早出勤務続きで仕事を終えると同時に異常な眠さに襲われたので夜ランはサボった。買い物や入浴を済ませて、電子レンジのノンフライ機能を初めて使ってみたけど、いまいちしっくりこない出来栄えに、こんなん全然時短にならん!と愚痴をこぼしながら夕食を済ませる。

 

 楽しみにしている「アトムの童」の放送時間まで時間があったから、お笑い番組の特番を観ていた。12月に入って急に寒くなったから、ファンヒーターを付けながら、脚にふかふかの毛布を巻き付けてウトウト、と。ナイツの漫才で笑った後、サンドウィッチマン…記憶が飛び飛びだ。睡魔が治まらないので使った食器も洗わず、20時半に布団を敷いて就寝する。

 

 普段は日付が変わる頃にしか寝ないから、そのまま朝まで爆睡できるわけもなく。23時、2時と目が覚めてしまい眠れなくなる。久々、姉が夢に出てきて、相も変わらず姉弟喧嘩をしていた。そして、頭の片隅で今日は母親の命日だった記憶が浮かんできて余計に眠れなくなる。母親のこと、姉のこと、元嫁のことを次々と振り返りながら、やっぱり眠れないや!と4時過ぎに飛び起きて皿洗いをしてきたところです。

 

 身内を含めて、女性との関わり方は得意ではないなと自覚している。それでも散財して不器用に出会いを求め続けているけど、成果は皆無。孤独であることは、私がそう選択してきた結果なのだから、落ち込んだところで虚しくなるだけなのは分かっている。人ってのは都合の悪いことは記憶の片隅に追いやってしまうものだから、こうしてたまに自問自答する時間を設けなければならない。

 

 私の元嫁は小学校の先生だったこともあり、一般常識には厳しい人だった。結婚後、共に暮らすようになって、ことあるごとに「夫としての採点」が続いていたんだろう。離婚を決断する直前の数日間、数時間かけて私のこれまでの言動をダメだしする元嫁に私は一切反論せずにうな垂れて聞き入っていた。思い出したくもない地獄の時間だね。

 

 教員というのは少し複雑で、教員免許を持っていれば県をまたいで働けるかというと?そうではない。遠距離恋愛を経て同居するとなれば、元嫁は改めて教員採用試験を受ける必要がありました。今思えば遠距離なくらいがお互いの嫌な部分を見ずに済むからちょうどよかったとは思うけど、私が採用試験の願書を取り寄せて元嫁は私の住んでいる県の採用試験を受けることになった。しかし、試験内容は相当酷かったらしく、絶対に不合格と落ち込んでいたのに合格してしまった。この辺りも後々の火種となる(笑)

 

 小学校に転勤した元嫁に歓迎会の送迎を頼まれ、酔って出来上がっている同僚らしき人達に私の車は囲まれた。その際、人見知りの私は絡まれたくないなって気持ちが先行して車内から会釈だけで済ませたら、「上司や同僚の前で恥をかいた。翌日職場で頭を下げて回った。」と言われた。考えようには私が非常識だけど、何で説明もなしに突然酔った人達の前に私は晒されたのか?と腑に落ちないところはある。

 

 また、配属された小学校は地元でも柄が悪い地区だったこともあり、ヤンチャな小学生から背中を叩かれた元嫁は鞭打ち状態で治療を強いられた。この時の判断も、私が小学校へどういう指導をしているのか?って怒鳴り込むべきだったのかは未だに分からない。私が元嫁の立場だったら、自分の職場にまで口出しされたくないという思いが強かったから、私は嫁の身体は気遣ったけど職場にまでクレームを入れることはなかった。当然、元嫁からは冷たい人と映ったようだ。「勤務先が変わってから散々だよ!」ってことで、願書を取り寄せた私が全部悪いって話らしい。そういう些細な価値観のズレが積もり積もって大爆発という、珍しくない離婚パターンだった。

 

 育ちの良し悪しの基準は分からない。私の家庭は貧しくはなかったけど父は身体的に、母は精神的に病気を抱えていて、育児に対して熱心な方ではなかった。いわゆる放任に近い育ち方をしたので、私は適度に一般常識が抜けているところがある。私個人が生き抜く上でそれ相当の苦労をしてきたし、何より人との関わり方、距離感の掴み方は容易ではなかったように思う。

 

 そういう両親だから・・・という表現に「産んでもらった感謝」を込めることができていないことは、ありのままの事実として書いておこうと思う。そういう両親だから、最期まで姉とは分かち合えなかったし、私もこんな性格になってしまった。何かのせいにしてしまえば少しは落ち着く気もするけど、完全に開き直ることもできない。私はまだ生きてるし、これからも生きていこうと思っているから昇華していかなければならない。

 

 女性が子供も授かりたいと思うのは至極当然とことだろうけど、結婚を含めて過去に付き合ってきた女性の気持ちに私は応えることができなかった。自分がこんなだから自信がないというのが本心であって、同じように感謝も孝行もできないような子供をもった親の気持ちは想像するだけでも複雑で、やりきれないんじゃないかという思いに至ってしまう。

 

 そういう不安はあまり持たずに子供を授かって、子供の成長とともに親としても成長するというのが一般的だろうか。私には自分が歩んだ人生を仮に自分の子に歩ませることになったらという恐怖心が先行して、子供の明るい未来を想像する勇気が未だに見出せない。何より、母親となる女性との信頼関係を上手く築けないことも踏み切れない理由だろう。

 

 足りなかったものは、どこかで補ってこそ一つになる。

 

 自分の両親や姉、元嫁を想像すると黒い闇に引きずり込まれる。関りを断ち切れば済む話でもなくて、心の奥底なのか、頭の中なのか、ずっと記憶として生き続けている。あまり向き合わないようにしているけど、年間行事として色んなイベントの度にふと蘇ってくるのがね、中々重苦しいものがある。

 

 私に投げ掛けてくれた言葉を私がどう受け入れるかは私次第。その出会いに感謝することなんて私が死ぬまでにできるだろうかは分からないけど、恐らく意味はある。私は私なりの生き方をしたい、穏やかに。

 

 ある芸能人が「女と金と健康は一度に手に入らない」と言ったことがある。私の本業の収入は寂しいものだけど、補うだけの不労所得はある。適度とは言い難いが運動と食事に気を遣って健康を維持している。ただし、出会いはない(笑)見事な名言だなと思う。

 

 最近購入したfenix7は睡眠状況等、自分の健康レベルが数値化されていて普段使いもできる優れモノだ。後、この歳で医療脱毛に目覚めました。髭剃りは男性の宿命かもしれないけど、朝が弱い私にとって髭剃りの数分も惜しい。そして、私は大して気にしていないけど脚の毛って女性は不快なんだね。染み付いた節約家精神は大切にしたいけど、独身男性の寿命は長くないからお金の使い方も考えないといけない。

 

 これからも生きていくってことは、前向きでいるということだと思う。後ろ向きな気持ちのまま生きることも場合によってはできるけど、辛いだけでしょ。まだ若いのに精神科のカウンセリングを定期的に受けて頑張ってる後輩もいる。私も軽度の鬱傾向はあるけど、意地を張らずに自分と向き合う余裕はあるから重症ではないだけ。みんな幸せそうに映るけど、安易に口にしないだけで何かを背負いながら生きているように思う。

 

 先日放送されたアメトーークは「新日本プロレス大好き芸人」で、内藤さんの過去を少しだけ知る機会になった。闘魂三銃士の全盛期以降プロレス熱が冷めていた私にとってヒールでもなく正統派でもない、自由奔放な内藤さんには凄く惹かれた。ま、制御不能だからね。でも、過去には直向きにプロレスをしても認めてもらえない過程があって、ロスインゴとして新日本のリングに戻ってきて今がある。他人からの評価が必ずしも自分の人生の価値と直結するとは限らない。上っ面でよく見せようとしなくても、自分らしさを大切にすることで人生は充実したり、評価を得られる場合もあるということ。

 

 般若心経から私なりに学んだこととして、否定即肯定がある。自分の価値観を疑ってみるというのは、凄く混乱することだけど私はそれも含めて面白がってやる。「思い立ったが吉日」と「急いては事を仕損じる」という諺を並べてみる。一見相反する部分があるけど、私にとっては両方必要なことだ。次の一歩を踏み出したいけど、臆病さは弱さではない。固執し過ぎずシンプルに、自信を持つことだけが強さではない。

 

 書きたいことを書いて気持ちがす~っ、天気は曇りの月曜日だけど私は朝から清々しい。さて、朝食を食べながら「アトムの童」を観よう。後、仏壇のお供え物を買いに行って、レイトショーでスラムダンクからのクロアチア戦だろうか。私に足りないものは多いけど、半端者なりに楽しい日々を送りたい。最期に一つに限りなく近付けば、それで良し。