一週間前(2014-06-23)に取り上げた藤田紘一郎先生ご著書『脳はバカ、腸はかしこい〔腸を鍛えたら、脳がよくなった〕』 には、書いたとおり、サナダムシも登場するが、ミミズも登場している。2014年1月版(第22刷)、56頁~57頁に以下のくだりがある。【…空海の言葉につぎのようなものがあります。『過をなす者は暗く、福をなす者は明なり。明暗偕ならず。一は強く、一は弱し。』ミミズはその日その日を精一杯生きており、不安がないように思います。脳がないので、どうでもいいことをいちいち不安がることもないのです。このミミズの全力の生き方が「明」であり、仮に環境が変わったとしてもその生き方を変えることはありません。逆に、大きすぎる脳を持ってしまった人間は、・・・】引用が少々長くなった。ただ、このくだりを読んでいて、まったく内容が別なハズなのについつい、タイトルの古詩を思い出した、と言っても、諳んじることはできないが。。。この漢詩は、確か、4、5年前にNHK漢詩講座で取り上げられた、ように記憶する。なんともユーモラスでありながら、かつ人生訓も宣まうような、・・・約千年前にこんな強烈な個性を持った詩人がおったのか?と。その4、5年前の気持ちは甦った、とそのような次第であった。いま、「まったく内容が別なハズ」、と断ったのは、梅尭臣の方は、ミミズにあたかも見識が備わっているかのように詠っている。一方、藤田先生は、ミミズが脳を持たないすばらしさを述べておられて、その点で、両者の観点は真逆だ、ということ。ただ、そうはいうものの、私自身十年前から大切にしている【『自能而不能』はダメよ!】というところでは通じる。さて、私個人にとっては大昔になるが、56、57年前、兄と一緒に台所の裏側に沸いていたミミズを手掴みして、うけ〔なぜか地元では当時これを「うぐえ」と呼んでいた〕に入れて、ウナギを採ったことも思い出されたが、しかし、ミミズを掴むことがそもそも苦手だったし、早起きもイヤだった。つまりは、四歳年上の兄に付き合わされてしぶしぶ一緒に行動した、だけだったかも知れない。今にして思えば。。。『蚯蚓---梅尭臣』---蚯蚓在泥穴,出常似盈。蟠亦以蟠,龙鸣亦以。自比,恨不角生。蝼似相助,草根无停声。聒乱我不寐,每夕但欲明。天地且容畜,憎唯人情