「久しぶりだね、なのは」
「忙しすぎて手が回らない状況は相変わらずなんだけどね」
「何かネタがあったんかな?」
「冬コミで『遥かなる近代』第4号も出すことだし、ちょっとおもしろいものがあったから、紹介しようかなーってことなの」
「おもろいもん?」
「徴用についての説明なんだけどね、現代の文書資料ですごくわかりやすいから、『遥かなる近代』第4号にも掲載するんだけど、こっちでもやっておこうかな、って」
「現代の文書?」
「うん。財団法人能率増進研究センター編集、総務省人事恩給局監修の『恩給』第二五九号(独立行政法人国立印刷局 2004)っていう雑誌があるんだけどね。その18頁~21頁に掲載されている『軍需会社と援護法~準軍属たる「現員徴用者」の確認方法~』というものなの」
「お役所の文章やね」
「筆者の池田真之氏は、厚生労働省社会・援護局援護課の援護係長だから、まさに現役官僚の文章だね」
「それで、どんなことが分かる史料なの?」
「徴用は実質2種類あったってことと、その違いが分かるものなの」
「あれ?たしかそんな話、移転前のブログでもやったような記憶が…」
「せやなぁ…あ、これや」
写経屋の覚書
戦後の日本在留朝鮮人(2)
「そうそう、そこで「一般徴用」と「現員徴用」の話をしたよね。そのときはただ形態の違いについて触れただけだったけど、今回は法的な根拠や手続について見てみるの」
「前に見た話の裏付けというか補強になるんだね。でもどうして今頃やるの?」
「国会図書館で閲覧請求史料の出庫待ちの間に『恩給』を読んでたらそれを見つけて、『これわかりやすいやん』ってなったからだって」
「そんな雑誌を時間待ちに読んでる時点で嗅覚がおかしいw」
「それじゃ、必要な個所を引用してみていくよ」
一 はじめに
「「○○社」が軍需会社かどうか、教えていただけませんか」
戦傷病者戦没者遺族等援護法(以下「援護法」という)に関する事務を行っていると、各都道府県の援護・恩給担当の方より、このように「軍需会社」に関する照会を受けることがしばしばある。
「軍需会社?」
「とりあえず次を読んでみて」
一般に、援護年金の請求に際し、その請求に係る者が軍需会社に勤務していたとの申立てがあった場合、その会社が軍需会社であったか否かを「(旧)軍需会社名簿」等で確認した後、その者の勤務実態を確認するため、当該会社に対して人事記録等が保管されていないか照会することとなる。その結果、軍需会社での勤務実態が確認され、受傷、罹病の公務性が認められれば、後述の「現員徴用者」(準軍属)として援護法処遇の対象となり得るものである。
「軍需会社に勤務しとったら「現員徴用」になるん?どういうことなん?」
「それを説明するのがこの史料の目的なんだよ」
ところで、国家総動員法(昭和一二年法律第五五号)に基づく「国民徴用令」等により国から徴用された者に対しては、地方長官より「徴用令書」が交付されることになっていたが、「現員徴用者」の場合はこれが交付されていない。また、軍需会社も会社名の変更等で分かりにくくなっていることから、当該案件が援護法第二条第三項の準軍属に該当するかどうか、都道府県の担当者は非常に難しい判断を迫られることもあろう。 このため、今回はこの場をお借りし、普段なかなか目にすることのない軍需会社法等の旧法令(参考文献・工場管理研究所編『軍需会社と徴用法規集』昭和一九年一二月一五日、三和書房)を紐解くことにより、現員徴用者、あるいは軍需会社とは、それぞれどのようなものだったのか、などについて、簡単に見ていくこととしたい。
「1937年の国家総動員法に基づいて1939年に国民徴用令が出されことと、内地ではその国民徴用令によって軍要員や労働者の徴用が1939年から行われていたんだよね」
「朝鮮やと、国民徴用令による徴用は軍要員だけやったけど、1944年2月になって労働者の現員徴用を実施、8月から労働者にも国民徴用令による徴用が適用されたいう話やったよね」
「うん。前回見た史料の記述を再掲するよ。画像は前回記事で見ておいて」
(一)現員徴用
重要工場鉱山の一般徴用実施の前提措置たらしむる目的と併せて労務移動防止を期する為本年二月以降鮮内重要工場事業場の現員徴用を実施したるが(後略)
(二)一般徴用
一般徴用は従来に於ては軍要員のみに付発動し来り、其の数十月末現在に於て三一、七八三名に達したるが民間要員に付ては本年八月鮮内鉱山二ヶ所に対し一、二〇〇名の徴用を実施したるを初めとし十月末現在に於ては一〇工場二、五二〇人、一五鉱山七、六〇〇人に達し尚今後順次他の鮮内工場鉱山に対しても徴用を実施する方針なり而して近時内地労務需要急を告ぐるに至りたるを以て内地送出労務者に付ても可及的徴用に依ることに内地側と協議調ひ其の第一として九月以降海軍艦政本部所管海軍管理造船工場二十一箇所の所要員数三九、五〇〇名の徴用を行ひたるを初めとし工場石炭山、金属業等の要員に付ては原則として徴用に依る方針の下に取進め居れり
問答式 第八六回(昭和十九年十二月)帝国議会説明資料 鉱工局、逓信局、交通局
*『朝鮮総督府 帝国議会説明資料』(不二出版 1994)第10巻所収
四.国民徴用令による動員
日本において国民徴用令が発動されたのは、昭和十四年であり、朝鮮でも仝年
戦争の最終段階にいたるとともに、日本における朝鮮人労務者の需要はますますつよくなった。昭和十八年末までにはすでに四十万を越える人員が動員されていたが、仝十九年度にはさらに二十九万名が要望され、さらに十万名の追加要求があつた。このほか朝鮮内の労務動員計画をふくめると、合計百二十四万の労務者を必要としており、以上の要求を満たすためには従来のような「斡旋」などのなまぬるい方法では円満な遂行はとうてい不可能であつた。
そこで総督府は昭和十九年二月に、朝鮮内重要工場事業場の現員徴用をおこない、また従来軍用員のみにおこなつていた一般徴用を、八月以後鮮内鉱山工場に実施し始めたが、仝九月以降は日本おくり出しの労務者も土建関係をのぞき一般徴用によることとなつた。そして第一回として、海軍艦政本部所管海軍管理造船工場二十一ヶ所に三九、五〇〇名の動員がおこなわれたのをはじめ、各工場、炭坑、金属などに陸続として送りこまれた。ただし総督府としては労務管理の悪いところへは、徴用令によることをさける方針をとつた。
(中略)
戦局の不利は日本の都市の爆撃の激化となり、在日朝鮮人で空襲のない朝鮮へ疎開するものも多くなつたが、二十年三月には関釜連絡船も就航できなくなり、国民徴用令による日本への労務動員も、その以降はまつたく不可能な段階になつていた。
坪江汕二『在日本朝鮮人の概況』(厳南堂 1965)p18~19
「ここでは『一般徴用』に対立する用語概念として『現員徴用』を使っているけど、前回はその中身まで踏み込んで見なかったんだよね…」
「勉強不足やったん?」
「そうだねぇ。読み返してみると、一般徴用に対立する概念と分かればいいし、そう深く見なくてもいいか、っていうのが伝わってくるようで…現員徴用を『工場等勤務者の朝鮮内工場等への徴用』って説明しているのもダメだよね」
「でも、今回こうやって分かりやすく説明できる史料に巡り合えて、勉強し直して訂正する機会ができたから良かったよね」
「それはそうだけどね。今回はここまでにして、次回は現員徴用の定義について見るよ」