2017年1月26日、私は鹿児島空港からの中継動画に見入っていた。

 鶴丸のATR42-600がランウェイ34へ滑り込んでくる、これで4月26日と目される就航へ向けて一気に気分が高まるが、その飛来からおよそ1ヶ月後の2月24日にATR42初号機展示を主とするJACフェスティバル開催を知る。
 15年ぶり鹿児島格納庫開催のフェスティバル。開催当日にはFDA山形~新千歳開設やバニラエア関空~奄美の開設など注目すべき事柄があったのだけれど、私は満席とか遠いとかで遠征せずの予定だった。けれども鶴丸ATR披露となるとじっとはしておれん、急遽伊丹~鹿児島往復の先得を予約。
 3月10日のJA01JC報道関係者お披露目で4月26日デビューがアナウンスされ、よってフェスティバル開催はその就航1ヶ月前。気分を高めつつ開催当日である3月26日(日)、私は伊丹7:10発J-AIRで鹿児島へ飛ぶ。

 この日JL2401便は鹿児島空港低視程のため条件付き運航だったが、とにかく桜島が左手に臨める所まで飛んで来た。ヘディングを北北西340度に定め降下、国分の街は見えているがシラス台地の上には低い雲がかかっており、これが低視程をもたらすやつか。
 やがて34A席から地上を視認、8:26ランウェイ34着陸。続けて私の視線は左側JAC格納庫、あ、庫内に花が描かれた鶴丸機!あれだ!
 2人のCAにアマクサエアATR42紙製モデルを見せびらかして降機、そこから2階ロビー→1階到着口→2階ファミマ→1階出口とたどってJAC格納庫へ歩く。10:30からの開催を前に格納庫玄関には旗が立てられたり、テント店の準備が施されたり、その時刻はまだ9時前だった。私は1時間半以上前に現場へ来たが、その時点で先客1名。
 格納庫内ではスタッフミーティングが行われており、外で見ている私も気合が入って来るが、あまりテンションを高めすぎると閉幕の15:30までもたないので、さて開場まで新聞紙を敷き座って待ちましょか。というふうにするのはこの後でも私だけだった。
 そういうところの前を次々に通るJACスタッフ及びフェスティバル関係者、おや、あのウインドブレーカー姿は知り合いCAではないか。当人、私を見つけるやいなや「大井さん!一番乗りじゃないですか!」「いや一番は俺やのうて」「しかもこんなに早くから!」「34へ降りてすぐに格納庫のATRを見たら、もう居てもたってもおれんようになりまして」。
 パイロット・CAもやって来るのだが、面白いのは多くが私とは旧知の如く挨拶を交わすこと。それから、事務総務スタッフのみならずJAC社長まで開場を待つ行列を見に来ていた。

 スタッフが来て、10:30より早く開場とのこと。私がここへ入るのはYS11ツアーでのイベントが催された2006年6月以来となり、11年ぶりの入場の時刻は10:17。格納庫内に置いてある機材は、前回はJA8717だったが今回はJA01JCである。
 奥にはそのJA01JC、その前にステージ、ステージ前には飲食席、左には紙ヒコーキ作成コーナー、右には薩南物産販売コーナーという配置。2番目入場の私はステージど真ん前に座り、同時に少し機体とは離れるが一応01JCのど真ん前、そこへKIX & Peach応援団メンバーも来る。しかしながらそういう位置に客はあまり集中せず、それはたぶん濃い~層が少なめだからであろう。昨秋の伊丹空の日に於ける地上係員制服ファンションショーのステージ前とは、それこそ天と地の差があるくらい鹿児島は穏やかである。
 総合司会を担うのが3回目となるCAがステージに立ち、JACフェスティバルが10:30に開幕。まずは社長の挨拶で、「15年ぶり」が印象に残った。続く霧島市市長挨拶では「風」がキーワード。そしてATR社スタッフ2人によるATR42-600プロモーションで、客室与圧など同型機の特徴が説明される。え?ATRはフランスにあるので外国人スタッフはフランス語で話すのかと思いきや、英語であった。そしてその和訳を日本人スタッフが伝え、このプロモーションでオープニングは終了。

 ATR42-600機内見学が始まれば、すぐに長蛇の列が出来た。午後になって空く頃まで待つことにし、私はまず飲食席に座ったままコンビニ弁当を食べる・・・いきなり食事するのも私だけのようであった。
 食後は時計回りにブースを見て歩く。塗り絵コーナーは2種類のATR42台紙があり、完成作品は各自持ち帰り。折り紙ヒコーキコーナーは、お、台紙にルリーとJACロゴが描かれたもので、JACオリジナル?それからJA021Cに乗るかまたはATR幕をバックにした制服着用撮影コーナー、そこの列は常時行列が出来ていた。
 ここまでのブースはJACスタッフ・パイロット・CAが各1~2名の配置だったが、次は数名のCAがスタンバイしているCA体験。Q400のシートがAB-CDで5列、実機内より通路幅が広いので特急列車の車内モックアップみたいだ。
 エプロン側にはSAAB340Bの4枚ブレードとエンジン、そしてATR42-600のエンジンが置かれ、ATR42のほうはSAAB340Bのより短かった。続いてJACと与論から種子島へ至る薩南諸島の物販コーナーが連なり、JACではATRグッズがメインで、私が掛けているSAAB & Q400ストラップの再版は無し。なおこれらのブースは総合司会担当CAによって紹介され、格納庫内に各ブースの様子を伝える声が響きわたる。

 三線の演奏が聞こえ、ステージ前ではそれに合わせて踊る人たちとゆるキャラ2体。CAも踊っており、そしてゆるキャラの1体はルリー。JACメンバー・キャラクターが踊るとなれば私もじっとはしておれず、沖縄スタイルで体を動かす。この後私はルリーに体を引っ張られ、記念撮影をリクエストされるに至った。
 メンテスタッフが潤滑油缶を用いた貯金箱を販売しているのをのぞき込むが、ちょうどSAAB・ATRのエンジンが置かれていた場所でもあり師匠と私はタービンエンジンについて訊く。私が自身の知識を確認するとかなり合っていて女性整備士から褒められたが、私たちはここで調子に乗ってYSのパワーとかQ400のトラブルとか、さらに「旅客型退役10年を機にYS再評価本の出版を!」とかで盛り上がる。何やらエプロンにYSが駐機してあるような気がしてきたぞ。
 JAC物販前で知り合いCAと会い他のCAを交えて談笑、以降「伊丹~徳島」または「05」に始まるこの15年の歩みを振り返る。YSの話題が多くなっているが、それもこれもその関係者が多いからで。ドルニエの話題も出たが、Do228と目前のJA01JCにつながりが無いこともなく、そのキーワードは「ハイビスカス」。私もJA8835に壱岐国際航空時代に乗ったが、客室はJAC時代のままとのことで、そのシート柄はハイビスカスだった。

 午後になればATR機内見学列も短くなり、さあ入りましょう。但し客室撮影は遠慮してくれとのことで、そんなん撮らしてたら行列が進まへんやんと納得。
 客席は黒・ピンクのJAL SKY NEXT同様のシート、ただし前後間隔はQ400のそれに比して小さい。またテーブルも大きくはないが、SAAB340B置き換えと思えば納得。いやいや鹿児島~沖永良部に就航初日から投入され、今でもAMXで熊本~伊丹の1時間以上フライトがあって、決して短距離対応機という訳ではない。SAAB340Bも同様で、「小さい・狭い」は乗客が何とか対応すべし。
 その乗客の1人である私が受けた印象は、黒いシートのおかげである種引き締まり感があるということ。これから飛ぶ、そんな心構えにさせてくれるかのようだ。そして前方へ進めば、そこではパイロットも案内に当たっていた。
 さらにその先へも行けるのがこの機体見学のメインイベント、前方貨物室の先はカラフルなパネルが見えるコックピット、その手前に通路、左右に貨物置場。これがATRの特徴でもある前方貨物室だが、貨物ががっぽりが入るかといえばそれ程ではなく、そして通路には置けないとのことだった。
 降機はこのカーゴドアから。通常では絶対経験できないことで、これもまた機体見学のハイライトだと私は思っている。

 新型機に並べば誰でも機内へ入れる、そういう催しって・・・。2016年2月14日(日)AMX ATR42-600天草空港お披露目では抽選で当選した人だけ。J-AIR 2016年就航E190でも、2009年E170でも一般人が機内に入れる見学会を催したとは聞いていない。2016年就航RAC Q400CCでも同様で、少なくとも私が就航前に客室を見られたというのは2002年10月27日(日)のJAC Q400までさかのぼる。要するに鹿児島格納庫に於けるJACフェスティバルは、いわば超貴重なチャンスでもある。
 さて私は7月末に奄美大島へ行く予定で同島ブースを再度見ていたら、私の肩を叩く人。それは奄美のJAC/JALメンバーで、「今日の大井さんはバニラエアの関空→奄美デビューに行くと思っていた」、う、そう来るか~。けれども冒頭に記した通り「JACフェスティバルとあらば、こっち!」と強調。かくして私には、今回は2002・2010・2011・2012・2013年に次ぐ参加となったが、この格納庫に居たらほんまにこっちへ来てよかったと思える。
 この後アンケートに感想を書くことになったが、私には「楽し過ぎ」としか記せない。何でそうかと考えたら、ここには新型機のみならずJACスタッフたちが大勢いるから、というよりJACメンバーや薩南の人たちがいることが大きい。鹿児島にていろいろな人たちと言葉を交わす、って楽しいいやんか!尤も私が「機材より人材」といっていることもあるが。

 少し空いた頃、主として子どもたち参加のブースで何かとやってみる。塗り絵では「但馬コウノトリATR」図案を描き、それは持ち帰らずJACスタッフへ提出。紙ヒコーキコーナーでは指導員スタッフのもとでばっちり完成させ、そして投じたら目標コースから急降下して40点枠へ収まる・・・。
 撮影コーナーでは副操縦士とAMX JA01AM紙モデルを持って記念撮影、なおAMX紙モデルはこの時以外でもCAの面々に見せびらかすとともに、「ATR42へはアマクサで既に6レグ」と豪語していた。さらに01JC機内へももう1回入り、カーゴドアから降りることに興じる。
 JAC物販では
KIX & Peach応援団団長が「CAもグッズを買っている」と指摘、そういえば「奄美のフェスティバルでCAがCRJボールペンを買ったと私へドヤ顔で言うてきましたね~」と言っておく。そしてここに並ぶATRグッズを見ていたら4月のデビューの盛り上がりを想うところである
 閉幕前には抽選会、声を枯らした司会CAがなおもステージに立つ。私も声を枯らしていたが、この種の抽選会では近頃外しまくりゆえ今回参加は見送り。その抽選会が終わり、ステージ上のCAたちが来場者へフェスティバル終了の挨拶をした時は既に15:30を過ぎていた。
 格納庫出口にスタッフが並んで帰途に着く来場者を送っており、15:47私たちも挨拶して庫外へ。そこで格納庫を振り返っていたら、CA体験進行だったCAが外にいる私たちを見つけてこちらへやって来る。ん、何かあったんかいな。「お礼を言いに来ました」「また~、何を今さら!」、しかしながらこうして客を送ることに感心する。そしてこの後スタッフ記念撮影のお知らせが聞こえた。
 この日の夜のJL2414便、私は34Cにおとなしく座っていたが、後方のCAが私に鹿児島へ行っていたことについて訊く。「JACの新型機の展示を見に行ってきまして」と話し、後刻2人のCAへ画像を見せると、ともに「綺麗ですね」の旨の見解。
 48人乗りでCRJ200と同等のキャパシティ、そしていずれ伊丹発着等々を言えば、JAC ATR42-600が大阪にも重要な機種と改めて明確になる。またJ-AIRでは50席以下機材が退役していっているけれど、JACによって大阪のこのクラスに新風がもたらされるのだ。