人生はマラソンだ!そんな名言を初めて聞いたのは小学生の頃だった気がする。私が走る喜びに目覚めたのも、その頃。本格的にマラソンを始めて10年が経つ。趣味も10年続けば一つの芸と言えるかもしれない。一芸を披露するように私がマラソントレーナーっぽく「サブ4達成の極意」を語るならば、以下の3つを挙げるでしょう。

 

1、走りたいときに走る

2、今日の全力を出す

3、怪我しない身体をつくる

 

 これを続けていれば必ずサブ4は達成できる...はず。若しくは、続けられずにサブ4なんて夢のまた夢だったなと思うだけ。この3つのアドバイスだけど、難しい順番で挙げています。一番難しいのは「走りたいときに走る」だと私は思っている。

 

 「走りたいときに走る?簡単じゃん」って思われそうだけど、私が言いたいことは「走ることが好きだったら、サブ4なんてそんなに難しくはない」ということ。故に大切なのは「サブ4達成」ではなく「走ることを好きになること」だと思う。必死に頑張ってサブ4達成できました・・・それも良い!でも、私はトレーニングを頑張ってるつもりはなくて、単に必死に楽しんでるだけ。人生において譲れないものって誰しも持っていると思う。その優先順位の上位に「走ること(走れること)」を挙げた時、おそらく生活習慣は変わってくるんじゃないだろうか。サブ4達成って脱初心者ランナーだし、サブ3達成って上級者ランナーの仲間入りだと思うけど、そういうのは達成感のネタというだけであって「走る速さより、どれくらい走ることが好きかどうか」を私は重視している。それなら「1、走ることを好きになる」で良いじゃんって思うだろうけど、そこは違うんだな(笑)

 

 2つ目の「今日の全力を出す」というのは私流なのであまりおススメはしません(笑)大会本番で結果を残すことは誰もが思い描く夢だけど、別に「ゴールは○○温泉、エイドはコンビニ、大会名は○○温泉ぼっちラン」でも十分楽しめるじゃんって思ってしまう。ここでも重要になるのは、走ることが好きかどうかにはなる!私が走っているところを見たら、ほとんどの人が「コイツ必死だな!」って思うかもしれない。でも、当の本人は楽しくてしょうがなくて、今日出せる全力で走りたくなるわけだ。ん~変態ランナー発言だと自覚してます(笑)

 

 わりと誰にでも守れることが「怪我しない身体をつくる」ということになります。ストレッチせずに走るとか、ケアを何もしないとか私から言わせるとあり得ない。単に走り方だけが課題なのではなくて、何かを得たければ何かを犠牲にしなきゃいけないから、生活習慣の見直しも必要だと思います。私もよく故障してた時期は、月間○kmって目標を持っていたけど、やっぱり第一の目的は「走ることを楽しむ」じゃなきゃ走ることが作業になってしまう。一時期、走らないと不安になることがあって、無理して走って故障が悪化することもありました。今の私にとっては「いかに休むか、怪我しない身体をつくるか」も大切にしています。月間300km超走れる人は本当に尊敬するけど、長く楽しめるランニング人生に怪我や故障でブランクをつくらないでほしいと切に願います。

 

 「1、走ることを好きになる」ではない理由を述べると、好きに成り過ぎると必然的に故障のリスクが増すから、一歩下がって「1、走りたいときに走る」くらいのゆるさが私にはちょうどいいと思っている。私がサブ3へ到達できない理由はそこに原因があるけど、サブ3達成したけど、その際に無理して数カ月走れなくなったという友人を知っているので、私はマイペースでいいやって思います。

 

 マラソンはストイックなスポーツの部類だろうから、ランナーさんそれぞれが拘りをもって走っていると思う。私の拘りが上記の3つであって、聞きようには共感も理解不能もありえること。自分でも、まだまだぬるいなぁって思うことが多々あるし、楽しめなくなる2~3歩手前で楽しく走ってる感じだろうか。

 

 結構ガッツリ語ってるけど、ここまでは前振りです!冒頭の言葉を返せば、私はマラソンに人生の歩み方、楽しみ方を教わった気がする。走ることは好きだから、仕事を終えてからでも好きなものは別腹的に走れてしまう。かつて・・・母親に似てネガティブ思考だった私は楽観的な父親を真似て、ぽか~んと人生を行き当たりばったりしたものです。でも、全然楽しめない。自分の人生なのに全然本気でぶつかってないんだから面白いわけがない。

 

 心の片隅でくすぶるネガティブ思考を必死にポジティブに切り替える。所詮言葉遊びだと分かっていても、ずっと「いつ死んでも後悔しない人生を送りたい」と思ってきた。今日本気を出せなきゃ、ずっと手抜きの人生だと思う。今日できることは今日やり遂げるべきだ。でも、その過程が苦痛なだけでは意味がない。適当って加減は難しいけど、必死でありながら私は楽しみたい。感動というのは想像を超えた先にあるものだと思う。今日はこれくらいでいいや・・・そんな手抜きの人生には何の面白みも感動もないじゃないかな。

 

 仕事の話をすれば、私は仕事が楽しいというより、仕事の楽しみ方を見出そうと努力している。次やるべきことを考えて自ら行動するとか、時には同僚の性格を分析して、どう振る舞ったら上機嫌で働いてくれるかとか。人を上手に使えれば、自ずと仕事は回る。仕事が回れば職場内に余裕が出て雰囲気も良くなる。もちろん業種によっては、同僚を蹴落とす、仕事を取り合うって競争社会が存在することも分かるけど、私はきっと合わないだろう。

 

 私は勝ち組人生でもないし、リア充なフリをしてるだけかもしれないけど、別に卑下する必要はないと思っている。独り身だけど、人生の楽しみは関わる人が多いほど倍増することは分かってる。故に孤独を謳歌するのではなく、関わる人を少しでも楽しませる、幸せにするような人生を送りたい・・・まだまだ理想の段階なんだけどね。

 

 学生の頃に自己啓発本を読み漁っていた時、人生とは「宿命という船で運命という海を渡る」そんな言葉を見付けた。どうしようもできないことって確かにあるけど、それをどう捉えて、どう舵を切るかは自分次第。時には流れに身を任せて流されてみるのもいい。肝心なのは自分の人生から目を反らさないことだろう。他人の粗探しをして、自分の価値を見誤る人は惨めだと思う。年を重ねることで得られる経験は多いけど、ふと振り返れば余計なものを持ち過ぎている気がする。たまに気持ちをリセットする機会は必要だと思う。私にとってそれは走ることで頭の中をクリアにすることであり、日頃考えていることをブログで綴ること。大人の振る舞いをしているようで、気持ちは無邪気な子供のまま・・・今はそういう良い加減さが私らしくて心地良い。

 

 全然参考にならないだろうけど、複雑なものを如何にシンプルに考えれるかが私なりの人生の楽しみ方だと思っています。