終末が訪れた。戦争は敗れた。1945年四月の戦慄の日々に、世界を焼く劫火を終わらせた総統官邸周辺の戦闘を、魂を震撼させつつラジオで共に体験した時、私は思わず知らず「リエンツィ」のラストシーンを思い浮かべずにいられなかった。燃え上がるカピトルの丘の炎の中で、護民官が没落する。
集まれ!集まれ!さあ、急いで我々に加われ!
石を持って来い!松明を持って来い!
彼は呪われた、彼は追放された!
だが滅亡の騒乱の中にあっても、私はリエンツィの声を想起する。
民衆も私を見捨てる
民衆、この名に相応しいものに高めたのは私だった
全ての友人が私を見捨てる
幸運が私に作ってくれた友人が
自分に対して出したこの問いに対する回答ははっきりしている。根本的に非政治的な人間として、1945年に最終的に終焉を迎えた一時代の政治的出来事にアイデンティファイすることができなかったと同様、如何なる地上の暴力もアドルフ・ヒトラーとの青春時代の交友を否定するよう私に強いることはできなかった。
(アウグスト・クビツェク「アドルフ・ヒトラー-我が青春の友-」)