極めて偏屈。しかし、その扱い辛さこそが人を魅了する。それがポンド。まるで英国気質そのもののよう | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

アマゾン、iBooks、楽天Koboで電子書籍を販売しています♪
メッセージボードのリンクからばびゅっと飛んで行ってね(^o^)/
A5小冊子版(紙の本)もあります♪お問い合わせ下さい♪

 友だちが昔から短歌をやっているんですが、発表や交流の場が欲しくてサークルに入っているらしいです。
 
 そういうのあったらいいな~ってあたしも思っていますし、顔を出してみないこともないんですが、なんかいまいちピンとこないんですよね(-”-;)
 自分で文芸サロンとか同人誌とか主宰してもいいかな?と思ってるんですが、人集めが下手ですから結局一人でやってそうです(^_^;)
 同人誌はともかく、一人でやってたら「サロン」じゃないですよねf^_^;
 
 今の時代、紙の本に拘る意味はあるのか?とかもよく考えます。
 最初、電子書籍などネットコンテンツには紙の出版物を超える可能性があると思っていたんですが、やはり今はまだ紙の出版物の方が優勢だと思うんですよね~。少なくともあと十年は逆転しないんじゃないかと。
 今、巻物に筆で書き写した書物なんて流通していないのと同じように、遠からぬ将来、紙の出版物っていうものもなくなっていくのかな?と思っているんですが、あの「ハードカバーのゴージャス感」というものを果たして人類はそう簡単に捨てきれるでしょうか?
 少なくともあたしは捨てきれないし、小説とかに関してはテキストさえ読めればいいってもんじゃないと思います。
 
 
 ところで、「好きなことで飯が喰えない」という状態を、あたしは必ずしも不幸だったり惨めだったりするとは思いません。
 不幸だったり惨めだったりするとすれば、「好きなことで飯が喰えない故に、飯を喰う為には嫌いなことをしなくてはならない。自分の持っている大半の時間や心身のエネルギーを嫌いなことをするのに費やさなくてはならない。結果、好きなことをする時間もエネルギーもなくなってしまう」という状態だと思います。
 だったら、「殆ど何もしなくても、または、自分の時間や心身のエネルギーを殆ど圧迫しない方法で金が入ってくるようにして、余った時間とエネルギーで好きなことをし倒す」という生き方を選べばいいんじゃないでしょうか?
 確かに、「好きなことで飯を喰え」てはいませんが、これなら不幸でも惨めでもないと思います。
 
 というわけで、もう生活費は別のことで稼いで、書くことや占いは趣味でやることにしました。恐らく、好きなことで飯を喰おうと苦闘するよりも、その方が効率的です。
 あんまり「趣味でやる」という言い方はしたくなくて、「自分では『仕事』だと思っているけど、『お金を貰うことを目的としていない仕事』『場合によっては金を使ってでもする仕事』」というのが一番近いかなと思います。
 「だからそういうのは普通『趣味』っていうんだ」と言う人が多いと思いますがf^_^;
 
 ちなみに、「別のこと」って何かというと、外国為替なんですが、不思議なことに、どっちかというとこっちの方が「趣味」という感覚なんだなあ。「お金を貰うことを目的としている趣味」といいますか。
 一般に、好き嫌いや額の大小には関係なく、「仕事=金を貰って、または貰う為にする活動」「趣味=金を使ってする活動」というように捉えられがちですが、必ずしもそうとは言えないことが明らかになりましたね。
 この問題はまた気が向いたら追究してみましょう。
 
 で、肝心の長編小説なんですが、毎日数百字どころかまだ一日だけ、数百字だけしか書けてませぬ(-.-;)
 何年かかってもいいやと思っているので、焦らずゆっくり進めますo(^-^)o
 
 為替がおもしろくて、ここ最近、そればっかりやってるんですよね。
 結局、時間と心身のエネルギーをそれに取られちゃっています(-.-;)
 
 つまり、あたしに言わせりゃ「仕事せず遊んでばかりいる状態」なんですが、「仕事をしても一銭にもならない、寧ろマイナスになったりもするが、仕事せず遊べば遊ぶほど金が入ってくる」とはこれ如何に。