15日に弟が亡くなりました。昨日が葬儀でした。収骨をしていて思ったのですが、収骨の意味は故人が三途の川を渡れるように遺族がみんなで手伝って橋渡ししてあげると言うことらしい。でも、それよりも遺族が死を受け入れられるようにするのが目的ではないかと思いました。
あの骨を見たら亡くなったという実感が湧きます。プレートやボルトが焼け残っていたり、立派な大腿骨、とか故人の特徴を残していたりして、まごうことなき弟の骨でしたもの。というようなことを言ったのですが、家人は誰も同意してくれませんでした。
今は何か骨も残さずに焼き切ることもできるとのことです。遺族が収骨を望まない場合はそうすることもあるそうです。今後はそういうケースも増えていくのかも知れません。
昨日葬儀も終えて、中国語でいうと没精神です。日本語にすると元気が出ないとか、気力がないとか言う感じですが、どれもしっくりこなくて、ただひたすら很難過、没精神という感じです。

にほんブログ村