我が国最大の鉄道趣味団体である「鉄道友の会」、同会が選定する賞に「ブルーリボン賞」「ローレル賞」という、プロ野球でいえば「新人王」みたいなものがある。

 これらへは、同会会員でなければあれこれいう資格は無いと思う。けれども私がよく乗る北急や京阪には「ローレル賞」プレートが乗客に判るように車内に掲げられており、さすれば非会員であっても関わってくるかもしれん。

 よって私も歴代受賞車両を概観するが、中にはどうしてこれが受賞したのかと思えるものもある。

 選出当時では相応の受賞理由があるのだが、あくまでデビュー時の評価だ。その後の当該車両の推移には言及しない賞、そういってしまえばそれまでだが。

 

 近畿日本鉄道18200系特急形車両は、昭和41年12月デビューで翌昭和42年ブルーリボン賞受賞。華やかさを持つ特急形ゆえ同賞受賞は解らなくはないが、2020年現在運行中「しまかぜ」を思えば、いや登場時でもビスタカーがあり、その当時の特急車群の中でもスタイルは突出して地味。この年の候補車種は他に無かったのかと思えるくらいだ。

 同系は既にリタイアしているが、18200系の後継に当たる18400系が2013年11月30日のラストランを前に大阪ではかなりクローズアップされた。それに先立つ2013年11月3日(日)に五位堂で特急塗装に戻された様を見て、私が改めて思うのは「特急車として魅力は有ったのか」。

 並んだ車両の中の18400系は車体幅が狭く、やはり地味である。けれども車内は狭いながらもリクライニングシート装備で、狭さゆえ窓側肘掛及びそれに収まっていたテーブルは使えないものの、その他は先に走り始めた12000系同様だったと思う。

 

 私は1980年代に同系へしばしば乗ったが、特急料金収受列車として不満は無く、これには近鉄観光車内サービス員によるおしぼりタオルサービスや車内販売があったことも影響していよう。

 いっぽうビジュアルはといえば、上述の通り。これを見て乗りたくなるかといえば、大阪線特急に見慣れた人なら否であろう。こちらはサイズの限界が小さかった橿原線走行前提用と見るべきであり、所変わって同系登場時の上記沿線なら「スナックカー京都・橿原線にもデビュー」で拍手喝采だった?

 

 18200系もサイズ限界の小さい京都・橿原線走行を前提としたものだが、上記18400系が12000系を狭くしたという印象があるのに対し、こちらにはオリジナリティが多くあると診る。

 デビューは12000系が出る1年前。18200系の前の最新形式は1年9ヶ月さかのぼること昭和40年3月デビュー南大阪・吉野線用16000系であり、やはり18200系は近鉄特急最新鋭として当時の鉄道趣味者は注目せざるをえなかったか。

 

 京都・橿原~大阪・山田線直通のため、車体幅が狭いいっぽう複電圧式、当時近鉄最大出力のモーターを装備し大阪線走行に備える。その車内に並ぶのは、16000系以前の回転式ではなくドタンバタンと向きを変える転換式クロスシート。

 サイズ・架線電圧が異なる所へ乗り入れつつ且つ高速運転を行う、即ち特急直通エリア拡大のための意欲に満ち溢れた車両であり、後年登場するJR東日本「つばさ」「こまち」の先駆けともいえよう。その間に名鉄美濃町線600形というのもあるが。

 しかしそれにしても、18400系に負けず劣らず見かけが地味だ。前5年ブルーリボン賞受賞車両は古い順に名鉄7000系・近鉄20100系・小田急3100形・国鉄新幹線電車・名鉄8000系で、私が幼少の頃絵本で見たことからその知名度は全国区と思われる。

 対して18200系は、ビスタカー以外の近鉄特急とは外見で際立った違いはなく、先に「趣味者は注目」云々と記したけれど近鉄ファンと京都・橿原線ユーザーしか18200系を特別視していなかったのでないか。昭和40年代前半で鉄道絵本に載る近鉄車両は10100系か20100系の、両ビスタカーだったと記憶する。

 

 18200系は1989年、18400系は2000年に特急運用から離れたという。架線電圧が上がったのは昭和44年、サイズ限界が大きくなったのは昭和48年で、先に出た18200系のアドバンテージが在ったのは6年だけ。その後の16年は同系でなければならないという必然性は無く、同じ状況となった18400系とともに埋もれた存在になっていたことだろう。

 けれども転換クロスシートながらも他と混じって走り、おしぼりタオルサービスのある18200系特急はやはり近鉄特急。1980年代後半の私は12410・30000・21000系偏重だったが、2020年から見ると趣味的だが個性際立つ特急に見える。小田急5000形特別準急・台湾鉄路花東線光華號・JR九州「海幸山幸」・京成3200形「開運」号等々に共通するものがあると思う。