昔、ある二人の男性のやり取りを見ました。
A「昔の職場で『あなたの存在がセクハラなんです』って言われたw」
B(少し考えて)「女性に相対する時は自分が社会構造的上位者であることを常に意識しなくてはいけない」
Aはポカンとしてました。
恐らく、彼の知性、感性では理解できなかったのでしょう。
「男性料金の方が高く設定されているのは男性差別だ!男性差別も取り上げろ!」
とか言う人がよくいらっしゃいます。
何の男性料金か知りませんが、全体の傾向として男の方が金持ってますからね。男女の賃金格差は今我が国で100:75くらいですし。但し正規に限りなので、非正規が入ればもっと差は大きくなります。非正規は女性の方が多いですからね。女は男に比べて貧しいのです。
障碍者割引とかあるのと同じです。障碍者は健常者に比べて金持ってませんから。
障碍者割引を「健常者差別だ!」とか言うやつはおらんのに、なぜかこういう言説は尤もらしく聞こえる不思議。
「社会的弱者」とか「社会構造的下位者」ってわかりますかね。アファーマティブ・アクション(ポジティブ・アクション)って知ってますか?
するとこんなことを言う人が。
「女性が弱者だとか男性差別だ!弱い男性もいる!弱い男性も支援しろ!」
「弱い男性」とは一体何を指すかですが、仮に障碍者や貧困者、在日外国人の男性と定義しましょうか。
障碍者に対する社会構造的上位者は健常者であり、貧困者に対する社会構造的上位者は富裕者、在日外国人に対する社会構造的上位者は日本人です。
女性に対する社会構造的上位者が男性です。
仮にあなたが障碍者であり、貧困者であり、在日外国人であったとしても、あなたが男性であれば、あなたは強い側のジェンダーに属することになります。
「カラーパープル」という映画を観れば多分、差別構造、交差性差別、複合差別というものがよくわかると思います。
原作小説もお勧めしときます。
アメリカ人である主人公セリーは黒人だから白人から虐げられます。
女性だから男性から虐げられます。
器量が悪いから美人から虐げられます。
貧乏だから金持ちから虐げられます。
そういう話をしているのです。これでピンとこないともうちょっとどうしようもないです。
確かに、自殺者やホームレスは男性が多い。殺人事件の被害者も男性が多い。
そういう事実は否定しませんが、それらの事実は男性が女性に対して社会構造的上位者であることを否定するものではありません。
但しジェンダー規範というものがある限り、男性にとっても生き辛い社会であることは全く否定しません。
と、ここまで言ってもどうしてもどうしてもどうしても理解しない人っているんですよねえ。
「地球上のどの国でも、政治経済的、社会的に男性より女性の方が立場が弱い」
「その格差の開き具合を数値として示したものがGGP(ジェンダーギャップ指数)」
「日本はその数値が先進国としてはああもうすごくあり得ないくらいメチャクチャ低い」
たったこれだけのことがなぜ理解できないのでしょうか。
ベーブ・ルース
“It’s hard to beat a person who never gives up.”
(決してあきらめない奴を打ち負かすのは難しい)
ある意味その通りです。
諦めないというより、「こっちが言っていることをいくら言っても理解しないという能力を持っている奴」を説得または論破するのは難しい。というより不可能です。