【2015.2.3.の記事の再掲載です。イスラムを冒涜する風刺画を描かれたとして、過激派がパリの新聞社を襲撃、死人が出た事件の頃ですね】
(前略)
現在も精神科医の所に通っているんですが、今の先生は、ちょっともの足りないと思うくらいにジャッジしない、私的見解を口にしないタイプなのに、この間は珍しく、強めの調子であたしを支持してくれました。
マミ「職場の上司も同調してくれたんですが、どこまでがブラックジョークで、どこまでが言葉の暴力、名誉棄損と捉えるかはもう個人の感覚の差でしかないでしょ」
医師「いや、本当にその通りなんですよ。規模が大きいか小さいかの違いだけで、この間のフランスのテロだって要するにそういうことですからね」
ある人々にとっては、「ほんのジョーク」に過ぎないことが、ある人々にとっては、深く心を傷つける、場合によっては、自分の存在意義や世界観さえ危うくするほどの深刻な精神的暴力になり得るということが、規模の大小を問わず、この世界には無数にあるわけです。
この間から、「ただの冗談なのに~」という主張をしているあたしですが、勿論、逆の立場に立つこともある。例えば、昔、「三十歳以上で未婚、子供のいない女性は負け犬」などというふざけた本を書いて大儲けしおった女性作家がおりましたが、こういう類の差別発言に対しては、自分の名誉に懸けて抗議しなくてはいけないと思いました。
それなのに、「そんなのただの冗談だよ」「本気で怒る方がおかしい」と言う人(しかも女性)が結構いて、驚くと同時に、とても悲しく、歯痒かったものです。
ただ、どんな場合であっても、抗議の手段として身体的暴力を用いる、相手を殺傷したり、器物を破損したりするというのはよくない。たとえその抗議が正当なものであっても、受け入れてもらえなくなってしまう。
今回のフランスの件は、文字通り、「シャレ」が「シャレにならない」事態を招いてしまったわけです。
(後略)
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2020年十一月のあたしが直面している人生最大の危機は、「『シャレ』と『シャレにならんこと』の区別がつくやつとつかないやつとのひたすら不幸な行き違いの極致」とも言えますね。
もちろん、死人は(今はまだ)出ていませんので、「極致」とまでは言えないかも知れません。
しかし、相当悲惨な局面であることは確かです。
昔、「白い恋人」というお土産のお菓子を作っているメーカーが、「パロディ商品を作られた」として吉本興業を訴えた事件をご存じでしょうか。
「当該商品『面白い恋人』は~」などと法廷で書面が読み上げられる度、傍聴席から失笑が起こりそうなケースだと思いましたが。裁判官も書記官も笑いを堪えてそう。
柳美里の「石に泳ぐ魚」訴訟だと、「ちょっとシャレにならなくて原告がかわいそう」「自分も気をつけないと」と思ったけど、こっちはいくらなんでも被告の吉本が気の毒で、マジギレするメーカーが大人気なさすぎると思います。