令和5年1月14日〔土〕【第2170号〔本年第9号〕】

 またまた、アンチョコに、ドラゴン君 → 道場ラインから失敬。まっ、ドラゴン君も、昨年までは、道場生としては、年齢的に一番のペーペーだったのが、今年になってからそうじゃなくなったので・・・嬉しそう?!・・・知らんけど。 とりあえず、以下にコピ・ペーーーーーーーーーーー

 

  太極拳に「放鬆」(fàng sōng)という要諦があります。太極拳の専門用語です。これは、緩やかにする、リラックスしているというようなニュアンスですが、「脱力」だという間違った説明をする指導者が多いです。
  「放鬆」に、力を抜くという意味はありません。太極拳には、脱力する瞬間はありません。一気に力を放出するような動作はありますが、だらけるような動作はないのです。放鬆していても、常に掤勁が発生しています。筋肉は働いています。正しい姿勢は筋肉痛になります。力を抜いたまま、激しい動きをしたり、きつい体勢を取ろうとして、肘や膝を痛めます。
 「鬆」という字は、間隔がばらっとしていて、ゆとりがある、和らげる、ほどく、放すというような意味です。現代中国の簡体字では「松」になってしまって意味不明になっていますが、上に載っている「髟」(ひょう/biāo)は髪の毛が長く垂れ下がるさまを表しています。「松」はしっかりした土台です。
  力を抜けと言われて、人間、力を抜けるものではありません。意識して下手に力を抜くと、芯のないフニャフニャ状態になります。放鬆を「脱力」だと勘違いして、脱力、脱力、ダツリョクぅ~と唱えて、フニャフニャ太極拳になっている人は多いです。
 放鬆は、「するもの」ではなく「なるもの」です。「鬆」の状態でいれば、余計な力は抜けていきます。熟練すれば自然と余分な力は抜けるのです。箸を使うのに余計な力はいりません。子供に箸の持ち方を教える時に、力を抜け、なんて教えないでしょう?
 力を抜け!というような漠然としたことを言われてもなかなかできませんが、肩を下げる、股関節を曲げる、というような、意識で変えることのできるところに注意して、形をしっかり作ることに専念していれば、いつしか慣れてきて、放鬆はできていきます。
 力を抜くという意識は忘れて、まずはひたすら、正しい形の套路を練習してまいりましょう。ーーーーーーーーーーー以上、丸ごとコピ・ペ」

 

  確かに確かに。。。まっ、一般的な意味においては・・・例えば、学生が学習を【鬆】してしまうと、→ 落第一直線。 太極拳の用語として理解しないと、サッパリ、て コトになりますし、前にも本通信内で批判したが、尹雄大氏の『FLOW』などと言う、ワケわからん本が出回ったりするわけで・・・活字にするならするで、もうちょいきちんと学習しろよ!というトコロですが。イカンイカン遺憾・・・脱線。 【鬆】と【散】が根っこの部分で「統一体」というコトも一般的には理解されにくい話、かなぁぁぁ?! ドラゴン君の言うとおり、単に脱力、とか、萎える では、ホンマ あきませんし。私は、「パンクしたチャリンコ、そのまま走らせたりしないでしょうがぁ!」とちょくちょく言う。。。ドラゴン君の言うとおり、 放鬆は、「するもの」ではなく「なるもの」です・・・そのとおり、で、「意識」は、というと、「似有意、似無意」が大事であって・・・つまり、「有るようで、また、無いようで・・・ほどほど」が なかなか、みなさんにはわかりにくいようだ。ついつい、入れ込むから、結果、ますます、放鬆から遠ざかってしまう。「無過不及」をキープしないといけないのに。。。