令和2年4月14日〔火〕【第1009号〔本年第89号〕】

 

  12日・日曜日の朝、2015年10月に記した【「禹歩」って何ですか?】に追記したけれど、今日、今は、そのまた追記です。バラバラととりとめなく書きます。

 

  「夏」の開祖は、わが国(トコヨクニ)の第二代クニサッチ・・・8人のうちの一人、カノミコト(カノクニサッチ)であろう、と書いた。が、コレには、異論があり、定説というには至っていない。そもそも、ほんの少し前まで、「夏王朝」は神話扱いされていたから。まっ、日本も同じだけれど。「神話」扱いされているけど実は、「実話」・・・まだまだ世間一般に認知されていない。「アマテル」は男神なのに、コレは、はっきりしているのに、いまだ、女神(=天照大御神)扱い。先月出された渋谷申博さんの『カラー版 神社に秘められた日本書記の謎』でも、惜しいかな、そうなっている。たくさんの写真はすばらしいけれど。。。いきなり脱線した。

 

   「夏王朝」は、苗(ミャオ)族が建てた、て説あるし、そして、その苗(ミャオ)族が弥生時代をつくった、とおっしゃる方もいてる。まっ、縄文時代、というとんでもなく長い時代・・・まだまだわからないコトだらけではあるが、大陸から「渡来」はあっても、時代そのものの中心になった、てコトはない。「渡来系」が我が国の中心におさまるようになったのは、もっと、もっと、ずっと後、即ち、物部守屋が蘇我馬子に敗れて=6世紀の終わり頃じゃ、なかったかなぁ??いやいや、【漢字】がのさばってきて・・・公文書に用いられるようになったのは、それよりもう二百年ほど前のコトだからその頃から徐々に徐々に。。。

 

   【苗刀】は、苗(ミャオ)族とは関係ないよね。戚継光は、日本の「陰流」でしたか?よく、研究したらしい。「戚継光」、この将軍の名前、『太極拳指導教本』に入れといたけど。。。またまた、話、逸れた。

 

  「夏王朝」は、竜神伝説を持つタイ系の水上商業民が建てた、という説は・・・コレは、岡田英弘先生。亡くなられて、3年?ですか。 岡田英弘先生の著書は読んでいないし・・・何から知ったかというと、中国の、いわばナンバー2・王岐山国家副主席がこの岡田英弘先生の『世界史の誕生』 を讃えた、という伝聞からである。王岐山国家副主席、清明節(4月4日)の前日、北京郊外での植樹活動に列席したとか・・・コレは、拓殖大学の富永聰先生情報。。。またまた、脱線した。まっ、脱線ついでに言えば、この前、Mr.Мと二人の時、語ったコトではあるが、周元龍先生に気功のコトを質問してて(=1979年の暮れ・・・たぶん)、「日本にも岡田式静座法があるじゃないか!!」とほとんど叱られたコトがあった。。。岡田英弘先生、中国の王朝の中心は、漢族じゃなかった、ておっしゃっているけれど・・・ソレは、言われなくたって、そうなんです。ただ、だから、コレも一般的には、【漢族がずずずっと】て認識をお持ちの方、多いでしょうねぇ。 「漢」と「宋」が漢族による「建国」じゃなかったかなぁぁぁ?後は、ちゃうでしょ?中国、支配者がゴロゴロ変わってきたんです。ずっと長く、長く。 その昔、ほぼ五十年前、「東洋史」で「唐宋時代変革」、やたら細かく教わったけれど、何~んも残っていない。

 

  「禹歩」について追記、と言いながら、全然話、進まない。ほんと、みごとにとりとめないですねぇ・・・あのぅ、孫悟空の如意棒が、アレが、禹王が測量用に使っていたおもりの欠片、て 確か、そういう設定でしたよねぇ。どうも、小説とか映画・・・読んでも、観ても、すぐ、すっからか~ん。何も、残らん。仮に残っていても断片だけ、あきませんなぁぁぁ!すみませんねぇ。

 

  1か月前に、エイヴリ・モローの『ホツマ・カタカムナ・先代旧事本記』を一応読んだけど・・・再読しないといけない。ボストン生まれの若手がすごいモノ、書いたなぁぁぁ!!という驚きがとても大きい。勿論、翻訳した宮崎貞行先生もえらい!!「カタカムナ」の存在自体は、二十年以上前から知ってはいるが・・・全然勉強していない。Mr.Мは、「カタカムナ」の何やらお宝を持っている。。。

 

  結局、「禹歩」って何ですか?追記の追記といいながら、な~んもまとまらんコト書いて・・・すみません。マスペロも「禹歩」について書いていましたよねぇ・・・きれいに忘れているけれど。

 

 まっ、しかし、しかし、太極拳大好きな方々・・・「禹歩」が太極拳の歩法にぶっとくつながっている、というコトだけは、知っといてね。