毎度、くどいようですが死刑制度には反対です | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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 理由の一つに「不平等だから」というのがあります。

 

 殺人、傷害、レイプ、いじめ、虐待、ハラスメント、様々な人倫に悖る行為、それによる病気や障害、学業やキャリアの中断、社会的な孤立、自殺まで含めて、この世には色々な被害があります。

 不平等というのは、「同じ被害者、被害者遺族なのに、なんで国に加害者を殺してもらえる人ともらえない人がいるんだ。おかしいだろう」と思うからです。

 

 曾て、光市母子殺害事件の被害者遺族であり、死刑存置のラディカルな活動家でもあった本村洋さんが、

 「犯人が死刑にならなければ遺族は自分の人生をリセットできない」

 と叫んでいた光景を印象深く覚えています。

 

 だったらほとんどの被害者や遺族は自分の人生をリセットできないことになります。

 実際、できないかも知れません。

 できないまま生きていかないといけないのです。

 加害者がその行いを清算しないままのうのうと生き、時には社会的な地位まで得たりする理不尽に耐えながら生きていかないといけないのです。

 

 「どうしても殺したいなら自分でやればいいし、やるしかない。山上くんのように」

 と最近は思っています。

 

 法律なんかありとあらゆる意味で本当にクソです。

 おもしろい所や役に立つ所もあるんですけどね。

 

 ところで、「加害者が死刑になれば(死ねば)自分の人生をリセットできる」とはどういう意味なのでしょうか。

 

 加害者が死んだって奪われたもの、失ったものは何も返ってこないでしょう。

 

 ただ、「そいつのいない世界を生きることはできる」

 これは大きい、これは嬉しいかも知れません。

 あたしは安倍がいない、安倍がブッ殺されたというだけでも嬉しくて寝覚めがよくてしょうがないからですw

 

 ただあたしのような凡人の場合ですと、どんなに憎い相手であっても自分でやっちゃうと自分の人生にもいろんな制限がかかっておもしろくない。自分の大事な人にも迷惑をかけてしまうし、驚かせてしまう、心を傷つけてしまう。

 だからやらない、というだけです。

 

 時代劇「必殺仕事人」シリーズを観たことはおありでしょうか。

 だいたいの人は観たことがあり、どういうものか知っている、と仮定して敢て全く説明せずに話を進めますが、あの物語において「頼み人」は大抵死ぬ筋書きになっています。死に際に、実在するかどうかもわからない仕事人に願いを託すことが多いです。

 

 「そいつのいない世界を生きる」ことが自分はもうできないのに、そんなに相手を殺してほしいもんだろうか、と最近思うようになりました。

 

 相手を殺してほしいと思うのはどっちかというと遺された人の方ではないでしょうか。

 もちろん、遺された人が頼み人になるパターンもありますし、頼み人自身が悪党の手に掛かることなく生き残って、恐らく復讐が果たされたのを仄聞したであろう、という少し救いのあるパターンもあります。

 

 まあ誰かに殺されて非業の死を遂げる時に考えることは「悔しい。仕返ししてほしい」かも知れません。

 だからべつに不自然ではないし、身も蓋もないことを言うと、カタルシスを味わうのは頼み人でも遺族でもなくて視聴者なので、それでいいのです。