てゆっか、「働く」って何ですか?そこの定義をちゃんとしないと話がめちゃくちゃになってしまわないかな。
少なくともあたしは「賃労働が素晴らしい」とは思いません。
変な話だと思いませんか。なんでそんなこと思わなくちゃならないんでしょう。
なんで「生活保護を受けるより生活保護以下の給料で働く方が素晴らしい」んでしょうか?
生活保護を受けて好きなことをして暮らした方が素晴らしいに決まっているではないですか。
「働くことが素晴らしい」ってのはそれ自体としてはかなり真理かも知れん、と個人的には思うんですけどね。
くどいようですが、「働く」とは何か、そこの定義をちゃんとしないと話がめちゃくちゃになってしまうのです。
生活保護以下の給料でコンビニでレジ打ちなんかするよりも、生活保護を受けて得意なレース編みでもしてそれを近所の人にあげたり、フリマやメルカリで売ったりした方が素晴らしいに決まっている(とあたしは思う)し、「働いている」ではありませんか。
対価として金を貰ってなかったら働いてないんか、仕事してないんか、「労働」じゃないんか、って話です。
そんなことはありませんよね。
だって「無償労働」とか「家事労働」とかいいます。
対価が発生しないと法律上の「労働」ではないかも知れませんが、今は法律上の「労働」の話をしているのではありません。
法律上の「労働」をしていないから、法律上の「労働」に喜びを感じられないから、その人は劣っているとか価値が低いというのであれば、その考え方こそおかしい。
参考
栄光に向かって走る 銀河鉄道に乗って行こう | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る (ameblo.jp)
ここでちょっと話は飛びますが、昔、「仕事もしないでくだらない文章なんか書きやがって」と親族に叱られたことがあります。
その時、友だちが言ってくれた一言をあたしは一生忘れないでしょう。
「それがマミちゃんの仕事やん!」
だってあたしがものごとを深く突きつめて考えたりそれを文章にまとめて表現したりする時間をコンビニでレジを打つ時間に差し替える方が価値が高いとはどうしても思えないものですから。
学生の時からそうでした(今も学生だけどよ)。
「お金欲しくないの?洋服とか買いたくないの?」と上級生に言われても全く共感できませんでした。
>あたしがものごとを深く突きつめて考えたりそれを文章にまとめて表現したりする時間をコンビニでレジを打つ時間に差し替える方が価値が高いとはどうしても思えない
誰にとって、どういう価値があるのか、によって随分と話が変わってくると思いますけどね。
だいたい学生がバカみたいにアルバイトしてバカみたいに高い服買ってる国なんか日本だけです。
それで学費が高いとか生理用品タダで寄越せとか主張するバカな学生がいるのも日本くらいでしょう。
いや、学費のことは言ってもいいけど生理用品タダで寄越せは絶対おかしい。
自分が優秀な賃労働者であり消費者であることを誇示するような上級生の態度もあたしには理解不能でした。
焼肉屋でアルバイトして休日はデパートに行って洋服代に五万も使うような生き方など、あたしは全く共感できないし羨ましいとも思いません。なんであたしがそいつにマウンティングされないといけなかったのでしょう。
洋服代に五万はバカだろと今でも思いますが。そんなの自慢にならないでしょう。買いもの依存じゃないのかな。
同級生にビブリオマニアがいて、アルバイト代を全部貴重な古書を買うのに使い果たしたことを自慢していましたが、そっちの方がまだ理解できます。
話を戻しますが、「賃労働」がそんなに人々にとって魅力のあるものなら、もっといい世の中になってる気がします。
賃労働をしない人を目の敵にする人がありますが、賃労働をしない人に対してそんなに腹が立つとしたら、自分は嫌な賃労働をしてやっと生きてるのにその嫌なことから逃れている人間がいる、けしからん、という単なる嫉妬です。
実際には賃労働をしてない人なんか結構います。専業主婦だってそうでしょう。
例えば一本映画に出るだけで何十億円というギャラを手にするハリウッドスターなんかには腹が立たないでしょうか。
腹を立てるべきは賃労働をしてない人間じゃなく、そういうおかしな社会システムでしょう。
つまり資本主義ってやつです。
本当は貨幣なんか要らないんです。
貨幣制度なんか人類が生み出したものの中で最もファッキンなものの一つです。
うまくやればみんなだいたい一日二時間働けば充分暮らせるようになっているのです。
賃労働が誰にとっても楽しくてしょうがないものなら、それをしない人がいたからといって腹は立ちません。
賃労働それ自体に喜びを感じる人の方がどっちかというとおかしいと個人的には思います。
大多数の人にやりたくもない賃労働を強いる資本主義社会がおかしい。
生きていくのがやっとのお金を得るために、一生かかっても使いきれないお金を他の誰かに儲けさせるために、起きている時間のほとんどを費やしてやりたくもない労働をする。
そんな人生を送るために生まれてきた人などいるわけがない。
人間はそんな人生を送るために生まれてくるのではない。
人間は幸せになるために生まれてくるのだ。