2002年2月9日(土)、宮古空港発NU516便は16:42那覇空港へ着陸、JTAボーイング737-200宮古発ラストフライトはこうして終了。同社同型機の最後の1機であるJA8366は、この後久米島への1往復を残すのみだった。
その516便には私が知る旅客機趣味人の他に見覚えのある機長も客席におり、声を掛けたらやはりリュウキュウエアーのRJキャプテン。前月のDHC-6ラストフライトの話をしながらゲートまで歩いたのだが、先に宮古で前月DHC-6ラストに立ち会った支社長と話し、そして機内で元DHC-6型機機長・現BN-2B型機機長のRJさんと会うとは、いやはや今日のスカイシーサー最終日は前月のオッター最終日とのつながりを否応なく感じさせる。
そして27番ゲートのところで知人と話しているところへ、これまたDHC-6ラスト搭乗のJTA業務部の人たちが来て、まったくもって今日の私の周りの人材の動きってどうなってんの?
後刻737-200への久米島の歓送ぶりに感動し、那覇空港セレモニーに感動し、加えてエプロンで業務部スタッフたちとわいわいがやがや。ラストにまつわる湿っぽさがまるでなく、JTA・RACを巡る人的広がりを感じさせるかのような、いわば希望感溢れるラストフライトだった。
14年後の2016年2月。ええええええ~、もう飛んだの~・・・2016年2月10日(水)に待望のデビューというところだったJTA新型機ボーイング737-800が、在来型機トラブルのため2月6日(土)に前倒しデビューやて!
けれども10日の初便行事は実施するとのことで、それならば前倒し云々は関係無い。私も予定通りJTA新型機就航を祝いに向かうのだ。
9日(火)、私は関空からNU005便で那覇へ向け出発。その関空~那覇JTA機材は時刻表上ならクラスJ無しだがWEBを見たら当日は設置、それどころか青ジンベエジェットではないか。搭乗ロビーから機材を見たらなるほどJA8939で、私がこれに乗るのは新石垣行き1番機以来で、本日は最後列27Hに着席。
ランウェイ24Lから14:31に離陸し14:35にベルトサイン消灯、14:51の副操縦士アナウンスでは現在位置四国山地上空高度34000フィート・速度650㎞/hとのこと。ドリンクサービスには勿論あやかり、そしてCAとの主たる話題は4つ・・・も話せたのは比較的空いていたこともある。
まずはジンベエジェットグッズのことで、こういうのはCA手持ちぶんによって有る物が異なり、今日のメンバーが示してくれたのはこれか~という具合。
座席回り寸法の件では、私は明日SKY NEXT仕様腰掛に初めて座る予定で、そこで寸法を測るべく巻尺を持参、早速737-400の普通席を測ってみたら通路幅が45㎝、前後間隔79㎝、H席肘掛間幅が42㎝、J席が41㎝・・・3人掛け真ん中席が狭いなんてエアバスA320普通席の逆!測り間違えたか?
私が今日那覇へ向かうのは明日に備えてだが、目的のボーイング737-800初号機・JA01RKが既に定期便へ投入されているのはCAも知っており、残念ではありませんかという旨を言われるものの、私は「いやいや明日のは祝賀フライトと割り切っています」。
そしてこの話は複数のCAと話すことになったが、それは「JTA客室乗務員手作り新聞・アテンションプリーズ」略して「アテプリ」のバックナンバー総集編のこと。12月発行アテプリ102号に「創刊号から最新号までを収録し、アテプリの歩みを1冊で振り返ることができる」冊子を12月以降機内配備と記されており、だったら見たい!よって本日那覇へ向かう際にはPeachではなくJTAを択び、当005便で本件をリクエストするも未だ未配備。
CAたちから聴くには膨大な頁数となり、それを機内搭載するにはどうするか等々をクリアする必要があり、等々が理由だったかな。「じゃあ僕も次に沖縄へ行く時までに搭載方法を考えときます」・・・それまでに搭載が始まっているかもしれんが。
アテプリの話を振ったからにはこの画像を見せねばと、アテプリ50号発行を報じる2002年5月の琉球新報記事を見せびらかす。
ベルトサインが16:26に灯り、ランウェイ36に16:47着陸、2時間16分も要したか。降機後ロビーで一旦オフィスへ戻る005便クルーと再会、27番ゲート近くということもあって14年前の今日が737-200ラストフライトだったことを伝えるが、私の主張はその時の客室乗務員3人のこと。「宮古往復・久米島往復の4レグに於いて、ずっと一緒だったんです!」、本日の3人のCAは大きくうなずく。
明日の祝賀フライト搭乗を目指す旅客機趣味人がこの後続々那覇入りするだろう、と思って1階到着口で「誰かおらんか~」とテレビを見ながら待つ。お、あれはKIX & Peach応援団YK先生。私よりも早く大阪から那覇入りし、JTA・RAC撮影ばかりではなく、軽便鉄道与那原駅跡へも行っていたそうな。
食堂のほうから歩いて来る人物、あの髪型は・・・私が声を発する前に件の人物が声を掛けてきた。RJキャプテン!いや現在はDHC-8副操縦士だが、大阪南西空友会としては「機長」で押し通そう。
最近ではエプロンから見たら操縦席にRJさんを発見というのが多く、こうして言葉を交わすのは2009年5月31日のRAC粟国定期便ラストフライト以来だ。
だが何より「2月9日」という日に心が動き、14年前は737-200ラストフライト当日、今日は737-800祝賀フライト前日だ。RJキャプテンは「え、そうだったの!?」というノリだが、そうなんですよぉ!
DHC-8動向とそれに関する私の活動についての報告をしたが、いや~、それにしてもここでRJキャプテンに会うか~、と感動していたところに現れるのは、これはもう既定事項というべきでそれは相模原南西空友会OK会長。2002年1月23日DHC-6定期便ラスト・2月9日ボーイング737-200ラストに勿論搭乗、ついでに今は石垣からRAC708便で帰ってきたばかり。
私は22時過ぎのバスで牧志へ移動、そこのネットカフェ「自遊空間」に約6時間滞在し、翌2月10日午前4:15頃に行動開始。
737-800就航式典は6:30からなのにゆいレール始発到着は6:15、空港駅から移動していたらゲート到達は開始直前、よって余裕を持って現場へ行きたい私は牧志から空港へ歩き、ターミナル6:00到着を目論んでいた。
空がまだ暗い5:03に山下町JTA本社ビル前通過、就航式典へ向かうスタッフが本社から空港へ向かう準備中というシーンを期待したが、屋内は真っ暗。離れ2階に明るい所があったけれど、それを含めて静寂の中であった。
なおも歩き、結局国内線ターミナルへは5:40頃到達。昨夜羽田から着いた後は赤嶺のマクドで滞在、そこから未明徒歩移動のエアー北海道ファンクラブWO執行委員と合流、北側入り口で開館を待つ。
開館後はチェックインカウンターに寄ることなく保安検査場前へ、そこが6:10頃に開けばサクララウンジへ寄ることなく27番ゲートへ。そこには関係者・報道が揃い、セレモニーの準備も整えられていた。アーチ・テープ・絨毯・記念撮影コーナー、これらに後刻就航を祝うケーキも用意される。
JTAスタッフの中にはNU050便には乗務せず式典のみ参加のCAの姿も複数見られるが、思い返せば14年前737-200最終便到着後のエプロンに於けるセレモニーでも同様であった。ただし人数は往時のほうがずっと多いが。
私へ声を掛けるJTAスタッフ・・・業務部の方!! ここでも私の頭は14年前に戻る。「スカイシーサーのラストフライトが2月9日、737-800初就航予定だった今日が2月10日、これって意図的なものなんですか!?」「え、そうだったんですか!?」「そうです!」「昨日RACのRJキャプテンに会ったんですが、当人とは14年前の737-200宮古ラスト機内でも会っており、そして737-200那覇発ラスト出発前のこの場所では・・・」「奇遇ですねえ!!」、私にはもはや仕組まれたとしか思いようがないのだが。
昨日の那覇入りで1998年に初めて来た時以来私の訪沖は63回に達し、そのうちJTA行事関連も相当数含まれ、当該スタッフは「うちは賑やかですから」。私は続けて「737-400の退役が迫り、もう私はどう予定を組もうかと・・・」、苦笑するしかないJTAスタッフであった。
さて周りには趣味人も続々揃い、OK会長・YK先生・WO委員も記念アーチ前でスタンバイ。セレモニー開始は6:35だった。
挨拶するのはJTA社長と沖縄コンベンションビューロー会長。私が傾聴したのは社長が前倒し就航に触れた時で、内容はその経緯、初便期待者へのお詫び、そして「公式にはこれが初便」。
先に飛んでいたことへ不満を持つ趣味人がいたとしてもこれですっきりするだろう、そう思えるほどの清々しさがあった。
そして5人が並んでテープカット、それを以って6:46に式典終了。周りを見たら報道・乗客が多数、搭乗開始となったら早めに乗り込んでキャビンで休憩することにしよう。なおケーキは展示のみで乗客は食べられなかった。
改札内ではスタッフが並んでボーディングブリッジへ進む客へ記念品を手渡していく。私もCAから頂き、その後窓越しにJA01RKと対面。JALグループのボーイング737-800でありながら、「うちなーの翼」とSWALアレンジマークがJTA機材であることを主張。
機内へ入ればそこは私が初めて見る「JAL SKY NEXT」仕様737-800客室、いや737-800どころか他機種も含めてこれが初めてなのだ。天井を見ればそれはJAL系唯一の「ボーイング・スカイインテリア」仕様、これにもスカイマーク737-800で2014年に1回乗っただけ。
私の席はJTAでは初お目見えの30列目H席。趣味人も近くにいるが、最後列を含めて周囲には御一行様が多い。腰掛回り寸法はJA8939と同じで、ただし膝前にゆとりがあるかな。それから、座り心地は革シートだけあって良好である。
プッシュバックは7:13、A席からは関係者の見送りが見られるだろうが、通路側を取り且つ乗客の多い状況ゆえ私は見られず。エマージェンシーデモというのは737-800ではなくなって、代わりにテレビがストウェッジ下から出て来てエマデモを流す。そして晴天の下のランウェイ36から7:23離陸。
飛び上がれば機内は昨日までと同様、と思ったけれど7:30すぎにベルトサインが消えたら後で祝賀便ならではの光景が広がる。
旅客165人乗り機材ゆえ客室乗務員は4名だが当NU050便には6名。本件さっきロビーで聞いていたのだが、初便というか祝賀便対応として応援要員が乗務。具体的には趣味人が依頼するフライトログ対応で、ギャレイで記入したり客席へ返却に行ったりで、これこそ祝賀便の光景なり。
また高度37000フィート巡航中の7:54に入ったキャプテンアナウンスも祝賀版で、このJA01RKが1月24日に那覇へ到着した最新の機材であり、新しいJTAの機内空間を提供するものとなっている旨が告げられる。
揺れのため8:16~8:21にベルトサインが一旦点灯し、ドリンクサービスも中断。このため30Hに座る私が飲み物を頂けたのは再消灯後だった。最終の点灯が8:30だったので何とか間に合ったという感じだが、165席が満席またはそれ近くの客がいて且つ1本通路にカートを通すのは、やはり時間を要すると私は解釈する。
旅客機趣味者と団体客がいる単通路機客室、そういう所では私は最初からおとなしくする方針でおり、フライトログ記入も依頼することなく、飲み物を頂く以外はただ30H席から客室状況を眺めるだけ。ところがそういう私の所へ趣味人対応支援CAが来て、「大井様でしょうか」。え、何!?
アテプリのことをうかがっていましたので、といいうことからリボン掛けグッズを手渡される。メッセージカード、祝賀便フライトデータ、その下にはアテプリバックナンバーのコピー!「南西航空客室乗員課」なんて記されているぞ!
それにアテプリのことを言っていたのは昨日の005便で、まさに昨日の今日、何という伝達及び対応の素早さ、とここで本日のCAとやりとり。だいたい私は次回訪沖云々と気長なことを言っていたのにいきなりこれ、ぶっ飛んでしまうかのような思いだ。
その後先任CAも挨拶に来て、まったく予期していなかった待遇にただただ驚くばかり。30H席が狙い撃ちされているかのようだが、この席に私が座ることを客室クルーは予め知っていたのだ。
昨日の005便で渡した自分作成フライトログ中に「2月10日の050便では、JTAでは初めての扱う席番の1つの30Hに座る」と記しており、そのことまで伝わっていたと私は解釈。おそるべしJTA CA!
かくして私は「一歩引く」姿勢を取り辛くなり、背筋を正し模範的JTA旅客としての振る舞いを求められるようになった!?
長崎空港上空を通過し玄界灘へ出て右ターン、福岡空港はランウェイ16進入で8:39着陸。かくしてめちゃくちゃ印象に残るフライト相成った訳だが、タラップでもう一度先任と話せば当人はもとアテプリメンバーとのこと。捜してみよう!
折り返しの那覇行きは、WO委員・YK先生とともにデッキから眺めることにする。後で聴いた話では福岡発行事は9:00からで、JAL九州地区支配人が挨拶し、ミス沖縄とマハエちゃんが沖縄をPRしたという。そしてJA01RKプッシュバックとランプアウトでは、関係者・地上スタッフが横断幕を掲げて見送っていた。
ところで私には厚さが気掛かりだったアテプリ総集版は、WEB版最新号によると737-800祝賀フライトから間もない2月14日からJTA機内に置かれたようで、どんな体裁になっているかを次回JTA搭乗時に見ることにしよう。またその時に会うJTAメンバーにも気を留める必要もあり、搭乗中や空港で会うJTAそしてRACスタッフとのやりとりが後々の伏線になることは今回の通り。南西の空の旅、楽しさは続いていく。
