髭を剃る女子高生を拾うー少年事件の視点からー | 夜半の月

夜半の月

常ならむ 此の世と言えど あまりにも 想いはただに 夜半の月とは【自作】

徒然なるままに、医療や法律や経済や和歌などや音楽や映画やツーリングやエビアクアリウムについて書いて行こうと想います。研究者の目から見ての大学や受験についても書きます。

よくこの吉田さんの行動を犯罪者とか警察に任せれば良いとかの意見が出ます。実際それでキチンとおさまる、そんな世の中なら家庭裁判所の存在なんてとっくに無くなってますよ。家庭裁判所に何故家庭裁判所調査官が設置されてるか一度キチンと考えられた方が良いんじゃ無いですかと言いたくなるし、BBSや更生保護女性会とかありますけどなかなか少年事件では難しいんですよ。少年は幼い心で負担しきれない事が有ると他害行為か自害行為に走ります。それを杓子定規で単純に類型化して対応出来る程少年期の精神は単一な成長をしている訳では無いからこそ難しいし悩ましい。
吉田が追い出せば、また身体を売りながら家出が続き、そのうちシャブ中にでもされて売春宿に売られて沙優の人生は終わるだろう。凡百の少年事件でありがちの終焉を迎えるよ。興味有るなら少年事件を調べて読んで欲しいですね。

そして思う事は、まともな法学部で学ぶかBBS会で活動されれば良く判りますよ。児童養護施設の悪辣さは有名ですし、虐待死事件での児童相談所の出鱈目さは夙に有名ですし、警察は捕まえるだけで前科つけるだけですからね。その為に家庭裁判所は有りますがあくまで処分決定機関で有り虞犯少年を適正に矯正するのは法務省委託機関で有る民間ボランティアのBBS会や更生保護女性会や保護司がやっておりますからね。

そして監護権者は捜索願いを出していないという設定だし、監護権者は保護責任を適正に行使していない可能性もある。

通説的には最早監護権は違法性の判断に無く未成年者本人の同意と自由の保証と安全の提供に有り、吉田はスマホを買い与え性交を否定して自由を保障して安全も提供してる。現実の事件ではあり得ない程の状況で適法性を担保している。そういう点で当該作品は奇跡とも言える設定です。