『恨(ハン)の法廷』井沢 元彦
1991年3月29日 第2刷
日本経済新聞社
Book Off On Line ¥110-
日本の機械メーカーの社長が機械の販売先である韓国企業のオーナーにビジネス上のいざこざで殺される。運悪く同乗していた日本人大使館員と銃撃犯の韓国企業オーナーも巻き添えで、全員が死亡する展開から物語はスタートする。読み始めて、地獄の閻魔大王みたいな絶対権力を持つ天神みたいなのが登場し、日本勢と韓国勢に分かれた国際裁判のようなものが始まる。
裁判物の小説と思って仕入れた本だったが、子供向けのおとぎ話のような展開だ。歴史評論家であり、小説家である作者の考えを伝えるために書かれた小説スタイルの意見本みたいな感じ。日韓関係の根底にある心理や歴史認識のズレを「死後の裁判」という思考実験を通して大胆に描いた挑戦的な異色作とのことだ。小説というよりは筆者の意見書みたいな感じ。
出版された1991年は、冷戦が終結し、日本がバブル経済の絶頂から崩壊へと向かう激動の過渡期で、日韓関係もギクシャクし始めていたころ。このころは「元慰安婦」による初の提訴(1991年12月)や韓国の民主化と「反日」の過熱が進んでいた時代だったらしい。
読み進んでいくと、なるほどと思う部分が212〜213ページあったので、備忘メモとしてコピーしておく。
〇中国や韓国はまず思想ありきさ。少なくとも科挙が成立してからはそうだ。まず、国をどう治めるべきか政治はどうあるべきか、王や官僚や人民はどうすべきか、という思想がちゃんとある。そしてその思想に精通している人間を、何らかの手段で選び出す、こうして選ばれた人間が大衆を指導する。=>階級ができる。人間は学ぶことによって君子になれるとは、逆に考えれば、学ばない奴は立派な人間じゃないということになる。同じく学ぼうとしない奴も「立派な人間」じゃないことになる。
〇ところが、民主主義っていうのは、よく考えてみれば人間の可能性、高貴性を否定した主義だと思わない?こんなことを考えてみたことはないか?」/ 教養なヤクザだろうが、全部平等だ。よくよく考えてみると、これは人間の可能性を否意している。一生懸命勉強して試験に合格した人、あるいは世宗大王のように明らかに優れていると万人に認められる人、こういう人と巷のオッチャンが、民主主義の中ではいっしょくたに扱われるんだ。
なかなか面白い試みの小説だった。









