2021年11月4日(木)昼頃、JALコミュニティサイトtrico「JALトーク」頁に以下の内容が載った。

 突然ですが、皆さんは北海道エアシステム(以下HAC)の「SAAB340B型機」にお乗りいただいたことはありますか?

 民間機では最後のSAAB機となるSAAB340B型機は、1998年の運航開始以降23年半にわたりHAC保有の3機で延べ約385万人のお客さまにご利用いただきましたが、このたび退役することが決定しました。

 そこで、これまでご利用いただいた皆さまに感謝の気持ちを込めて、“ラストフライト”としてチャーターフライトを実施します!

 

 主催はJALPAK、申し込み受け付けはこの日14:00からWEBで。その内容たるや、定期便運航終了後売却整備のための鹿児島への回航便に便乗するようなもの。フェリーフライトをチャーター便として販売するか~。

 12月27日(月)に丘珠から鹿児島へ、途中三沢と中部に寄港。私がツアーに参加する際は、日帰り参加というか片道のみの搭乗だ。で、その額は窓の無い席へ押し込められる感じの12C席の99000円はさておき、1人で機窓を楽しもうと思えば最低でも140000円・・・!2017年12月26~27日の1泊2日「J-AIR CRJ退役記念チャーター」115000円を上回る。

 最終的には第1希望14万円、第2希望15万円、第3希望17万円コースで申し込んで抽選待ち。発表は11月14日(日)~11月17日(水)、キャンセル発生時の繰り上げ当選通知は12月3日(金)まで。

 

 翌週11月11日(木)JALエリアニュース15:00発表、なに!定期便ラストフライトがチャーター前日の12月26日(日)やて!

 当該便は釧路11:50発丘珠行きJL2862便、早速予約画面を開けたら「キャンセル待ち」。往路丘珠10:35発釧路行き2863便も同様。ではその前の函館往復は・・・特便割引で空席有り。

 定期便最終の当日はHAC SAAB函館発ラストの様子から見るべく、前日函館入りして当日は函館8:45発丘珠行き2740便からスタートしようと思い、同便特便1を購入。その後たぶん取れると根拠無しに思う釧路への往復、翌日は鹿児島へ。かくして2泊3日の行程、さて費用はどう工面しよ?

 

 7月時点での予約画面では10月31日が最終日で、その時点でSAAB最終便は満席表示。ところが8月下旬になると、11月26日(金)夜の女満別往復が最終となっており、10月末だったのを延ばしてこの日が定期便運航では最終と判断し、私は8月28日に当該日女満別往復とその前の釧路往復を購入した。

 ところがメディアでは「秋ごろ」だったSAAB退役が「年内退役」と記されるようになり、それって12月中ってこと?案の定11月26日ではなくなったが、12月になると降雪・天候不良で欠航という事態も考えられ、先に乗れる機会があれば乗っておこう。

 そうして私は11月14日に、ラストとは関係無しにJA02HCで丘珠→函館搭乗を果たしたのだが、この時たまたま一緒になったエアー北海道ファンクラブWO執行委員と12月26~27日について会談。特に鹿児島行きチャーターについては、ラストフライトというプレミアが付いた、完全に旅客機趣味者の足元を見た価格設定!と2人で断じていた。

 なおその日はチャーター当選通知初日であり、WO委員が携帯電話通知に神経を注ぐ。来た!と思ったら「ご搭乗のお礼」メール・・・。

 

 11月17日夜までにJALPAKからの電話は入らず、その後12月3日夜までにも入らず、この時点で私の丘珠→鹿児島移動はなくなった。さて26日定期便ラストの後はどうやって帰阪しようか。当日中に北海道から離れるか、翌朝チャーター便丘珠出発を見届けてから帰ろうか。

 もしチャーター便が取れたら26日朝の函館発2740便搭乗を止め、倹約のためチャーター便搭乗に専心する案もあったが、それは消滅。またキャンセル待ちで取れた際の丘珠~釧路往復5万円投資には、チャーター参加費が浮いたのでこれでためらいがなくなった。・

 

 定期便最終日の10日前、12月16日(木)にその最終日概要がエリアニュースに載り、最終日行事対象は丘珠~釧路の1往復のみ。

 函館往復ぶんは何も無さそうだが、11月11日発表ではわざわざ当日のSAAB充当便を記しているくらいだから何かあるかも。否、何も無しでも私は予約のとれているぶんに乗ろう・・・、いやいや釧路往復が取れたら函館発を止めて、いやいやいや既にHACへ俺が2740便に乗ると郵便で伝えてある。という具合に悩む日々が続く。

 だがいずれにせよ私は定期便最終日当日には丘珠にいなければならない、と自分へ言い聞かせる。自身の2011年からの行動を顧みれば、旅客も対象とするHAC歴史的場面には同席しなければならない気がするのだ。

 

 12月20日過ぎからの天気予報では不穏なことが伝えられ始めた。週末この冬一番の寒波が到来、道内空港の天候不良の怖れが高まってきた。渡道前日にJAL運航状況を見たらHACには要注意印。だがそれで釧路往復を取り止める客がいて私は当該便を確保、なんてことも考えるがJALからのその通知は無し。

 キャンセル待ち期限は出発24時間前だが、12月25日のその頃私はJ-AIRで伊丹から函館へ向かっていた。天気のことが気になり、離陸時の気分は真っ暗。けれども2人のCAとのやり取りで幾らか晴れ、そして13:02函館到着。既にこの日からHAC函館発着は降雪のため要注意となっていた。

 

 カウンターへ行きキャンセル待ちが確保されたかを訊いたが、席は取れておらず。これ以降は自分でまめに予約画面を見るしかない。もしそれで取れたら、今晩の夜行バスで札幌へ移動し明日の釧路往復に備えよう。明朝函館にSAABが来ない怖れがあるからだ。

 いっぽう25日午後の函館空港だが、雪で視界が悪くなる時もあれば函館山が見える時もあり、時々刻々状況は変わっていく。その中で丘珠からのSAABが着陸。これを撮りそして離陸も撮るつもりだが、ドアクローズ後デアイシング作業が入ってランプアウトしない。出発予定時刻の14:05は過ぎ、デッキには雪、早く上がれと思い続け、そして14:37ランウェイ30からの離陸を見送った。

 

 函館空港を19:10発函館バスで出たのだが、それまでの間は翌朝2740便の席を指定したり、空席状況を訊いたり。

 日が暮れてからカウンターでのやり取りを聴いていたら、え、明日のHAC丘珠行きは朝1便だけ!? 明日のHACはどうなっているのか。

 WEBを見たら、ありゃ、明日の2便目からは欠航。丘珠~釧路も1番往復のみ運航で、後は欠航。他の丘珠発着は全て欠航で、要するに明日飛ぶHAC便はSAAB充当便「だけ」。SAAB定期便最終運航につき、意地でもそれだけは飛ばすという感じだ。でもこれで釧路往復の席は取れそうにないと思った。

 加えて明日HACは全線全便のうちで2往復しか飛ばず、それだけ天気が怪しいという訳。函館に来ないこともあるので、その際は昼のJ-AIRで帰阪すべく空席ある伊丹行き2124便を予約。ともあれ私がこの先SAABに乗れる可能性があるのは、翌朝の2740便に絞られた。

 

 氷点下10度近くの函館市内、私は雪降る中を歩いてセイコーマートへ買い物。けれども翌朝9時頃の予報は風も降水確率も25日14時台並み、つまり本日丘珠からSAABが降りた時間帯と似ており、予報通りなら2740便は運航されるだろう。私はやや26日朝の天気を楽観視するようになった。

 翌12月26日(日)朝、晴天下で函館駅前7:40発の帝産バスに乗る。バス乗り場に10数分前に行くと、案内スタッフは「今日は冷えますね。いきなり来ましたね」。ということは昨日からの寒さや雪は今季初、そしてそういう時にSAAB定期便ラストなんて・・・。

 そのラストは、これから私が乗る予定の2740便となっていた。WEB運航状況を見たら、昨夜は運航予定だった丘珠~釧路1往復が今朝になって丘珠空港雪のため欠航・・・!? ってことは、函館からの戻りがラストフライトやん?でも、そんなことってあるんかい?私は半信半疑だった。

 2014年3月31日ANAウイングスQ300ラストフライトでは、所定スケジュール時間帯では三宅島火山ガスのため目的地空港着陸不可。だが羽田空港T2館内アナウンスでは「しかしながら本日はQ300ラストフライトでもあり」とまで流れ、出発を遅らせまくった末に羽田から離陸したことがある。よって今日のSAABもと思ったが、そういう訳にはいかない事情もあるのだろう。

 

 バスは8:00に空港着。席が2Bであることを自動チェックイン機で確かめ、そして3番搭乗口に8:07到達、エプロンの上は青空。発着状況をスマホで見たら丘珠発2741便のこちら到着予定は8:18、ただし丘珠へ引き返す場合もあると加えられている。ま、この天気で引き返すとは考えにくく、やがてエプロンでグラハンスタッフたちが動き始めた。

 けれども100%万全という訳ではなく、こんどは出発掲示に丘珠悪天候時新千歳へ向かう旨が載っている。そういうところへグランドスタッフが「THANK YOU SAAB」パネルを用意し、たぶんSAAB充当便出発前にのみ出されるもの。気分が高揚して来た、函館発を見に来た甲斐があった。

 

 来た、ランウェイ30にSAAB機影が見えた、その時刻は8:19。2741便は8:22にスポットイン、これで私はSAABに乗れると思いつつ同機にカメラを向けていた。この時搭乗口前で撮影に興じるのは私を含めて数名、しかいないのか?? 案ずるなかれ、旅客機趣味者の多くは今JA02HCから降りて来るところなのだ。その降機が始まると、ああ、やっぱりエプロン撮影会が始まった。

 8:40に搭乗改札が始まったが、ここまで新千歳ダイバートには触れられたけれど、SAABのことは無かった。条件付き運航の下ゆえラスト云々には触れられなかったのかもしれないが、用意されたTHANK YOUパネルが2740便充当機種がSAAB340B-WTであることを現わしている。

 

 階下へ下り、エプロンを歩く。晴天下にたたずむJA02HC後方には朝の太陽、通常の搭乗だが実は定期運航再最終日であり、最後はやはり晴れ晴れしくというところだ。

 8:44にステア側に回り込んだら私は先月CAたちにも見せたHAC史料を用意し、それを示しながらステアを上がる。すると、私はCAからいきなり「大井さん!」。これで最終日運航の雰囲気が私の中では俄然高まった。

 私が機内へ入ったのは早く、2B上のストウェッジへ荷物と服を押し込んで着席し、それから乗り込む客を見ていた。WO委員も乗り込んで来た。今朝2741便でスタートし今へ至るのだが、ここで私へ「釧路行きは空席待ちですか?」。「それ、発着案内だと欠航になってます」と言えばWO委員の表情が変わった。

 

 この事態に私は「本当に釧路往復は欠航なのか」と思えてきた。今私が乗るこの2740便が定期運航ラストフライト?そんなことがあってええんか?それに釧路行き、そして丘珠行きラストフライトに乗るはずの客はどうなる?

 ステアが収納され、8:59ドアクローズ。2列目横には窓が無く、前後窓の隙間からようやく外が見られるがエプロンの様子は判らず。昨日カウンターで2Bを指定する際、荒天で飛び上がっても下はどうせ見えないでしょうと豪語していたが、やはり外は良く見えたほうがええわ・・・。

 

 CAがアナウンス、「この便はSAAB機最終便でございます」・・・えええ!「最終日」搭乗のはずが「最終便」搭乗になってしまった!

 再び、そんなことがあってええんか?と思う。天候回復を待ち、丘珠から釧路へSAABの臨時便を急遽飛ばすという手は無いのか?等々案じるが、もうこの先は成り行きに任せる。

 9:05にタキシーアウト、ほとんど外が見えないので方位磁針でヘディングを推測、南南東へ向かってタキシング中。この後ランウェイ30を滑走、9:08離陸。右後ろの窓の隙間から外を見ると、陽光を受ける函館の街がちらりと見えた。

 

 ベルトサインは消えないだろうと思っていたが、上空はそうでもないようで9:15消灯。CAアナウンスには「本日このフライトをもちまして、定期便運航を終了いたします」が入り、ああ、これがHAC SAAB定期便ラストフライトなんだなあ・・・。

 たまたま乗ってそれが記念便とあらば嬉しいところだが、運航状況を知りながらこれに嬉々としていたら、それは他人の不幸を喜ぶのと同じ。何とも複雑な心境だ。いっぽう自身のことも忘れず、CAへ「頂けるSAABグッズがあったら下さい!」。後ではがきサイズ記念カード2種と搭乗証明書が届けられ、後者には既に私の名が入っていた。機内で記した?否、その様子は見られなかったので、既に丘珠で用意していた?

 

 コックピットアナウンスが9:19に入り、それは当便機長によるもの。「本日この便をもちまして」「23年にわたり」とSAABラストが告げられたが、それのみならず機長にとっても40年の勤めを締めくくるラストフライトだった。最後は後輩たちへの言葉で、客室では拍手が起きた。ここまでで、これは好いフライトだと思った。

 それからCAがキャンディサービス。袋にキャンディ2個とメッセージが封入され、それをバスケットから希望客へ渡されていく。9:24ベルトサイン点灯。

 

 後ろを向けば枕カバーの見える席があり、即ち空席があり当便は満席にあらず。けれども30数名はいたと診る。定期便最終運航が発表された11月11日よりも前に予約・購入していた人もいると思われ、乗客全員が旅客機趣味者という訳ではなかろう。

 フライトログ記入を依頼する人もおらず、客室もようは穏やかである。その中で、ステアを上がって以降CAと最もやり取りの多かった客は私だ。客室で改めて18年以上前のHAC広告を示し、JASカラーJA02HCに感動するがよい!など。

 

 さて結果的に当便が定期便ラストフライトになってしまったのだが、ここに1998年3月28日の新千歳→函館HAC就航初便に乗った相模原南西空友会OK会長・エアー北海道ファンクラブKI顧問・同IH顧問の姿は見られず。ひょっとして釧路便に絞っていたのか?だとすれば極めて残念。

 最後の旅客便となる丘珠→鹿児島チャーター、最後の定期便となる釧路→丘珠には、やはり23年前の就航初便搭乗者が乗るべしと私は思っていた。それゆえ私は36人しか乗れないSAABラストフライトには、一歩引いて「チャンスがあれば」という姿勢でいた。チャンスが無ければ無理して乗らない、丘珠へも見に行かない。HAC初搭乗が2002年6月30日という私ゆえ、別にSAAB最終日に丘珠におらんでもええやろ、と思っていた。

 ところが、よくよく考えれば私はある時からHACにとって貴重な旅客機趣味人になっていたかもしれない。HACがJALグループから離れていた時の2011年6月1日、「HAC丘珠拠点化」に際し現場でその行事を見て、そしてその後「新生HAC」初便というべき女満別行きに乗った趣味人は私だけ。

 その翌々年2013年7月1日新設の丘珠~三沢初便にも、静岡県趣味人とともに乗った。要は近年のHAC SAAB340B-WT歴史的場面を目の当たりにした希少な旅客機趣味者として、私は少なくとも定期運航最終日には丘珠に居なければなるまい。

 

 機長から8:33にアナウンス、「定山渓を通過しました。あと7分で丘珠空港へ着陸します」。これには、私は東海道新幹線東京行き「ひかり」車内で聞いた「新横浜を定時で通過しました」アナウンスを思い出した。今は新横浜にはすべて停まるようになっており、さてどれ程前のことやら。

 加えて進入経路説明もあって、最後は左旋回の後ランウェイ14へ降りるとのこと。右後ろの隙間から下を見たら、街が見えていた。ということは操縦席では丘珠空港を視認中、後は降りるだけ。地上が迫り、9:39着陸。

 CAが着陸アナウンス、それには「最後の空の旅」「JALグループで最も小さい機体」そして「HAC社員にとっても大切な仲間」とSAABへの思いが込められていた。9:42スポットイン、この後はCAが言っていた「安全のしおりレプリカ」と搭乗証が希望者へ渡されての降機となるが、つまり2740便でも記念グッズを頂けた訳である。

 

 ドアオープン、エプロンではHACメンバーが横断幕を掲げている。はてさてこれはこの後のSAAB便が飛ばないのでこちらで到着出迎えをやっているのか、元からこういうのをやるつもりだったのか・・・もう、どうでもええ。おや知り合いCAを視認、私は2Bから手を振るが向こうは気付いてへんやん。

 皆が通るのを待ち、それから荷物をストウェッジから引き抜き、CAからグッズを受け取って降機準備完了。ステア上に立ち、さあエプロンに居るHACメンバーへ手を振ろう。お、振り返してくれるぞ、この時の私はこれまで乗って来たラストフライトと同一の心境だった。

 

 曇天下のエプロンへ降りたら操縦室の機長へ手を振り、こちらにいたCAたちに挨拶。2003年8月HAC丘珠就航広告に載る2人のCAを示せば、なに、この2人はモデル!? 「18年を経て初めて知った!」、HACメンバーが笑う。

 もうこの時ばかりは「ラストフライト」そのもの。エプロンで写真を撮りまくり、けれども長々と居るのも気が引けるので頃合いを見て到着口へ。そこにはSAAB画を貼ったオブジェがあり、それを撮ってから手荷物受取場から出た。既にそこは通常の世界で、奥尻からの直行便デビューフライトで着いた時みたく皆が到着口前にいる光景は無かった。

 

 まだエプロンではメディア用撮影が行われているだろうが、一般客が見られるところで切り上げた私は1階カウンターの様子を観察。わ、本当にこの後は全便欠航だ!

 今日は朝1往復で終了。さっきのエプロンにATRは見当たらず、そこはJA02HC独壇場だった。SAAB定期運航に相応しい?否、イレギュラー中のイレギュラーとの思いが強く、この状況にラストフライトの感慨は吹っ飛ぶかの如し。

 なおカウンターにはSAAB退役の飾りが置かれていたが、ん、。グランドスタッフへ「これを作ったのは・・・」、個人情報保護のため当該人の名は出なかったが私には丸解りだった。で、当人は今どこ?

 やがてエプロンからWO委員が戻り、デッキから東京のカメラマンが降りて来た。2人とも釧路往復のはずだったが、今日はこれで終わり。WO委員は明日のチャーター搭乗に備えて体を休めるべく、バスと地下鉄で北大前へ。カメラマンと私はしばらくカウンターの様子を観察していたが、2740便乗客はWO委員が空港を後にする頃にはほとんどいなくなっていた。

 その私たちがいる1階カウンター前をHACスタッフが通り、私はそれら面々から挨拶される。いっぽうCAは奥のオフィスから何やらを荷車に載せて運んでいた。

 

 知り合いスタッフへ広告史料を見せると、私の物持ちの良さに驚かれてしまった。この時はWO委員もおり、そんなん趣味人なら普通でしょうと同意を求めると、WO委員は否定!この時点で私は航空業界人から見ても旅客機趣味者から見ても異端児と判った!?

 おや、オフィスから機長が花を持って出て来た。ということは機長ラストフライトのパーティが行われていたと判り、その終了後のシーンを私は目撃したのだ。これ、空港1階に残っていたから見られたのだが、ここまでを見た先の2740便乗客は多くはいまい。

 その後通りかかった2人のCAへ改めて広告史料を見せ、函館~旭川や旭川~釧路に「乗務しました」。それなら福井は?おお、降りている!という具合にHAC史の話に及び、他社へ移ったOGの話まで・・・って、こんな振り方をするのは俺だけかもしれん。

 話は広告史料に戻り、1998年12月のHAC時刻表を示せば2人から保存の良さを言われた。1人はそれに乗る「ハックン」に言及、そりゃそうとハックンを最近見とらん。

 回顧ばかりでなく、今後の話も。特にATRがオリエンタルエアブリッジに入ることや、TOKI AIRも話題に上がった。調子に乗って私がLINL・エア奄美・エアリージョナルジャパン、準備中のジェイキャスを挙げたら、2人から「マニアック過ぎる客」と思われたかもしれん。

 

 これから2人はJA02HCの掃除へ。この後別のCAたちも来て、パーティ後片付けをして格納庫で掃除とのこと。よってオフィスの面々は出払い、さすれば私も暇になるが、カレーを食べるのを勧められたので丘珠キッチンへ向かった。そこから眺めるエプロンはがら~ん、それどころか滑走路の向こうが見えない!が12時台だった。

 降機後3時間近く空港に留まっていたのだが、HACメンバーと私のやり取りを思い返せば、SAAB定期運航ラストならではと思えることがあり、丘珠へ来て、あるいは来られてよかったと思った。もちろんそのやり取りを加速させたのが持参の広告でもあったが、こういう記念日にそれらを持参するのは非常に有意義だと改めて判った。

 

 さて明日だが、カメラマンは9:00のチャーター便出発を撮影。当初は私もそうしようと思ったが、明日の帰阪便が新千歳11:45発関空行き2504便で、チャーター便出発後の丘珠から移動がタイトゆえそちらを見るのはパス。この際チャーター参加者に丸投げだ。

 ところで何故明日の2504便かといえば、まず今日の午後以降の大阪行きが満席か割引無し状況。1泊しても明日帰阪のほうが安価で、その中でも安価だったのが2504便特便3だった次第。

 本来なら釧路から2862便が着く12:40頃に空港を後にするが、その前にカウンター業務に当たるスタッフへネットに載る先程のフライトの記事を紹介、そして再来年春の25周年に来ると伝えた。

 外へ出たら雪は止んでおり、え、青空?栄町まで歩き辛いということはなし。けど丘珠発着は本日はもう終了、という日曜の午後であった。

 

 12月27日(月)、鹿児島行きチャーター参加者は8:00丘珠空港集合だが、その頃私は宿の7:50発送迎車で新千歳空港へ向かっていた。

 雪、けれども雲の向こうに太陽が透けて見える。関空行きまで3時間半以上あるけれど、空港滞在としてイレギュラーに備えるのだ。実際はラウンジから飛行機を眺めていたのだが、新千歳空港では晴天になる時もあった。

 さて丘珠状況は・・・ツイッターも見たらチャーター参加者の投稿があって、なんやて!チャーターフライト欠航!? 

 

 画像を見たら丘珠の降雪が酷く、飛び上がれなさそう。昨日時点でも寄港地の三沢・中部が怪しい旨をカウンターで聞いたが、その時は「でも丘珠からは上がるやろ」。

 そこに機体があれば、まず飛び上がる・・・例外もあったけれど。その数少ない例外が2009年1月31日午後以降の仙台で、エアーセントラルのフォッカー50が降雪のため遂にその日は離陸出来なかった。

 本日27日の丘珠はまさに往時と同じ。ついでに仙台の時は当該機種定期便ラストフライト、今回は当該機種ラストフライト。

 旅客機初便・最終便搭乗界に於ける巨匠が「雪の時期に北のほうでラストフライトやるの、止めようよ~!」とmixiで述べていたが、今回まさしくこれにあてはまる事象が起きてしまった。

 私も12月下旬という時期ゆえそれを想定し、そうなってしまった25・26日を自分関連では潜り抜けて来たが、私のいないところで引っ掛っているではないか。

 

 いや、私はともかく、ラストフライトチャーター参加者はえらいことになってるんとちゃうん!鹿児島から帰るぶんのキャンセル、丘珠からの帰りの手配、最初からやり直すのと同じではないか。JALグループで鹿児島を発つならともかく、他社利用なら手数料を取られるところだ。

 それにラストフライト搭乗不可という事柄への脱力感も半端なかろう。私が当事者なら、まず膝が折れるところだ。もし昨日の釧路便を予約し、今日のチャーター参加予定であれば、両方のラストフライトに乗れず、何も乗らないまま終わる事態でもあり、その心理的ダメージは計り知れない。

 と、私は思ったものの、12月29~31日に入ったWO委員からの連絡によればそうでもなさそうな気配だった。

 丘珠時系列経緯では27日7:30頃「三沢は大丈夫だけど中部が強風で降りられない可能性がある。この場合は三沢で終わりにする」。8:00過ぎには「丘珠空港の除雪が追い付かないので中止する」とアナウンス。この雪の状況では仕方ないという感じ、だったそうな。

 

 とにかく、定期便ラストフライトとラストフライトチャーターを含め、客を乗せるラストが26日2740便となったことで、私にはかつて味わったことがない妙な感慨が生じた。

 先述したように、「HAC重要フライト」ゆかりの人物の多くを見ていない。もしそれらの面々が26日2862便やチャーター参加者なら、当人たちは残念な思いをしているだろう。

 いっぽうどんな人たちがこれらの便に乗ろうとしていたかは、2021年大晦日時点では私は僅かな顔ぶれしか判っておらず、先に記した然るべき人物が乗るはずだったかは不明である。通常なら自分が当該便搭乗者でなくても、実際の搭乗客だけは見届けるのだが。

 

 そして俺。ラストフライトではなかった便がそれになり、よってラストフライト記の構成が当初構想から大きく変わった。2740便搭乗後は2863便出発そして2862便到着をデッキから見て、ターミナル館内に賑わいも見る。その様子で終え、鹿児島行きチャーターは触れずというつもりだったが、今の通り。

 その後鹿児島への回航は12月29日(水)に丘珠~函館~鹿児島という経路で実施された。27日に私は長久手市在住エアー北海道ファンクラブMT執行委員へ「29日鹿児島15:00着に合わせ、私も鹿児島空港へ見に行く」旨を連絡したのだが、実際は大阪からネットでフェリー状況を見るだけに終わった。

 鹿児島へ行くつもりで予約画面を開けたら、満席・キャンセル待ち・高額の運賃・・・年末帰省ラッシュというのを忘れていた。