近頃一部のJRで旧国鉄車両を国鉄時代のスタイルに戻し、「懐かしの○○号」というイベント的リバイバル列車運転が流行している。
 どれも指定券が早々と売り切れ、つまり人気が高く、そして沿線ではカメラの放列に迎えられるようだ。
 けれども私が「乗りたい」と思うのは多くはない。
 中でも特急列車のそれには、「かつての特別急行のイメージをぶち壊すようなリバイバル運転は止めてくれ」と思うようなものもある。
 
 ところが今回JR四国が企画した特急「懐かしの181系南風」と同「しおかぜ」には乗ってみたくなった。
 理由は可能な限り昔の様子を再現しようと試みられているからで、特に私が注目したのは高松発が1972年3月ダイヤ改正時のものにしてあること。
 臨時列車でありながら定期列車の時刻変更も伴い、デビュー当時の、四国初の特急列車らしい走りを味わえると思った。
 
 当日の運転は普通車のみ4両編成だが、四国の181系気動車特急は元々最大7両でグリーン車はあったけれど食堂車は無し。他地区では往時とかけ離れた姿でリバイバル運転することを思えば、こちらでは違和感があまり感じられない。
 また運転区間が高松~高知 or 松山と、往時の終着中村or宇和島まで行かないものの、おかげで全区間乗っても片道3時間程度で収まることをよしとしよう。
 私は5月半ば、大阪駅構内のJR四国旅行センター(ワーププラザ)で相談し、「南風」ツアーで高松~高知往復参加と相成った。
 
 2002年6月15日(土)午前6:30、私は神戸三宮からバス~ジャンボフェリー~接続バスを乗り継いで高松駅へやって来た。
 早朝というのに高松東港からの1台の接続バスはギュウ詰め。前日の長居のワールドカップ観戦帰りかと思ったが、後で「南風」目当ての鉄道ファン・マニアが多かったと知った。
 駅待合室で仮眠。7:00前からリバイバル列車運転記念グッズの販売が始まり、ツアー受付準備も進められる。予定は7:20からだがそれより前に受付開始。名前が確認され封筒が渡され、その中は乗車票、ヘッドマークオークション参加申込用紙、ツアー参加記念品だった。
 目を見張るのは記念品で、愛称ヘッドマークと181系気動車をデザインしたタイピン2個セット。これなら割引きっぷで往復するより高くつくツアーのほうへ参加した価値があろうというものだ。
 
 4番線の先では出発式準備が施されていた。
 列車の発車は8:20だというのに私は7:20に先頭位置でカメラを構える。我ながらマニア的行動と思うが、他にすることあ無し。かといって仮眠した後で入れば、マニア他でごった返す中に巻き込まれる怖れもある。
 一応セレモニーは8:10からだが、私がホームへ入って間もない7:30頃には司会進行役の人が来てリハーサルが始まった。「もう少しゆっくり読めば」「ここは2分で終えねばならず、ゆっくり読めばオーバーするんです」といった内容のやり取りが聞かれ、私は短い時間で済ますことの大変さと進行役の人のプロ意識に感心していた。
 
 そのうちファン・マニアが集まり、事故等の影響で他の列車発着遅れもあったが、181系車両は若干の遅れで入線、私の周りにもファン・報道が集まる。
 予定通りセレモニーはスタート。JR四国営業部長挨拶、乗務員へ花束贈呈、テープカットの順で、私はそれを見届け3号車・キハ180-51へ駆け込んだ。
 デッキへ踏み込むと国鉄気動車の匂い、いや3月に台湾の気動車でも同じ匂いに遭ったな。客室はほぼ埋まった、でも空きは私が見た限り2席、という状況で8:20に出発。
 
 車内放送では記念乗車証配布・オークション入札・車内販売があること、そして181系車両の説明が流される。
 車掌スタイルは国鉄制服に「車掌長」の腕章で、往時を偲ばせていた。ただし、今は6月だが着用しているのは冬服で、訊けば夏服が無かったとのこと。
 乗客全員へ乗車証が配られ、それから1972年3月の土讃本線ダイヤのコピーも頂けた。
 
 鉄道弘済会担当の車内販売では、2000円の小型ヘッドマーク・800円のキーホルダー・1000円の愛称サイドボード・100円のステッカーという「南風」グッズとドリンクがあった。私はホットコーヒーを飲みたかったが、冷たいものだけなので140円の缶コーヒーを買った。
 この車販は後方4号車から始まり前方1号車へ向かうが、動きが異様に遅い。これはほとんどの乗客がグッズを買い求めるからで、その4両の車内を埋めるのは95%が男性の鉄道ファン・マニアと思われる。
 定員252人の車内で女性の数は両手の数で収まるだろう、という何やら私からは異様に感じられる車内だ。装備も話題も濃い、濃すぎる。そういう車内で高知シティFMのパーソナリティが乗客へインタビュー。
 
 私が注目する肝心の181系気動車の走りだが、時刻表上では高松発高知行きは途中阿波池田のみの停車で159.4kmを2時間26分・表定速度65.5km/hで走破する。
 土讃(本)線は四国山地を越える山岳路線でしかも単線。そういうところを1972年に181系でこの速さで走破したというのは、今日のリバイバル運転でも私は速いと思うくらいなので、当時でもスピードには相当こだわっていたのだろう。
 松山に住んだことのある私が予讃線「181系しおかぜ」ではなく土讃線「南風」を選んだ理由はここにある(出発式実施も大きな要因だが)。
 いっぽう本日は客扱い駅に加え行き合いなどのための停車もあり、多度津・箸蔵・大歩危・御免、それから高知の手前にも停まる。これだけ停まって上の速さ、というので駅間は相当な速さで飛ばしていた。
 
 高松を出てからしばらくはゆっくり、ダイヤ乱れの影響でこの先どうなるかと思ったが、途中から猛然と走り始め、山越えでも思ったほどスピードは落ちず、土讃線ってこんなに速く走れたのかと思ってしまった。振子車両でもないのに、この速さとは痛快だ。
 思えば今や土讃線は新型振子気動車が走る路線で、その高速運転に合わせた環境が整っている。そこへ本来120km/hで走ることが出来、その新製時では国鉄最強のパワーを有していた181系ならば、たとえ今では旧式といえどもその性能を今日は余すことなく発揮できよう。まさに水を得た魚、1972年の運転開始時よりも今日のほうがスピード感はあるだろう。
 時計を見ると定刻9:25着の阿波池田へ2分遅れ、終着10:46着の高知へ1分遅れだったが、かつての高性能気動車の走りは十分に堪能出来た。
 
 高知での4時間半のインタバルでは、私は暑いので駅周辺を動くにとどめた。高知駅では記念オレンジカード・グッズ販売、車両展示会を見たり、はりまや橋で旅行会社カウンターをのぞいたり。
 そして復路は高知15:30発・高松18:17着で往路より遅く、客扱い駅も増え、さらに写真撮影用徐行もあり、こちらは他社のようなイベント的列車だった。
 とはいえ停車駅間のスピード感は往路同様痛快なり。加えて運転停車の中にはスイッチバックもあり、趣味的楽しさが増した感がある。車内サービスも往路同様、ただし乗車証の図柄は往路とは異なり、車販からはこんどは140円のジュースを買った。
 
 車内は往路よりも空いていたが、それでも途中から一部区間乗車でファン・マニアが乗り込んで来る。よって総数は少なかったものの趣味者濃度は往路同様に高く、私は東京や福岡からのファン・マニアとも話していた。
 さらに昨夜のフェリーで四国旅行へ行くんだなと思いながら話していた人と復路車内で会い、同じ目的だったのかと笑ってしまったり、旅客機趣味界重鎮と呼べる人たちまで車内で発見。何と濃い人たちが集まっていることか、これなら指定券を取るのは至難を極めるな。
 
 いや、今回の主役は指定券発売に先駆けて募集されたツアーの参加者だろう。
 定員252名でツアー募集は180名、すなわち180人が行って帰るので車内は往復とも同じ「濃い」顔ぶれが自ずと多くなるわけだ。
 極めつけはオークションの落札価格、本日使用のヘッドマークは23万円で落札とアナウンス、私はびっくり。というように鉄道趣味者の集まりで、とにかく異様な雰囲気。今時の鉄道ファン・マニアってこんなん??はっ、そういう列車に乗った私も同類!?
 
 かくして181系の走りを味わい、鉄道趣味者の様子をうかがえた意義深いツアーであった。
 それは私に「鉄道旅行の楽しさとは」と思わせることにもなった。
 そんなものは人によって異なるのだが、鉄道会社は個々の場合を集約して積極的に鉄道へ向かわせる施策を採ってほしいところだ。
 私が望むのは、こういうイベント列車だけでなく、普段の定期列車においても他の交通機関より鉄道を選びたくなるような魅力ある列車の提供である。