「世界に一つだけの花」批判 その2 | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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【2015.4.1.の記事の再掲載です】

 

 前項「『世界に一つだけの花』批判」から自分の文章を抜粋。

 

>元気のいい人は、「なんで道端の花じゃなくて花屋の花にしたんだ(ry等々、色々興味深いツッコミを入れてくれる&あたしもそういう人は大好きなんですが、収拾がつかなくなるので、今ここではそういう論説は取り上げないことにします。

 

 この点について追究してみようかと思ったんですが、今さっき、このブログにペタを付けてくれてた人の記事を拾い読みして気が変わった。

 

 彼曰く、「お仕事はこの世に四種類しかない」んだそうです。

 

 なかなか興味を惹かれる話だな、と思って先を読んでみますと、「従業員、自営業、ビジネスオーナー、投資家」の四種類なんだそうです。

 多分、経済の世界では常識なんだと思いますが、あたしにとっては未知の世界観でした。そうだったのか。

 

 いや、あたしの予想はね、こうだったんですよ。

 

    自分の好きな仕事をして、収入も充分に得ている人

    自分の好きな仕事をしているけど、満足な収入が得られていない人

    嫌いな仕事だけれど、収入は充分に得ている人

    嫌いな仕事をしてて、尚且つ満足な収入も得られていない人

 

 つか、これは、「仕事」をカテゴライズしているんじゃなくて、「人」をカテゴライズしているんですから、「お仕事はこの世に四種類しかない」ってテーゼからは外れるわな。

 (「テーゼ」って言葉の使い方これで間違ってないんだろうか。なんかドキドキしてきちゃったな)

 

 「収入」には、「社会的評価」などを付け加えても構いません。

 その二つはだいたい同じ所にあるのであります。ない場合もありますけどねw

 

 昔、友だちやネット上の知らない人と、「この四種類の人を幸福な順番に並べるとどうなるか」って議論をしたことがあります。

 で、あたしが思うのは上記の順番で、①と④の位置は誰が考えても一緒だと思うのですが、②と③は多分、人によって意見が分かれるだろうね、って結論が出たんです。

 正しくこれが、価値観の差、優先順位の違い、ってやつなんですね。下手すると人間関係を破綻に導きかねない代物です。

 

 精神的に辛い思いをしながらでも大企業の社員である方を選ぶか、 どんなにおなかが減ってもギターを弾いて歌う以外の仕事はしたくないか。 

 あたしなら後者ですね。

 

 勿論、程度の問題もあります。「精神的に辛い」ったって、ただ単に仕事がしょうもないのと自殺考えるレベルとでは天地の差があるし、「どんなにおなかが減っても」っていうのはものの譬えでありまして、実際に餓死したりホームレスになったりしてはさすがに困る。

 だから、一概には言えないことではあるんですが、飽くまでも大雑把に、観念的抽象的に、どっちか選べって言われたら、あたしの場合はやっぱりそっちなんです。お金とか、人にどう思われるかってことよりも、本来の自分であることを大切にしたい。

 

 「自分の生まれながらの個性」「自分本来の自然な興味や関心、感性、発想」に高い商品価値を付ける(それを価値あるものだとして人に認めさせる)って、成し遂げられたら嬉しいけれども、非常に難しいことなんですよね。それこそ、また別個の才能、別個の幸運がないとできないことで、別個の努力が必要になってくる。

 で、それを成し遂げることのできる幸福な人っていうのは限られていて、でも、できない人がダメな人か、できない人生は無価値な人生かといえば決してそんなことはない。

 

 「なんで道端の花じゃなくて花屋の花にしたの」っていう問いの本質はそういうことなんです。

 この詞を書いた人は、花屋で実際に見た情景からインスピレーションを得たらしいという話をどっかで聞いた気がするので、そんなに深い意味はなかったと思いますが。