自分が必要とされているかどうか、という問題に誰しもぶつかることはあると思う。私が最初にそう感じたのは、小学生の頃だろうか。容姿が原因で軽いいじめを受けるようになって、心に闇みたいなものを抱えた記憶がある。他人と距離を置きたくなって、人見知りな性格になってしまうのは避けられなかった気がする。そこからの十数年はあまり思い出したくないな、と思う。

 

 先日、地上波で実写版の東京卍リベンジャーズが放送されていて、「どうせヤンチャな子たちの喧嘩っ早いだけのストーリーだろう」と期待していなかったけど、あぁリベンジするわけか...案外深いなって少し感動した。そうだよね、戻れるんならリベンジしたいって思う人は多いだろう。

 

 私も幼少期に戻って、いじめっ子に対して「ぜってぇ引けねぇんだよ‼」って言い放てたら、また違う人生だったに違いない。たまにそういうこと考えちゃうけど、結局その時判断できなかったことを後悔しても、フィクションとは違うんだから虚しくなっちゃうだけ。故に本当は1日1日を大切にしなきゃいけない、過去を悔やまなくていいように。ここは重要だ‼たまに忘れちゃうからね。

 

父・・・平成27年5月11日(享年68歳)

母・・・令和2年12月5日(享年69歳)

姉・・・令和4年8月14日(享年44歳)

 

 原因こそ違うけど、割と短期間に身近な家族が全員亡くなった。私は本当に独りになりました。寡黙な父とは一緒にお酒を吞んだことがなくて、身体が不自由だったこともあり一緒の時間を過ごす機会も極めて少なかった。唯々、優しさだけが取り柄のような人だった。鬱病を抱えていた母とは性格的にも近くて、私が大人になってからは帰省する度にお互い気が済むまで思い出話をした。もちろん鬱状態のときは一緒にいるだけで気が滅入る思いだったけど。姉とは、幼少期からずっと犬猿の仲だったから良い思い出は一切ない。自己中で自信家、強情で思いやりも欠けている。こんな人にはなりたくないって典型だったと思う。

 

 結局、お盆の3日間は止む無く残業三連チャンで義兄(姉の旦那)からの着信に気付いたのは23時前だった。正直、姉とは縁を切りたいぐらいの勢いだったから関わりたくなかったけど、翌朝ワンコールだけしたら直ぐに義兄から折り返しの電話があった。そして、姉が他界した報告を受ける。姉が好きとか嫌いとかは抜きに、顔は見に行かなきゃと思って、急いで喪服を車に乗せて斎場まで車を走らせた。

 

 全然連絡を取ってなかったし、姉と犬猿である以上は義兄だけでなく、甥姪とも関りはなかった。斎場に着くなり、写真でしか見たことがない小学校低学年の長男が寄ってきて私を珍しそうに質面攻めする。それに私は丁寧に応える。長女はまだ12歳だったけど、姉と立ち姿や顔立ちがとても似ていた。棺に入った姉に手を合わせた後、義兄と話す時間を設けてもらった。「昨年12月に4人目が生まれまして」「ここ数カ月は感情が不安定で、仕事にも復帰したくないと言っていて」「自分の親のこととか何もしてこなかったことを後悔していた」等々。当然死因は確認したけど、想像はできるよね。子供たちには正直に伝えていないと言っていた。

 

 何やってんだバカヤローだよ。4人も幼子を残してさ。姉の性格を知っている私からすれば、旦那となる人は神様仏様くらいの果てしない器の広さがなきゃ姉とは釣り合わないわけで、恐らく沢山たくさん苦労してきたことは想像できる。そして、離婚と死別は少し違うかもしれないけど、やっぱり子供には両親が居るべきだ。親の言動、親との関わりは子供の成長に大きく影響する。そして、死というのは関わる人たちの心にぽっかり穴を空けてしまう、早過ぎたり突然であれば尚大きな穴だろう。

 

 亡くなるまでの様子を義兄から聞いていたら鬱病が強く出ていた時の母と同じだった。姉も精神科なりに入院しなきゃ改善が見込めない状態だったようで、亡くなる前の奇行や感情の浮き沈みを振り返ると…「もし、あの時」と義兄の口からこぼれる後悔。義兄の心情を察すると、私までかなり気持ちが重たくなった。姉が他界した云々もぼんやりとしか実感できてないけど、義兄がいきなり4人の子供のシングルファーザーになって、今後やっていけるのかとても心配している。そして、子供たちの様子を遠目に見ながら通夜から収骨まで立ち会ったけど、どれくらい理解しているのかな。成長の過程で亡くなった母親とどう向き合うのか、10歳前後の子たちには重過ぎる課題だと思う。

 

 私の元嫁も環境の変化等に適応できずに感情が不安定になって、結婚後一緒に暮らしてから関係が悪化。家は安らぐ場所であるはずが、些細なことで喧嘩が絶えなくなって私も気が滅入る日々が続いた。女性なら当然だろう、元嫁も子供を欲しがっていたけど、私は怖かった。私も元嫁も冷静に自身をコントロールできていなかったし、お互い歩み寄る機会もない状態で育児なんてできるのだろうか。何より自分の幼少期と同じ辛い時期を子供に送らせることになったらどうしよう。…悪いことばかり頭を巡って、子供をつくるという選択はできなかった。

 

 何のトラブルもない家庭はないと思うけど、街中で見かける家族連れやカップルは凄く円満に見えて憎らしいよね。だから、あんまり休みは出歩きたくない、嫌な自分が出ちゃうから。義兄は真面目で優しい人だから、これから必死に子育てを頑張って、できることなら支えてくれる人が一人でも多く傍にいてくれればいいなと思う。私も年に一回くらいは、義兄の様子や甥姪の成長を確認しに行きたいと思う。子供が苦手な私には、甥や姪たちを傍観することしかできないけど、健やかに真っ直ぐ育って欲しいと切に願います。

 

 日々、ニュースで見聞きする事件事故に深く思い入れることはないけど、私みたいに居ても居なくても特に大きな影響がなさそうな独り者がこのまま生きていていいのかなとは考える。何のために生きているのか、なんて問いを考え出したら迷宮に落ちてしまいそうになるけど、その闇から救ってくれる言葉を私は持っている。20代の頃に偶然興味があったファッションブランドのコンセプトから般若心境と出会って、その一節一節を読み込んでいた時期がある。私が好きなのは「度一切苦厄」、意味として「一切の苦しみ、災いを超えることができる」等。

 

 四苦八苦という言葉を紐解いていくと生まれて死ぬまでに多くの苦しみがあることに気付かされる。生きてるだけで苦しいことばかりだけど、死というのが一つの境地であって、到達点なんだろう。独学なので正確ではないにせよ、「私が生きてることには何か意味があるのだから今日も頑張ってみよう‼」程度に前向きに背中を押してくれる言葉かな。右往左往しながらも荒ぶる気持ちを抑える手段を持っているから、私は器用な方なのかもしれない。

 

 人の死とは悲しいことだけど、悲しいだけが生きてきた証ではないから私はあまり悲しい涙は流れない。死生観とは様々だろうけど、死から目を反らすというより私は死に向かってどう歩むべきか考えてしまう。何か宗教が絡んじゃうとあれだけど、都合良く解釈してるだけだからね。自分の気持ちを抑制、整理、高揚させる言葉があるというだけで、それ以上深入りする必要はないと思っている。自分を見失って生きた心地がしない状態って私も陥ったことがあるから分かるよ。一歩でも二歩でも引いて、自分を客観視する視点はいつだって持っておくべきだ。

 

 悲劇を気取ってるつもりはないけど、捉え方は読み手の自由だからね。どう思われても私は私だろう、これからも。何の為に全体公開でブログを書く必要があるのかと聞かれれば、独りで抱え込みたくないからと答える。無様でも生きてますよって誰かに気付いてもらえれば十分。今は「余計な意地は張らない」「日々自分と向き合う」「自分の居場所があることに感謝」という想いを大切にしている。独りぼっちになっちゃったけど、気負いせずに私らしく生きていこうと思う。そして、私なんかでも相手をしてくれる人たちを家族のように大切にしていきたい。

 

 余談だけど、二十歳前後の頃は作詩にハマっていて「見上げれば満天の星だけど、私は独りぼっちになっちゃった。でも、ゼロではないから私が私自身を見守っていこう。」みたいな超空元気な詩を詠んでいたのを今でもたまに思い出す(笑)