分台。後でCAから頂いたデータを見たら、巡航20000フィート、速度は520km/h。

 私の場合やはりQ400ということで速度に目が行ってしまうが、たぶん向かい風を受ける南西向き行きでのこの値は「高速ターボプロップ機」ならではの値と思いたい。

 

 そのいっぽうフライトタイムは短くてもブロックタイムが長いというのがあり、那覇到着時は地上走行が長いのだ。いつものオープンスポットではあるが、停止は14:53で着陸8分後。お、JAC ATR42-600が駐機中。Q400CCとの並びを撮りたくばランプバス車内から狙うのがよかろうが、動く車内からゆえチャンスは一瞬だ。

 降り際にCAから先のデータを頂くとともに「JTA 55周年、楽しまれて下さい」。今回訪沖主目的は、明日のJTA運航開始55周年でもあるが、今日のJ-AIR~J-AIR~RACによる那覇行き駆け込み3レグもその1つ。特に最後のRACは気分的に大阪発?とにかく私の心は充実していた。