天皇家王朝物語ー和邇春日継体天皇朝ー | 夜半の月

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常ならむ 此の世と言えど あまりにも 想いはただに 夜半の月とは【自作】

徒然なるままに、医療や法律や経済や和歌などや音楽や映画やツーリングやエビアクアリウムについて書いて行こうと想います。研究者の目から見ての大学や受験についても書きます。

 

25代武烈天皇は皇嗣が無いとされて応神天皇五世の孫26代継体天皇が継いだとされるが、どう解釈しても無理が有る上に出自が高志ー越前加賀能登越中越後/現在の福井県石川県富山県新潟県という広範囲の支配者であるところから簒奪者としか比定出来ない。息長氏との関連も主張される説も多いが神功朝の天皇が削除された系図しか無い状況で息長氏の天皇と比定するのは無理が有ると言わざるを得ない。26代継体天皇は軍事氏族大伴氏と物部氏に推戴されて天皇となった事から正統性の無くなった播磨で見つかったとされる形式上の23代顕宗天皇系では天皇家では国家が安定しないと否定されて内憂外患でクーデターで擁立されたと見るのが合理的で有るだろう。

26代継体天皇には即位までに多数の妃がいたが24代仁賢天皇の娘で25代武烈天皇の妹手白香皇女を立后して天皇に即位した女系男性天皇で有る。以降はハッキリと系統が変わる事から現代の天皇家は此処から始まるとされる。

次代27代安閑天皇も24代仁賢天皇の皇女の春日山田皇女を皇后として即位旧勢力と外戚和邇春日氏の取り込みに腐心して権力の安定を目指すが皇嗣なく弟の28代宣化天皇へと繋いで行く。28代宣化天皇も春和邇春日系の24代仁賢天皇の皇女橘仲皇女を立后して即位する。皇子上殖葉皇子がいながら皇女石姫皇女を弟29代欽明天皇と娶せ29代欽明天皇が即位する。皇子上殖葉皇子は嫡子十市王から多治比氏となる。29代欽明天皇の時に遂に任那は滅亡して故地を失陥する。30代敏達天皇で皇后は息長氏の広姫ー敏達天皇4年に薨去ーの後蘇我氏系の額田部皇女で多くの皇子皇女をもうけるが権力が蘇我氏へ移行する中で嫡男が天皇になる事無く弟31代用命天皇へと譲位される事で和邇春日系の歴史は終わる。

26代継体天皇から30代敏達天皇まで5代78年履中天皇系23代顕宗天皇からは8代100年の王朝で有った。