神様.
今日は教会で大事な話しあいの時が持たれます。
神様のお恵みとお守りが豊かにありますようにお祈りします。
列王記上十九章に、預言者エリヤと御使いの物語が記されています。エリヤは預言をしたばかりに、正しいことを言ったばかりに、権力者イゼベルにいのちを狙われました。絶望したエリヤは荒野に逃げ出し、えにしだの木の下で神様に死を願いました。エリヤが悲しくなって、疲れ果てて眠ってしまった所に、御使いが現れました。御使いは彼に触れて言いました。「起きて食べよ」
御使いは、「死にたいなんて言ったら地獄に堕ちるぞ」とも、「エリヤ、おまえには役割がある」とも、「生きていればいいことがあるぞ」とも言いませんでした。ただ、パンと水を与えて、「起きて食べよ」とだけ告げました。エリヤの心の動きについては聖書(みふみ)には何も書かれていませんが、その食べものに力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いたのでした。
大いなる御神の御心は、到底わたしたちには推し量ることのできないものなのだ、とわたしは思います。創世記第一章に「神はお造りになった全てのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった」とあります通り、全てのものが神様に造られたままで、美しく、相応しく、完璧なのです。
このわたし、弱き僕、小さな器ですが、いつも兄弟姉妹の側にいます。全て神様に造られたままで、美しく、相応しく、完璧で、神様にこよなく愛されている兄弟姉妹にお仕えしています。全て生きとし生けるものの創造主である神様、あなたの愛に深く感謝します。あなたが愛そのものであることに深く感謝します。わたしたちも愛であり、愛されていることに、深く感謝します。
どうか、生きることが辛い人々の内に、聖霊が力強く働いて、エリヤのように、パウロのように、人生の長い、耐え難い旅路を力強く歩んで行くことができますように。「全て私に従う者は、自分の十字架を背負ってついて来なさい」というキリストの言葉を真に知る者として下さい。「神は乗り越えられない試練を与えることはない」とパウロは言いました。わたしは、その言葉の真の意味は、全て生きとし生けるものを美しく、相応しく、完璧な形で造られた神様は、試みに遭ってもそれを乗り越える力も同時に備えて下さっているということだと思います。
「もちろん、その力はあなたの中にもあると私は思う」「そうであればいいなと思う」二千年の時を超えて、パウロがわたしたちにエールを送ってくれているのだと思います。
言い尽くせない感謝と望みと、神様のお造りになった全て生きとし生けるものへの大いなる賛美を込めて、イエス・キリストの御名によりまして、お祈りします。Amen.