令和6年1月4日〔木〕【第2537号〔本年第4号〕】

    十二月十一日、サラシャンティでの・・・二時間近くに及ぶ、保江邦夫先生のお話を一言で括ると 【タイトル】になる。かなり乱暴だけれど。。。

 

   サラシャンティの極々 ご近所、今年は、タツ年ですねぇぇぇ!

 

  話、戻って、 

 

  一昨日の午後に、やっと・・・・サラシャンティから送られてきていたDVDで、 12/11(私は、この日、在、新小岩で・・・そうですねぇ、この時間帯、11人の美人に囲まれて、誕生日のお祝いを受けていた。既報のとおり。)の保江邦夫先生のお話を聴いた。。

 

  緊縛師のお話&実地見学を元にしたお話だから、「確かにそうだったんだろう!」と想う、ただソレだけ。

 

   まっ、いつもながら、保江先生・・・・二時間近く滔滔とお話なさるコトにまず、感心させられる。で、私の脳内も、コレもいつもながら、アチコチに跳びまくり、いろいろと、想い起す。

 

   まず、尹金陵さん&卓球家・小山チレさんのコト。

 

   コレは、前にも書いたハズだけれど・・・1996年の春先だったろう。尹さんがチレさんを治療する現場(池田)に立ち会った。尹さんは、仰向けに寝ているチレさんの周囲に一杯、かなりな数の小さな小さな針を立てて、後は、尹さん、まるで仏さんのように瞑想をしていた。二人が感応しあっているあの光景は、脳裏に残っているし、まっ、【天才同士の無言の会話】、に 観えた。強烈な印象がある。

 

   保江邦夫先生、「体外離脱」とか「覚醒」をおっしゃっていたけれど・・・ソレに関しては、尹金陵さん&小山チレさんのソレよりもっと遡って、1988年か、89年の 夏に・・・まぁ、長くはなかったけれど、呉彬先生のご教示を守って、出勤前に、大阪城公園に毎朝、通っていて・・・「ハッ!!コレかぁぁぁ!」と 思った瞬間が あった。 自身の存在は、もちろんある、でも、身体が消えた、というもちろん錯覚と言えば錯覚 なんだが。。もう、35年も経ったか、、あの時は、一か月程度でポシャったから。だから・・・自分の太極拳もソコから大して進化していないなぁぁぁ! という 二つ目の思い。

 

  三つ目

 

  先生のお話の中に出てた、「田中英道先生」・・・この先生のご著書を二年ほど前だったか、図書館から借りて数冊、読んだような、またまた、とても薄い記憶が。でも、中国の高官が田中英道先生を高く評価していた、という話もあるけれど・・・オウキザンさんじゃなかったか? で、その娘さんが、例の、武漢のウィルス研究所の所長・・・と 私の脳内、ドンドコドンドコ 流れていた。。。

 

  もうお一人、元町の近藤孝洋さんのお名前も、保江先生のお話に登場していたが、近藤孝洋さんについては、三年半前に亡くなった中川二三男さんに風貌が似ている、という印象だけ。彼の「陳家太極拳」については、ユーチューブ動画のチラ見で、「??」、持っただけ。直接の面識は 無い。。。

 

      中川二三男さんとは、1978年1月以降のお付き合いが・・・あった。彼は、外見とはうらはらに、と言ったら失礼な言い方になるが、とても、シャイで、超、まじめだった。私が、まだ、大阪市港区港晴に住んでいた頃、だから、1978年の秋とか、翌、79年の初め、ドドドッ! と、手紙を送ってくれた。1978年1月のあの事件を知っている人も、減ったでしょうねぇぇ! 関西からは、24人が参加していたが、被害に遭わずに済んだ。。。

 

  まっ、以上のとおり・・・ツラツラと・・・保江先生のお話から派生した印象。

 

 

  一昨日は、朝は、カミさまと一緒に→  方違神社。

 

  元旦とは、違っていて、空いていた。

 

  写真は、昨年の元旦、、、反正御陵。

【追記、2024/1/4  8:10】 1/8  高知から中込照明先生がこられて、保江先生とご対談。ただ、締め切りが 12/31  。。。締め切り日を過ぎてから、気づいたんでは手遅れ・・・後の祭り。まっ、昨年11月時点では、1/8 ~1/11  は、在 みてトレで塞がっている、と 思って ハナから諦めて いたから。。没法子没法子。。。。