軽い自己紹介を済ませたのち、ところでお腹は空いてない?とホストマザーは尋ねてくれた。実をいうと機内食も食が進まず残していたのでお腹ペコペコだったが会って早々、お腹空いたと言い出すのも図々しく感じられたので、大丈夫と簡潔に伝えた。

 

東欧出身なので多少は癖のある英語を喋るものかと思っていたが、彼女の英語はアメリカ英語そのもので訛りというものが一切感じられなかったのには驚いた。

 

彼女曰くサンフランシスコ周辺は渋滞がひどいので電車(ここではBARTという)できたという。空港のモノレールが混んでいると彼女は中に向かって、もうちょっと奥の方詰められない?と背の高い外人集団に大きな声で呼びかけた。流石に元生徒会長なだけあって自己主張がとても強い女性だと思った。(住んでいくうちに分かったが、こちらの女性は大抵気が強い)

 

ホームに着いてひと段落すると、ホストマザーは笑顔でWelcome to Bay Areaと言ってくれた。当時まだ緊張していた私は、Oh thank you. umm..This is the first time an..come  to live…no stay overseas alone so I fell ve..little nervous. とかいうめちゃくちゃな英語を声震わせて喋っていたに違いない(流石に5ヶ月も前のことなので何を言ったのかは正確には覚えてないが…)

 

空港を出てからというものの、記憶をたどる限りエスカレーターなるものを駅ではなぜかほとんど使わなかった。そのため重いスーツケースを持って階段を上り下りしなければならないのだが、自己主張がしっかりしていると同時に、とてもたくましく健康的な女性でもあった彼女は階段に着くや否や率先してスーツケースを持ち上げてくれた。

 

バートの駅に着き、電車内ではボックス席に向かい合って座った。自分の気持ちにも少し余裕がでてきたのか英語で彼女に質問できるくらいになっての余裕を取り戻していた。

 

 

こちらがバート。所得水準がある程度高い人は移動に電車は使わないという。

 

やはり一番気になるのは同じ家に住む留学生がどんな人かだった。

 

聞いてみるとなんとその3人は全員女性で年齢は同じくらいだという。

 

えっっっっっ!?

 

またまた衝撃だった。

 

全員女性!?ホストマザー含め男子一人!?。ここで私は、ホストマザーに日本からきた一留学生が女性3人と生活するのといきなり聞かされてかわいそうだとは思わないのか疑問だった。今思えばその時からすでにホストマザーに心を許し甘えていたんのかもしれない。えー、外人女性と仲良くなれるなんて幸せジャーンと考える人もいるだろう。しかしただでさえホームステイがどんなものかもわからず、外国人と目すら合わせられないような状況で同年代の外人男性ならまだしも外国人女性とはどう接していいか分らなかった自分にとってそのような余裕はなかったのである。ましてや今回の留学目的は遊びじゃない。西海岸の軽い女の子と遊ぶためにアメリカにくるようなバカ男ではない。60万という大金をはたいてきているのだからそんなことで心乱し、勉強もロクにできず何も持たずに日本に帰ってくるわけにはいかないのである。

 

しかしここでホストマザーに彼女たちのことを根掘り葉掘り聞いて下心があると勘違いされ警戒されるわけにはいかないと思い、その話はそこでやめにしといた。後々語学学校に通い始めて分かったが、日本に比べ男女の垣根というものは非常に低く、男女の友情は存在するかなんての議論をかましている日本に比べ彼らは異性であっても友達としてみれば、同性の友達と全く変わらないような扱いをし、日本では余程気を許した男友達としかしないような下ネタでも平気で言ってくる。

 

 

今彼女たちはアドベンチャーという名の市内観光に出かけており(ホストマザーの使い回しにはアメリカ人のユーモア精神というべきか多少ならずともウィットに富んだ言い回しをすることが多かった)4時ごろ帰ってくるとのことだった。

 

 

 

彼女とはバートの中で様々な話を交わした。まずアメリカの大学制度、ここについては長くなるのでここでは触れないことにする。ここもまたどこかで触れる機会があるかもしれない。あとアメリカの映画産業。これについては、彼女自身確か演劇部にいたということもあっていろんな話を聞くことができた。ちなみに彼女が在籍したマリン大学はロビンウィリアムズを輩出した大学だそうでとてもそれを誇りにしているようであった。正直、西海岸の大学なんだからハリウッドスター一人輩出することくらいなんてことなさそうに思えたのだが、日本人と現地人とのハリウッドスターひいてはロビンウィリアムズに対する認識には違いがあるのかもしれない笑

 

 

会話をしていると、ふと彼女は自分に日本だとあなたの英語力はどのくらいのレベルなのと聞いてきた。どうやら今まできた日本人留学生の中では喋れた方であったそう。これを聞いて私は少し自信をつけ直したのではあるが、しかし聞いてみれば今までホストマザーのお家に泊まったことある日本人学生は大体中学生、いっても高一くらいなのであったのだから今思えば当然だった。

 

自身の所属する大学を引き合いに出して自信の英語力を説明しようと試みたのだが、意図せずストーリー仕立てのような形を取ってしまい、これこれこうして、そうした結果この学校に入ることができました\(^^)/みたいな終わりかたをしてしまったので、東大のような日本のトップの大学に入ったんだと誤解してしまったようだった笑(ちなみに彼女は東京大学university of tokyoを知らなかった。)

 

 

実際、彼女の英語は当時の僕にとってはかなり早く感じられたので半分くらいしか理解できず、分かったふりして I see , OK ,となんとなく返事を返していたのであった。しかし早すぎるときはしっかり早いと伝えたほうがいい、そう気づくのにはたいして時間はかからなかった。変な意地を見せて、うん分かったとかで済ましていると彼女もこの子はこれくらいは聞けるんだなと思い次第にどんどん早くなっって行き、しまいにはさっき言ったでしょと苛立たせることになりかねないからだ。

 

 

 

 

ダウンタウンバークレーの街並み

 

 

そうこうしてるうちにバートはバークレー駅についた。かれこれ1時間くらいはかかったと思う。降りてすぐスーパーに行き日本でいう定期乗車券みたいのを買わされた。なるほどここがアメリカのスーパーか、、匂いは独特だが映画やドラマとかで見たスーパーと寸分の違いもなかった。(驚いたのだが大概のスーパーには薬局がセットになってついている)

 

バス停に向かいバスを待っているとすぐに65(番号で路線が表される)のバスがやってきた。言われた通り前ドアから乗ろうとすると黒人運転手にno!!と怒られてしまった。

そしてバスはぶっきらぼうにドアを閉め誰一人乗せずに発車してしまった。ホストマザーは苛立った表情で隣にいたおばさんにどういうわけか事情を聞いていた。どうやら回送バスだったらしい。客を降ろしにきたのだが回送表示をする事が出来なかったそうだ。それに対してホストマザーさすがは元生徒会長すぐさまバス会社に電話をかけすごい剣幕で怒鳴り始めた。あまりにも早くまくし立てたので、何を言ってるのかわからなかったがどうやら日本人の留学生が一人できてナーバスになってるのにあんな断りかたをしなくてもいいじゃないかとも言ってるように聞こえた。バス停から電話し始めて、バスに乗ってからも話し続けていたのでかれこれ10分近くは文句を言っていたと思う。

 

その間、隣にいたそのおばさんにアメリカは始めて?とかどれくらいいるの?とか聞かれたのだが、会話のペースとリズムが掴めず終始ぎこちなかった。ホストマザーも僕に対して話しかけるときはそれでも気を遣ってゆっくりかつ明瞭に話しかけていたんだとその時になって始めて気がついた。

 

 

 

 

 

20分ほど丘を登ると最寄のバス停についた。目の前が自宅だった。平屋建ての一軒家。どう思案しても一体どうやってこんな住宅街の庭に鹿が入ってくるのか理解できなかった。中に入るとまずっ靴を脱いでっと言われた。エェーー靴履いたまま入るのがアメリカじゃないのと思いつつ、言われた通り靴を脱ぎ棚にしまった。家の中は全部一続きのフローリングだったため日本のようにどこから靴を脱ぐとかいう明確な境界線はなく、ドアから何と無く半径1メートル以内ですぐという感じだった。因みにそこは留学生たちの部屋とリビング、キッチンを行き来する間に必ず通るところであり、靴下のままアメリカの汚いトイレを通った靴で歩いたところを歩くのはどう考えても不潔ではないかと思われたが気にしないのはさすがは西洋人(-。-;

 

スーツケース等を部屋に運び込み、日本から持ってきた手土産を渡し、リビングで家のルールについての説明を受けた。

 

こちらがそのときもらった紙

 

 

一通り家の説明を受け終わりホストマザーもいい人だと分かったところで気持ちの綻びが出たのか、ためらいつつ、何か食べるものはないか聞いてみた、するとホストマザーは分かったと快く承諾してくれボーシュでいいかと聞いてきた。どんな料理か見当もつかず困惑した表情を浮かべていると、カブのスープ、気にいると思うわと言ってそそくさとキッチンに行ってしまった。ちなみにボーシュとはボルシチのことだったのだが滞在中に気づくことはなく、日本に帰ったらボーシュという新しいアメリカ料理を発見したことを親に伝え図々しく作ってもらおうとまで考えていた。

 

 

しかし料理が出てくるまでもまた、頭の中は果たしてこの家の留学生と馴染めるだろうか。留学生なんていなければいいのに。こうやってホストマザーと僕だけの穏やかな時間がずっと続けばいいのに。そんなことばかり考えていた。

 

 

 

こちらがリビング。左手が玄関で、奥に続く廊下を進むと留学生の部屋がある。僕の部屋は階段を下に下ったところにある。坂に立っているので玄関が二階にある。

 

 

ボルシチを食べながら、自分の将来について彼女と掘り下げた。また再び映画が好きだということ、高校の時、趣味でSFの脚本を書いていたことを教えた。すると彼女は紙を取り出し、何を思ったかその脚本を教えてちょうだい。と突然言い出したのであった。

 

その脚本は今から100年後、地球人3人が火星に行くというどこかで聞いたことあるようでもってしてかつ幼稚な物語であったが、驚くべきことに彼女はじゃあこの3週間でカメラ用意して皆んなで劇やって映画作りましょう !といったのである。結局僕含め他の留学生が断固拒否したので実現はしなかったが、この後1週間に渡り、put the shyness to the box とかなんとか言って僕を説得し続けた。火星に行くような劇をどうやって作ろうとホストマザーは考えているのか甚だ疑問であったが、何かそういうみんなで行動して一つのものを作り上げるのが非常に大好きなお母さんであったので、劇の出来などはどうでも良く、これを機に仲良くなればいいなぐらいに思っていたんだと思う。

 

 

 

 

 

 

かすかに霧がかったサンフランシスコ湾を奥手に据え、手前の小さな庭に夕日が影を落としていく姿を窓から眺めながら、コーヒー片手に母親と僕だけの穏やかな時間が流れた。

 

 

 

午後4時過ぎ。

 

ここにきて疲れをようやく感じるようになった。話すべき話題もなくなりリビングでの沈黙が目立つようになったので、時期を見て部屋に戻ろうと思ったが、ホームステイでは極力部屋にはこもらずリビングでホストファミリーと時間を共有しなさいと語学学校から前もって言われていた。そこで他の留学生たちの行動パターンを知ろうと思い彼女たちは普段どこにいるのときいてみた。するとなんでそんなことを聞くの?と怪訝な顔で聞き返されたので努めて平静に参考にするためだと答えたらご飯のとき以外は基本部屋にいるとのこと。

 

 

部屋に戻って少し寝たいから何時までに起きればいい?と聞いたら、夕飯は7時くらいになると思うけど、寝ていいのは2時間までと言いつけられた。なんでそんなこというのか言われた時は理解できなかったが、おそらく時差ボケを早く直せるよう昼寝して夜眠れなくなるのを防ぐためだんだと思う。

 

 

日本を発ってから16時間、ようやく一人になれる時間を手にすることができた。

 

 

時差ボケを治せるよう心配してくれるホストマザーの心遣いとそれでも寝させてくれる優しさにひとまず安心しながら、日本から着てきた服のままベッドに寝転んだ。

 

 

次回『最悪の晩飯』