さて今回から体験談が始まるわけですが、前回お話しした通り8/5出発日のところからお話しします。

 

 

珍しく羽田発のサンフランシスコ行き、ユナイテッド航空で確か15時すぎ発の便でした。クラスはエコノミーでしたが早くチェックインカウンターについたためかプレミアムエコノミー(ユナイテッドでは確か別の名前だったけど忘れた)にグレードアップしてもらいました。

 

お、幸先いい!!そんなことを思いつつ、荷物検査のところで親と別れ早々に搭乗ゲートに向かいました。

 

正直一人海外は初だったのでとても不安で、果たして無事生きて帰ってこられるのか、ホストファミリーはどんな人なのか、そんなくだらないことを考えながら、乗るまでの二時間くらいスマホを手放せなかった記憶があります。

 

 

撮った写真。こちらも運良くドリームライナーというちょっといい機材..?

 

 

 

フライト時間はおよそ9時間。スピーキング能力が乏しいことはわかっていたので飛行機の中ではひたすら「独り歩きの英会話」を読むと意気込んだ小一時間前の思いは何処へやら、乗って早々「マンマミーア」を観はじめ終わる前には寝落ちしてしまう始末。それでも途中でなんとか、起き始めもくもくと読書灯をつけ、フレーズを頭に叩けてました。

 

ちなみにこの当時、狂気とでもいうべきか、留学では何かを得なきゃと強く意気込んでおり、日本から持っていった本の中には英会話集や単語帳のほか、孫正義がバークレーに留学するきっかけを作ったという幕末脱藩士のお話「龍馬がいく」や名言集といった自己啓発書の類いを持っていくことに。また向こうに行ってる間に目的を見失っては困るということで一番日常で目に触れるスマホの待ち受けには孫正義ほかトランプ、ジョブズといった成功者の顔を敷き詰めた画像を設定していました。意識高い!とかいう以前にそもそもダサい。この待ち受けは日本帰ってくるまで変えることはなかったんですけどね。

 

これです(-。-;)

 

 

ここで序章でも褒めちぎったホストファミリーについて少しお話ししましょう。ホームステイ先が決まると語学学校からステイ先の情報とステイ先の家庭からのメッセージが届きます。ステイ先はインナ宅。名前からして、生粋のアメリカ人ではないなーと思いつつ読み進めて行くとどうやらベラルーシからの移民でシングルマザー。この時点で嫌な予感がよぎりました。しかしネットでググってみるとどうやらカリフォルニア大学バークレー校のサイトに彼女のページが、、それによると高校卒業後、マリン大学に入学し生徒会長を務めたのち、公立大学ランキング全米1のバークレー校に編入。卒業後会社を経営しつつ,バークレー校にて授業を受け持っているのだそう。ちなみに、ここでいう編入学というのはアメリカでは盛んだそうで、このバークレー校では卒業生の大半が編入生なんだそう。

 

読む限りだとかなりの高学歴!(◎_◎;)

 

こちらが卒業当時のホストマザーの写真。東欧系の方はやはり美人が多いですね笑

 

 

続いて僕宛にメッセージが

 

ざっくりまとめるとこんな感じ

 

こんにちはユータローさん

私はあなたに会えるのをとても楽しみにしています。私の家は丘の上にあり、ゴールデンゲートブリッジを眺めることができます。また広い庭には鹿が時々やってきます。家庭では英語しか喋りませんが、私自身も移民なので英語が喋れない辛さはわかります。私はシングルマザーで息子アントワン(13)と生活しています。今おうちにはバークレー校物理研究室生のサハンドとティルデンゴルフ場のマネジャーをやってるケビンが暮らしています。とても多様性のある家庭なので多くのことを学べることと思います

 

とのこと。ちなみにホスト先に留学生が他にいた場合はお金目的だと疑った方がよいそう。でもとりあえずその心配はなさそうです。よかった。多くの語学学校も一家庭一留学生を原則にしているようです。すぐさま添付されてあったメアドに、

 

こんにちはインナさん

私は大学の一年生で教養過程を学びつつ、次年度では文学を専攻する予定です。今回の留学では英語力の向上のほか、アメリカの文化、生活習慣等にとても興味があるのでそういったことを学びたいと思っております。そして何よりインナ、息子、サハンド、ケビンに会えることを楽しみにしています

       

的なことを送りました。

 

事前に語学学校から外人はこういうメールには返信しないことが多いので来なくてもがっかりしないことと伝えら得れていましたが、1日も経たずに返信が

 

そうね、、、まあ、うん、彼らも楽しみにしていると思うわ。

 

何か他に言いたいことでもありそうな気がしましたが、考えても無駄なので、返信帰ってくるだけラッキー!そう思うことにしました。

 

 

 

話を戻しまして、

 

飛行機は9時間のフライトの末、サンフランシスコ国際空港に到着しました。ついてから出口に向かうまで本当にここはアメリカかっ?ていうくらい自分の中でアメリカについたという自覚は全く湧かず、特段緊張もしませんでした。入国審査でステイ先はバークレーだと答えると、あそこは市民図書館が立派だからあそこで勉強するといいと教えてもらいました。

 

 

 

さてゲート出口に向かうとプラカード持った人がたくさんいました。しかしどこを探しても自分の名前は見つからず、結局30分待ってもホストマザーはきませんでした。ここでホストマザーにメールすると

 

r u in line? と送られてきました。最初見たとき最初の二文字はなんのこっちゃと思いましたが多分 Are you in line(列に並んでる?)という意味だと解し、もう出たと答えると

 

もうでたの!!それはクレイジー。いつもなら2時間くらい出るのにかかるのに。今向かってるから待ってて

 

とのこと。確かにアメリカの入国審査では数時間待つのが普通だと聞いていたので、こればっかりはしょうがないと思いベンチで待つことにしました。

 

待ってる間、あなたについての情報を聞きたいと送られてきました。英作文能力についてはそこそこ自信があったのですが、アメリカについてからというものの、次第に雰囲気に飲み込まれたせいか自分の英語力というものに完全に自信を失ってました。そこで自分の身の上話と将来どういった職業に就きたいかについての文章をgoogleに翻訳してもらい貼り付けてそのまま送りました。

 

 

すぐさま返信が

 

それは素晴らしい。実は私のうちにはあなたの他にも留学生が3人いて(スイス人、イタリア人2人)、息子はいまキャンプ行ってていません。サハンドは国に帰り、ケビンはほとんど家にはおらず会うことはないでしょう。

 

えっっっっっっっ!?

 

いや聞いてない。なるほどメールの返信が鈍い理由もこれでわかりました。一家庭一留学生の原則はどうした。そのサハンド、ケビンが家にいるというのはあの時点で嘘だったのか。これからヨーロッパ人3人、いやホストマザー含め4人と果たして同居していけるのか、もうこの時点でとてつもない不安が異国の地で一人だった僕を襲いました。

 

 

 待つこと1時間

 

 

 

そんなこれから来たるべき三週間の生活を思案するにつけ、思い描いていた生活とはかけ離れた現状を前にして、ベンチで絶望に打つひしがれていたそんな僕の目の前に現れたのは、写真とは同一人物とは思えない小柄で小太りの優しそうな女性でした。

 

ボードに書かれたYUTAROの文字を指差し、これっ?と笑顔で聞いてきました。

 

サンフランシスコ朝の9時、日本時間深夜2時。不思議と疲れは感じていなかった。