「今回は金九の供述書だったね」
「たしか、土田殺害については否認しとるやつやな」
「うん。東学党を率いての略奪だけは認めている分だよ。さっそく画像をあげるね」
「例によって適宜に区切りながら見ていくね」
建陽元年六月廿七日海州白雲面居金昌洙年二十一供案
供矣身이去癸巳年에入於東徒
야八峯接主라称
고徒党千余名ㄹ嘯聚
야到処行掠이은데
「えーっと、甲午農民戦争って言われてる東学党の乱が1894年だから、癸巳は…」
「干支やな。『ねーうしとらうーたつみ、うまひつじさる、とり、いぬいー』で、『み・うま』やから癸巳は甲午の前年、1893年やね」
「作者、十二支もそうだけど、十干のほうも『こうおつへいていぼき、こうしんじんき』『もっかどごんすい』って歌わないと未だに確信が持てないんだよねw」
「その1893年に東学党に入って『八峯接主』の称号をもらったって言ってるんだね…ってほんとなの?」
「自分の発言だからねぇ…自称していたのは事実なんだろうけど、ほんとうに東学党に入って偉い人から授けられたかどうかまでは確認しようがないよね」
「当たり前やけど、東学党はちゃんとした史料残してへんもんなぁ。で、1,000人を集めて略奪しまくっとったと」
甲午十二月에文化東山坪에日人의積置
大米一百五十石을奪取
야四十石은都中에日用
옵고其余一百十石은文化接主李東燁에게還為見奪
옵고
「甲午、つまり1894年の12月に、文化東山坪で日本人が蓄積していた米150石を奪って、40石は自分たちで消費したんだね」
「残りの110石は李東燁に…奪われた? え?え?李東燁って文化接主名乗っとるから東学党の仲間なん
「そのはずだよねぇ。東学党の中でも内部抗争があったと見るか、金九と李東燁のどちらかが東学党を名乗る匪賊だったか、そもそも両方とも東学党を名乗る匪賊で匪賊同士の抗争だったか、ってあたりになると思うんだけどね」
「…どれをとるにしてもかなりダメダメな気がするよ」
「にゃはは…東学党討伐に従事した陸軍歩兵少尉鈴木彰の談話をまとめた『黄海道東学党征討略記』によると、黄海道の東学党の内訳はこんな感じなの」
黄海道に蜂起せし東徒には種々の種類あり今小官の目撃せし所と考ふる所を述べん
黄海道の東学党は左の三種に区分するを得へし即ち
「第一種 真正東学党
第二種 一時的東学党
第三種 偽東学党
第一種の東学党は東学なる一派の宗教を信奉する徒にして其経文を誦し其教を信するときは百病之に依て癒へ財貨之に依て集り百災之に依て去り命寿之に依て延びんと信する輩にして即ち真正の東学党なり
第二種の東学党は東学の教旨を信するものに非さるも脅迫其他の為め其生命財産の安全を保護するため一時之に与みしたる者なり
第三種に属する匪徒即ち偽東学党は其類頗る多し今其重なる者を挙くれは支那人を除くの外総ての外国人を嫌悪する輩、強竊盗其他の犯罪者、無職業にして生計に窮する輩、地方官を怨む輩、当五銭の一文となりしため損失を招き憤怒する輩、砂金採集鉱夫等なりとす而して其大半は悉く砂金採集鉱夫なりとす是れ小官か信川長渕松禾等にて実査したる所なり(中略)然るに一朝其採集を禁せられたる為め糊口に窮し遂に徒党を結び自ら東学党と称し居りしなり(後略)」
(中略)
「黄海道に蜂起せし東学党の起因は先つ斯の如きものならんと思考す所謂東学の教旨を信する者即ち真正の東学党に至りては僅々数ふるに足らす其他は悉く不平党と窮民のみならんと信す」
「あくまでも鈴木の体験による所感だから鵜呑みにはできないとは思うけど、所謂匪賊と流賊に相当するもののほうが多かったんだね」
「朝鮮史ではようある話やんなぁ。義兵とか光復軍とかw」
海州検丹坊道洛只朴泓錫에積置
正租二百石을奪取
야与松禾接主方元仲으로分食
옵고
「海州の朴泓錫のところにあった租税200石を奪って方元仲と分けたんだね。この方元仲も松禾接主と名乗ってるから東学党ってことになるのかな」
「まぁ、金九や李東燁のように、実際にはどうだったのかは分からないけどね」
石潭李参判家에셔銭二百五十両을討索
事가有
옵고
「えーっと、李参判の家から金銭250両を討索?討索ってどんな行為なのかな?」
「韓国語辞典と漢字辞典によると『金品を無理やり要求する。無心すること』なの。つまり李という参判の家から無理やり250両をゆすったの」
「ほんま、ただの匪賊か盗賊やんwww」
曽於断髪時特各処義兵이起
境遇에矣身이義兵左旗総이도여与全羅道金亨振으로海州検丹坊青龍寺에留
다가
「以前断髪令が出たとき各地で義兵が蜂起したとき、金九は義兵左旗総として全羅道の金亨振と海州検丹坊の青龍寺に滞留したって言うんだね」
「断髪令っていつやったっけ?」
「えーと、1895年の12月だね。甲午改革の一環として発されたんだけど、閔妃殺害事件とかその断髪令への反感のために義兵が蜂起したってよく言われるんだよね」
陰暦十二月에偕往安岳地
야該郡大徳坊居![]()
左統領崔昌祚로相与逗留이다가還来
옵고
「ほんで、そのあと陰暦12月にみんなで安岳に行って崔昌祚と合流したいうんやな」
「陰暦12月は1896年の1月か2月になるんだよ」
「…どこに行くにしても部下はどうしたんだろう?結局、蜂起したのはいいけど尻すぼみになったか、他勢力に攻撃されて四散敗走したかってところじゃないかなぁ?」
鴟河浦事와長淵白楽喜等事에至
야는果是全然不知
오니相考処之
여즛옵노셔
「鴟河浦のことも、白楽喜のことも全然知らないって言ってるんだね」
「白楽喜って報告書の最初にも出とったけど『不軌』なんて書かれとったんやから、なんかの犯罪行為をやったことが明白な人間っちゅうことなんやろね」
「そうだろうね。ま、そういうわけで、逮捕直後のこの6月27日の時点では土田殺害については否認してるってことだよ。現場にいた李化甫への事情聴取と面通しができるまではこれ以上手の打ちようもないだろうしね」
「犯行現場には他の宿泊者や村民の目撃者もおったやろし、それらを捜して事情聴取したらええん
「それもそうなんだけど、李化甫は800両を預けられたということで共犯の疑いがあるわけだし、少なくとも重要参考人として事情聴取は絶対に必要だよね」
「そっか。よく考えたら、共犯を疑われておかしくない立場なんだよね」
「じゃ、今回はこれでおしまい。鴟河浦事件についての史料はまた今度見るね」
「え?次回も見るんと
「そのつもりだったんだけど、ちょっと急ぎの案件が飛び込んできたから、そっちを見ていくんだ」
鴟河浦事件に関する報告(1)
鴟河浦事件に関する報告(2)
鴟河浦事件に関する報告(3)






