今日、一日(ついたち)、深井のKM道場からの帰り、いつものように大仙公園・日本庭園に立ち寄った。そして、いつもの甘泉殿へ。先客(オバちゃん)が一人居た。が、かまわずに、いつものように池泉・休憩舎に面しつつ、動いた。しばらくすると、そのオバちゃんから声を掛けられた。「ご主人、太極拳、気持ちよさそうですねえ!!」と。先客を無視するのは、失礼なこと。「ええ、気持ちいいです。・・・」とテキトーにしゃべりながら動き続けた。そのオバちゃん、「友達がココでフラダンスの練習をすることがある」とか、・・・日曜日の大仙公園の太極拳の賑わい振りもよく知っていた。この話には、「結構遠方からもわざわざ来てますよ、昔は全く少なくてほんの数人でしたけど、・・・」と応えた。オバちゃん、「何でも続けることですねえ!私、お友達を待っているの」、ということだったのでお先に失礼した。「ありがとう」と言われた。/日曜日(28日)、谷町の大阪歴史博物館講堂に行ってきた。イワクラ(磐座)学会10周年記念大会聴講のためだ。元々は、堺、家原大池体育館にて開催の太極柔力球の選手権大会の招待状もいただいていたので、そちらに行くハズだった。ただ、まあ、体はひとつなので・・・イワクラ(磐座)学会の演者には、平岡憲人先生の「まとかなるやまとことは講座」同窓生であるT庭師が研究発表することになっていたので(理由はそういうことにしておきますが)、予定を変えた。庭づくり・Tさんの『伊勢神宮・内宮の隠された南北軸-内宮の磐座と八禰宜山』はとてもりっぱな講演だった。ああ、今日のウェブログのタイトル、『偶偶』にしてたんですね。そう、博物館講堂で、左隣に座っておられた静岡・沼津から来られた原田さん、「偶偶お隣に座ったので・・・」と、『検証ホツマツタエ--真説・日本古代史--第73号』を「差し上げます!」と渡してくれた。これには驚いた。だって、30日・火曜日に図書館に返さなければならない池田満先生ご著書『ホツマツタエを読み解く、日本の古代文字が語る縄文時代』をカバンに入れていたからだ。私がカバンから取り出した本を見た原田さん、本当は驚いたハズなのに、互いに、二人とも驚いた素振りを全然見せずに昔からの知り合いであるかのように話をした。これは、なんだか変です。でも、しかたないですね。「ホツマツタエ」て、まだ、世間に認知されていないでしょう??三省堂の2800頁ある国語辞典の『大辞林』でも、「ほつま」を引けば、「秀真・神代文字の一。明治時代、落合直澄が〔いろは〕順に配列して示した四八の表音文字」と、わずか二行、貧相な内容。イヤ、内容無し。ひどいね。養老孟司先生のような著名人・知識人でも、「縄文には文字がございません」と断言してしまっている。(『縄文謎の扉を開く--縄文文化輝く会編(2009.12月刊)』の308頁--「縄文時代の人体と生活環境」を改題した「現代人と縄文人の考え方」平成18年、茅野市での講演)まだ、当分、ホツマ偽書説がまかり通ったり、この国語辞典の程度の扱いをされたり、・・・、しばらくは、まだ、まだ・・・・。私自身、平岡憲人先生の「まとかなるやまとことは講座」に初めて参加した一昨年、平成24年9月14日〔第16回講座、トツギのミチとひな祭り--この国の結婚に託されたもの--〕、二つの疑いを抱いていた。一つは、文字(ヲシテ)自体、ハングルをひねったものではないか、と。二つは、五つの節句は、やっぱり中国から来たものだろう、と。でも、しかし、しかし所謂常識にとらわれない、というのか、ときには常識に疑問を挟む姿勢も要る、だろう。二年を経てそう思っている。「まとかなるやまとことは講座」、まもなく、40回になろう、としている。私は、劣等性のまま(毎回、結構な資料をいただくが、その場、そのときだけ・・・)で、平岡先生には本当に頭が下がる。さっきの話、初回参加は、印象的な内容だった。ごくごく一部をしかも申し訳ないけど、ヲシテではなく、カタカナで以下に記す。---ハツヒモチ アワノウヤマヒ モモニヒナ アヤメニチマキ タナハタヤ キククリイワヒ イトシフユ ・・・」/昨日図書館で借りた渡辺豊和先生の『縄文夢通信』(1986.10刊)では、東北・亀ヶ岡で出土した4500年前の遮光器土偶は、セラミック工法が採られている(20頁)、とか、ともかく、縄文期の技術は、弥生期や古墳期のものとも比べものがないほど高度だった(96頁)、そうだ。渡辺先生に言わすと、視覚より、触知覚を重んじたのが縄文文化、らしい。/話、飛びますけど・・・太極拳でも触知覚が大事ですね。それこそ、常識にとらわれて、(天地の働きが分からなくて、自分の腕力・拙力に頼ってしまって・・・)、私自身そうですけれども、もがいている人は多い、ですねえ。「虚」の世界、「空」の世界、見えない世界、簡単にはわかりませんものねえ。/思い出した!!偶偶、といえば、3月24日の夜の白鵬関の笑顔を!水風呂の中でタオルを頭に載せていた大きな白鵬関を!あの時も、初めてなのに、よく話できたなあ、今にして思えば・・・・・あの春場所・大阪場所、もしも彼が優勝していたら、会えていない。いろんな、いろんな偶偶が重なったのだ、あの夜は。
【以下、「追記」】29日あさ、万代池公園から帰ってきて、高知の妹に「友人・知人に御嶽山での被災者は?」と、メールした。その返信は、「幸いに誰も行ってません。ちょうど昼どきで、土曜日だし、頂上ちかくにはたくさんの人々がいたことでしょう。去年に私が登った時にも、あの山小屋のそばで昼ご飯を食べたことです。異変があるなら、登山者向けに何らかの注意喚起ができなかったのか、観光業者への配慮とかの問題があるにしても、後で情報が出てくるのはたまりません。」だった。後半は、全く、登山者としての意見だ。死者が47人になった、とか。偶偶登っておられて被災された方々のご冥福をお祈りするほかない。前後したが、29日あさ、万代池公園に向かう電車内で、向かいに座っていたサラリーマンの持っていた新聞の見出しがチラっと見えた。偶偶見えた。隣に座ったたあさんに「御嶽山が人を『襲う』て、発想、今の人の感覚やろうねえ。だって、〔人〕は〔自然〕の一部なんやから・・・」と。たあさんは、「あの方は、ねえ△△△」先輩はよく知っている。