数日前にあるタレントさんが亡くなったことについて、「またか」という思いが頭を過ぎった。その背景に誹謗中傷があったのは事実として、何で?まだ本人も20代で子供も居て、命を絶つって選択をしたのか。想像もできない領域で苦しみに耐え続けた末の決断なのか...易い言葉を並べても、私には理解できない。否、理解したくない。

 

 ご冥福を祈りたい...ところだけど、そんなに簡単に飲み込んでいいものか。ファンでもない私が本人のことをどうこう言える立場ではないけれど、特異な部分を抱えながら生きにくい世の中で自分らしさを追求する大変さ、きっと応援している人はたくさんいたと思う。死後の幸せなんかより、現世で幸せであるべきだ!とやはり私は思いたい。

 

 一カ月後に姉の命日を迎える。早いもんだね。同様の境遇だったとは言い難いが、人生の終わり方は同じ選択をしてしまった。実の姉弟とは言え、幼少期から犬猿の仲だったから居ても居なくても私の人生に大した影響はないんだけど、残された家族を想うと辛いものがある。葬儀の際、4人の子供たちの背中を見ながら、母親を早くに亡くした人生を背負ってこれからどう生きるんだろうなって。口から魂が抜けちゃうんじゃないかってくらい深いため息しか出なかった。

 

 うちの家族は特に円満だったとは言い難いけど、私が小学生低学年の頃までは家族旅行にも行っていたみたいだ。他人事みたいな言い回しは、楽しかった記憶がないから。母が他界して実家を取り壊す際に押し入れから家族写真のアルバムを数冊見付けた。両親や姉の若かりし頃の写真それぞれにタイトルが付けられていて、母親らしいなと思った。アナログなものだけど、姉にもこんな可愛らしい時期があったんだよ!とその子供たちに見せて上げようと思い、姉の葬儀を終えて義兄(姉の旦那)にアルバムをそっと渡した。

 

 家族アルバム...別に返って来なくてもいいんだけど、一周忌どうしようかなと少し悩んでいる。あれから一切連絡は取ってない。姉とは疎遠だったわけだから、旦那さん含め子供たちとも葬儀がほぼ初対面だったし、私の存在は辛いことを思い出す引き金かもしれない。と、都合のいい言い訳が頭の中をぐるぐると。

 

 血の繋がりというのは不思議なもので、書類上で繋がった婚姻関係とは少し違って、やはり特別ではある。祖母、父、母、姉と次々に見送って、もう親の介護や相続問題、姉弟喧嘩に悩まされなくていいんだと思ったら、逆に拍子抜けしてしまった。人生に張り合いがなくなるって感じだろうか。働いたり勉強したり、必死に生きて今置かれた状況を少しでも改善しなきゃ!という努力がある意味不要になってしまった。

 

 時として重荷に感じるものだけど、生きてる実感を味わいたいなら家族は大切にした方が良い。私も離婚してる身だから家族をつくる、育む大変さは少しは分かっているつもり。年齢的にも立場的にも再婚は厳しいんだけど、誰かを想うという気持ちまで失っちゃうと本当にダメ人間になる気がするから、心の窓は閉じないでおこうと思っている。

 

 身の上話で余談を挟んだところで、生きるって何だろうなって話だよね。

 

 以前も話した通り、私は20代の頃に少しだけ般若心経をかじってるからか、モノの見方や死生観は少し違うかもしれない。死なんてのは待ってればいずれ来るものだから、何で死に急ぐ必要があるのだろうと思ってしまう。そして、一時的であれ生き地獄は人生に付き物だ。私なんて辛いことばかりだよ。幸福の象徴みたいにキラキラした人生を送ってる人は極々一握り、それは手の届かないショウケースに入っていて私はずっと傍観してきた人生。ただし、辛いのと命を絶つのはやっぱり繋げちゃいけない。

 

 ネット社会が進んで匿名による誹謗中傷が簡単にできる温床となっている。最早、理性に語り掛けても、人の心に潜む闇の部分が抑えられなくなっている。妬みやストレス、歪んだ承認欲求は汚い言葉に変換されて、凶器となって相手の心に突き刺さる。命を絶ってしまう人含め、みんな自分を見失っているとは思う。他人に気を取られ、他人の言動に振り回されて、余りにも自分を見失っている。

 

 かく言う私も、自分を見失いかけたから逃げ出したわけで、大した説得力もない。単に自分らしく生き続ける選択肢を優先させただけ。今は毎日気ままに過ごしている。無職とは聞こえがいいものではないけど、社会の歯車として長年働いてきたのだから、大人の夏休みがあってもいいのではないか?くらいに考えている。私も悪い想像力を働かせるのは得意なので、深く考え過ぎずシンプルに、自分に振りかかる事象はどんな意味があるのだろうって一歩引いて受容するくらいの余裕を常に持っていたいと思っている。

 

 大人になると色んな誘惑に駆られるし、色んなものを背負わされるけど、本当に守りたいものというのは素直な自分だったり、実は幼い頃に既に手に入れていたものを大人になってどこかに仕舞い込んで見失っているのかもしれない。

 

 あまりにも背負うものが多過ぎて、心を病んでしまう。精神疾患が誤った選択をしてしまう原因の一つとも言える。私も鬱傾向が強く出た時期があって、結婚生活は「こんな人と一生暮らすくらいなら死んだ方がマシだ」ってくらい追い込まれていた。元嫁の常識人像から私がかけ離れていたとしても、奴隷みたいな人生を送ってまで自分の本心を歪め続けることはできなかった。私にとっては「離婚=生還」に等しかった。そういう修羅場は大なり小なり誰しもあるだろう。

 

 私としての確信は、結局最後は自分自身だってこと。「自殺のほとんどは他殺」という主張も完全否定できないけど、最期の決断をしてしまったのはやはり自分自身だと思う。もう冷静な判断ができないくらい追い込まれていたとして、そこまで意地を張ったのも自分。命を絶つ選択以外に何もなかったのだろうか。立場だとかプライドとか、余計なモノで着飾り過ぎてもう誰にも本心を打ち明けられなかったのか。若しくは、もう許容できる人生ではなくなったのか。

 

 私も親不孝だったけど、姉は「葬式以外で連絡するな‼」って暴言吐くような自己中だったから、歳を重ねても姉弟仲良くしようなんて微塵も思ったことはなかった。そんな姉も、命を絶つ数カ月前に親の墓はどうなっているのか?と連絡をしてきた。後から菩提寺の住職に実際姉が墓参りに来ていたことを告げられる。義兄には、親孝行して来なかったことを反省するような気持ちを吐露していたとも。正に自業自得、これまでの自分の行いが全ての災いとなって自分に振りかかってきたとでも思ったのか。

 

 姉に関しては「好き放題やった挙げ句、楽な道選びやがって」だよ。誤った選択をする前に一言相談してくれたら、ぶん殴って止めてあげたのにね。実際、義兄は予兆を感じつつ止められなかったわけだから、相当自分を責めただろう。そして、4人の子を独りで育てる大変さ...ん~この怒りや切なさをぶつける術も失って、喧嘩も成立しないというのがね。姉は生きてた頃からず~とバカ野郎のまま逝ってしまった。

 

 年間2万人超と言われる自殺者があの世かどこかで現世をぼ~っと眺めていたとして、「やっぱり死ななきゃよかったな‼」って思ってるんじゃないか?そんな下らないことをたまに考える。逝ってしまった人も、生きてる人も後悔ばかりのように思うんだ。死に急ごうってベクトルを生きる方に切り替えるだけでいいのに...。今の私に現実や社会と向き合う戦闘力が残っているのか、私もちょうど実践中なんだけど、ネガティブ思考には襲われないよう気を付けている。前向きになるって容易ではないよね!分かってる。

 

 これまで10回くらい引越しをしてきたけど、保証人不要と明記しながら未だに三親等以内の家族の連絡先を要求される。母方の叔父が了承してくれたけど、もう引越しもできないなと思っている。私は天涯孤独と言いつつも、元同僚や幼馴染はマメに連絡をくれる。「別にいつ死んでもいいんだけどな」って内心思うこともあるけど、私は生かされていると実感している。自分にとってプラスと思えることに目を向けよう。そして、自分が言われて嬉しい言葉を相手に投げ掛けよう。

 

 たまに「明日が来るのは嬉しいかい?」と自問自答してみる。嬉しい!と即答することはないけど、明日何しようかな?と寝る前に考えている自分は、幸せな方なんだろうなと思う。明日が来ることが苦痛だとしたら、手遅れにならないように動き出そう。幸せに向かうのも、不幸に向かうのも自分次第。

 


 日記というのは自分の気持ちを書き記すものであって、本来他人に見せる必要はない。誤った選択が頭を過ぎっている人たちを一人くらい救えるかもしれない...そんな淡い期待と共に私自身が「もう少し頑張ってみようか!」という意思確認を行うためのものである。