最近、命の大切さを実感している。
日本で大地震が起きた日、
老公の外婆(母方の祖母)が亡くなった。
関東地方の友人知人が心配だったけど、
連絡するすべもなく、急いで荷物をつめて義母の実家へ行った。
義母の実家に到着した。
外婆は棺の中で、重たい蓋がかぶせてあったので、もう顔を見ることは出来ない。
老公は、線香を上げながら子供みたいに泣いた。
従兄弟も嗚咽しながら泣いていた。
それを見て他に人たちも貰い泣き。
わたしもちょっとウルッと来た。
外婆の死よりも、外婆の死を悲しむ家族や親族、老公を見ていると
とてもいたたまれない気持ちになった。
みんな悲しいのは当然だけど
一番ショックを受けているように見えたのは、多分、老公の従妹のCちゃん。高校2年生
人の死に直面したことが無いのだろう。
それに、子供と違って人が死ぬのがどういうことかよく分かっているが、
人の死を上手に消化出来るほど大人ではない。
みんなが休憩していても、食事していてもうつむいて、ポロポロ涙をこぼしている。
めがねの奥のまぶたが腫れあがっていた。
そのCちゃんの隣には、Cちゃんのお父さん(義母の弟、老公の叔父)が常に居て、
泣いているCちゃんの肩をなでて、なだめていた。
私も大好きなとっても優しいおじさんだ。
その姿がよく印象に残っている
式場となる老家(義母の実家)の客間のテレビには、
日本の地震と津波の様子が常に流れていて、
私は、外婆の死を悲しんだり、地震のその後を心配したり、精神的に忙しかった。
お客さんも、外婆に線香を上げた後、テレビの映像を見て、
あなたの実家は大丈夫?とみんな声をかけてくれた。
うちの実家は九州なので、地震の影響は受けていないが、
今後は無関係ではいられないだろう。
日本がこれからどうなっていくのか心配でたまらなかった。
外婆の葬式は、4天3夜 つまり、4日間徹夜で行われた。
私は子守があるから夜には別宅で寝ていたけど、
老公や家族はまともに寝ていない。
親族一同、24時間体制で外婆のそばについていた。
そして4日目の朝、耳が割れそうな爆竹の音と、親族の行進に見送られて、
外婆はお墓に入った。
人が一人亡くなる事は、凄いことなんだ。大変なことなんだ。
外婆の葬式に参加して痛感した。
テレビでは、毎日死者、行方不明者の人数が加算されて報道されていた。
1000人、2000人、と。
数字を見てもいまいちピンとこないけど、
たとえばどうだろう。
この数字の人の分だけ、犠牲者を思う家族や仲間、恋人が居る
犠牲者一人ひとりが、みんな誰かの大切な人なんだ。
今では犠牲者の人数が、2万8000人にもなった。
もし、外婆の死が無かったら、こんなことは考えなかったと思うけど
この2万8000人の何倍もの彼らの死を苦しんでいる人たちがるんだ。
と思うと、とんでもないことが起きたのだと実感する。
天災は、誰も何も恨めない。
地震も津波も(原発は別問題だと思うけど)防御策には限界があるのは分かる。
遺族は怒りをぶつける的もなく、ただただその大切な人の死を悲しむことしか出来ない
自分自身も被災して、家を失い、避難所で寒さに凍える不便な生活を送っている人も
沢山いるだろう。
もし私がその立場だったら、ちゃんと乗り越えることが出来るだろうか。
自身はない。
だけど、起こったことは現実で、今現在苦しんでいる人は何万人といる。
そう思うと自分も一人の日本人として何かしなければと思った。
中国から出来ること。
日本領事館で義援金を受け付けている。
小さな額だけど、被災した人の心がちょっとでも癒えてくれたらいい。
今はつらいと思うけど、また体力つけて、
勇気を持って試練を乗り越えて欲しい。
そんな思いをこめて、送金の準備に取り掛かる。
外婆の葬式の疲れで、帰宅後私も老公も風邪を引き、
すうがは39度を超える熱を出した。
同じ頃Cちゃんのお父さん(老公の叔父)が倒れたと聞いた。
最初は胆石だと言っていたが、検査した結果、実は心臓に問題があった。
心臓につながる4本の太い血管のうちの一本の、
血管の壁が剥離して、今にも破裂しそうなのだという。
絶対安静で、すぐにでも手術しないと命が危ないと。
そのときはまだ心臓に炎症があったため、
一週間後炎症が消えたらすぐに手術をするということになった。
手術の日が決まった。
ところが、病院側が手術を取り消した。
病院側に理由を聞いてもあやふや。
この病気は難病だ。手術を施術できる医者は、
聞くところによると中国に10人程度しかいないのだという。
病院側を問い詰めたところ、施術できる医者が広西にはいないので、
北京から医者を連れてくるはずだったが
その医者がオーストラリアに出張に行くので広西には来られないとのこと。
もう血管はいつ破裂してもおかしくないような状態だった。
家族で会議して、他の病院に移して他の先生に施術してもらうことも考えた。
だが、病院は、このまま待機するように。
その医者が出張から戻ってきたらすぐに手術するといって
留まらせた。
叔父が倒れて2週間目に入った
今から丁度3日前のこと。
昼ごろICUから普通病棟に移ったとの知らせ
重態の叔父がなぜ普通病棟に移ったのか謎だった。
夕方近くに義母から老公に電話があり、
話す老公の声が震えていたので何かよからぬことが起こったのがわかった。
叔父がまたICUに戻ったとのこと。
2週間近く危険な状態で
手術をしてくれるはずだった北京の医者を待っている間に
叔父の心臓の血管はとうとう破裂した。
そして彼も帰らぬ人となった。
享年48歳
あの叔父が亡くなるなんて、未だに信じられない。
老公はすぐさま義母の実家へ向かった。
あまりにも突然だったため、私とすうがは家で留守番することに。
叔父さんのもう一人の娘(Cちゃんの姉Sちゃん)は大学生で、南寧に住んでいる
老公がその子も一緒にバスで連れて帰った。
老公がバスを待っている間に電話をくれた。
電話の向こう側で、Sちゃんの大きな鳴き声が聞こえていた
お父さんの容態を詳しく聞かされていなかったようだ。
まさか亡くなるなんて思いもしなかっただろう。
いつも明るい彼女の鳴き声が、悲痛に感じた。
Cちゃんはどうしているだろうか。
大丈夫だろうか。
叔父さんの奥さんは?
叔父さんが亡くなった事は本当に残念でしょうがない。
でもそれ以上に残された家族のことばかり頭によぎる。
外婆の死の悲しみの傷も癒えないまま叔父の葬式は執り行われた。
Cちゃんは、あまりのショックに倒れて入院した。
外婆のお葬式の時には、肩を抱いてくれていた大きな手は
もうない。
Sちゃんも泣き続けている。
叔父さんの奥さんもずっと泣きっぱなしだという。
ムードメーカーだった叔父
「俺のケツに何か付いてないか?ちょっと見てくれ!」
といって、甥っ子が顔を近づけると爆音と共にクッサーいおならをかます。
ひょうきんな叔父
みんなに気を使って、優しい言葉をかけてくれる
一緒にゲーセン行ったり、飲んだり、
老公のお兄さんのような存在
そんな粋な叔父はもういない。
老公はまだ義母の実家にいる。
たまに電話口で男を忘れて泣く。
本当に悲しいことが起きた。
被災者の遺族がまた頭をよぎる。
きっと、老公や、叔父の娘のように
泣いているに違いない。
老公が電話口で言った。
これから親戚一同、全員年に一回精密検査すると。
私と老公は話し合った。
今までの食生活、食べたいものを好きなだけ食べて、
時間帯不規則。
酒もタバコも好きなだけ
脂っこいもの大好き
そんな自分達の生活も改善しよう
すうがを悲しませないために
家族を不幸にしないために
せめてすうがが大人になるまで健康に生きていようと
みんな誰かの大切な人
そして私も誰かの大切な人
自分を大切だと思ってくれている人を悲しませない為に
自分の体、生かされている自分の命、大切にしようと思った。
外婆、叔父そして、震災の犠牲者の方々の死を持っておもう。
すべては命あってこそなのだ
東北地方太平洋沖大地震犠牲者の方々に、心からお悔やみ申し上げます。