ネット通販すれば高確率で不在連絡票を受け取る八oneです(笑) 来る前に連絡してくれればいいのに・・・個人情報がどうのというデリケートな問題もあるんだろうけど、不在連絡票を配達する為にわざわざ立ち寄ってもらっているようで、何だか申し訳ない。とは言え、再配達で午前中を指定すると9~12時を拘束されるので非常に困る。そんな時ほど11時45分とかにしか来ないから、「再配達申し訳ない」と思いつつも、塩対応になるよね!

 

 久々ブログ書くわぁ。

 

 ダラダラと長文を書くのは気持ちの整理の意味でもストレス発散になるんだけど、あえてTwitterで言いたいことを140文字に納めるというのも楽しい。でも、感情のダムが決壊しそうな時はブログに限るなと思う。

 

 一つの転換点として、昨日改めて退職届を上司へ提出しました。予兆はあったと思うんだけど、どうも自分らしさが失われていくのが分かっていて、自分の人生を見つめ直す意味での決断であって、別に自棄を起こしているつもりもありません。

 

 大きな退職理由としては3つだろうか。

 

 1つ目は人間関係。これに関しては誰もが大なり小なり感じているストレスであって、私もこれだけで「退職しまーす」なんて軽々しいことを言うつもりはなくて、コロナ禍でストレスが溜まってるのは分かるけど、みんな自己中で好き勝手やり過ぎだよねって話。昨今の若い子たちの社会人としての自覚の無さには、匙を投げたくもなる。一方で上司は「○○君に任せる」と私に期待してくれる手前、どうしようもない状況でも「様子を見ようか」と腰が重たい人で、結局自分でどうにかするしかない悪循環をはらんできた。中間管理職の板挟み状態から抜け出す術が、結局こういう形になってしまったことは自分でも残念ではある。

 

 相手を思いやる意味で指導しているつもりが、部下からは「あなたの指導方法は間違っている」「でも、○○じゃないですか」と平気で反論してくる(笑) 意見を言うことは悪いことではないけど、個人の感情的な意見が職場環境を良くするとは思えない。愚痴を言うだけで良い職場が作れるんなら苦労はしないよね。「どう改善していくか」という視点で見れない部下の面倒を見るのは疲れました・・・ということです。

 

 退職理由、2つ目は組織。私が実質ナンバー2に居るのは、真面目に職場環境の改善に取り組んだ末、心が折れてしまって一線を退いた先輩方がいたからであって、私から望んで今のポジションに就いたわけではありません。学ぶ機会として、この1年で数年分の経験をさせてもらったことは前向きに感謝しているけど、そこを逆手に取るのが組織の悪いところであって、「どうにか回ってるなら大丈夫だろう」で片付けられると結局は同じことの繰り返しになる。

 

 私より勤続年数が長くて、役職も同等以上の先輩はいるけど、考え方が現状維持以下なんだよね。私はコロナ禍を理由にサービスの質を落としたくないし、手の届く範囲で組織の立て直しを上司と練ってきた。二人で盛り上がるだけで、周りは全然ついてこないんだけど(笑) 時代は令和、言い方に語弊があるだろうけど「職員は組織の駒」だと思っている。改善点があるなら改善案を出すべきであって、そこに余計な感情や態度を持ち込む人は盤上では厄介者でしかない。挙句に、個人の判断で勝手な線引きをして「私はここまでしか働きません」と言い出す。そんなんで組織が成り立つわけがないし、あまりにも視野が狭過ぎることを自覚していない。本部は頭数でしか見ないから、仕事の出来不出来、みんながどの方向を向いて働いているかなんて見てないに等しい。

 

 退職理由、3つ目は母の他界。親子が良好な関係という家庭を羨ましいと思ってきたけど、何の問題もない円満家庭はそれほど多くない気がする。父親は病気で2015年に他界、昨年末に母親も病気で他界した。父は某ビール会社に勤務し、当時浴びるようにお酒を飲んでいたらしいから自業自得の人生だろうけど、母はもっと長生きできたと思っている。長生きできなかった理由は、母自身が意地を張ったことと、私が本気で母と向き合わなかったからだと思う。

 

 私は10代の頃から作詩をしたり、日記をつけていたが、一つのテーマが「必ず前向きであること」だった。鬱病の家族がいるということは、少なからずその影響を受けているもので、私はネガティブな母の言動に嫌悪感しかなかった。「どうにかしてあげたい」という気持ち2割、残りは「ああは成りたくない」である。ネガティブな発想が人生を遠回りさせるとまでは思っていなかったけど、自分の中にあるネガティブは発想を打ち消すように作詩や日記をつけていたように思う。

 

 鬱状態ではない時の母は優しくて、似た者同士なだけに話も合った。しかし、症状が出た途端、全てにおいて後ろ向き、厄介事は全部丸投げという風になってしまう。母は闘っていたのかな?私もここ数年セロトニン不足なのか、休日ゴロゴロ引き籠り生活が続いているから、もっと強い力で思考回路を締め付けてくる病気に対して、母は手も足も出なかったかもしれない。仕事やってます感を語りながら、一方で自分の親の面倒には後ろ向きだったんだから、所詮私もその程度だと自覚している。

 

 母のエンゼルケアを行った時の感情を思い返すと、母自身が病気の苦しみから解放されて安心した気持ち半分、力になれなかった残念な気持ち半分だろう。私にとって母がどういう存在であれ、居なくなったという事実は想像以上に大きかった。母は父が他界した時に「喧嘩する相手が居なくなった」と悲しんでいたけど、私もそれに近い感情があると思う。テレビボードの片隅には母の遺影を置いている。自分を戒めるというより、目の届くところに母の笑顔があるということに安心しているだけだろう。

 

 母のことで頭を悩ませる必要がなくなったし、一年間放置した実家も取り壊して土地を売却した。自分が生きてきた証を一つずつ失っていくようで、私にとっては精一杯前向きに生きているつもりです。私が超節約家なのも母に似たせいかもしれない。そんな自分の人生を見直そうと、自己投資なんて格好良いお金の使い方を無理やりやっている最中。そして、「今やるべきこと」を考えた時に浮かんだのが転職だったというだけだ。

 

 私は平野部育ちなので、父が生前よく海釣りに連れて行ってくれたことを今でも忘れられない。「海の近くに住みたいな」、退職理由の本心はその一言かもしれない。そんな冗談みたいな話を実行に移したいのは、何となく「好きなように生きなさい」と母だったら言ってくれる気がするからだ。

 

 2か月前くらいはピークでメンタルをやられていて、適応障害に近い精神状態だった。それで現場を指揮しろって鬼だろうって思っていた。仕事云々じゃない、生き続けるかどうかの選択で悩んでいる状況で、自分が出した答えが前向きだったことは親孝行だと言えるのかどうか。他人の人生をどうこう考える余裕なんてない。それは社会人として、組織における立場として無責任発言ではあるけど、私は自分を生かす為に他のことは放り投げさせてもらいます。

 

 私が守りたいのは許容と分別。自分の職務を全うして、力及ばず気持ちが折れて精神的ハンデを負ってしまうくらい自分を追い込むべきなのかについて、賛否はあると思うけど私は自分の人生を許容すべきだと考えた。私が勝手に理想を追いかけていただけで、サービスの質を落として業務を継続することは可能だと思うけど、私自身は分別がつかない。人は自信という言葉を好むけど、価値観は良くも悪くも固執して、いわゆる過信の領域に踏み込んでいることに気付かない。視野が狭くならないように他人の言葉に耳を貸す余裕は持っていたいけど、私に投げ掛けられる言葉は私自身の気持ちに比べれば安っぽくて、本気で私の人生を考えているとは思えなかった。

 

 私はこれからも笑って生きていたい。私は正直者なので作り笑いにも限界がある。多分それも母親譲りであって、私が精一杯できる親孝行なんて「楽しそうだな」ってあの世で想ってもらうことくらいだろう。人生というのは、残りのピースをどう埋めていくかだと思う。最期に人生のパズルを見返したときに「良かった」と思えることが私の人生における正解。

 

 うん、意地を張らずにサラッと重たいことを書いていくのは私らしい。案の定、再配達は12時直前なんだろう。気持ちの整理もできたし、もう少し我慢して待ってみます。