「今回はやっと教育熱勃興の動機について触れるよ」
乙 教育熱勃興の動機
日露戦役後明治三十八年第一次日韓協約以来国運の変転に遭遇したる韓人は其頭脳に強き印象を刻して教育に依るにあらされば国権の恢復を望むへからすとなし殊に明治四十年の第二次日韓協約の締結軍隊解散後に於ては教育の必要を感するの念著しく激発鬱勃し解隊の将士各地に散して或は暴徒草賊の羣に投し或は職を学校教師に求めて教育熱の激増を誘発し其風滔々として国内に瀰漫し遂に今日の如き多数私立学校の設立を見るに至りたり尚学校濫設の動機の詳細は別に配付したる「韓国教育と警察行政」なる冊子に依り知悉せられたし諸君は以上の談話に依り私立学校か穏健ならさる謬見の下に簇生し危険なる思想に依りて教育せらるゝの一端を知了すると同時に学校監督の等閑に附すへからさるを感得せられたるなるへし然り而して茲に注意すへきは私立学校の多数は前述の動機径路を依りて設立せられたるも是を以て其全部を断し得さること是なり即ち私立学校中には善良なる意味に於て教育の普及発達を図らんとするものなきにあらず日本今日の富強は教育の力に依るもの多しとは日本人自ら之を唱へ外国人亦洽く之を認むる所又韓国人にして日本に遊ぶや日本人好意を以て之を迎へ諸般の制度施設を観覧せしむると同時に学校の如きも叮嚀懇切に誘引し 御真影を奉安せる尊厳なる装置を拝せしめ或は兵式調練、撃剣、柔道等の練武的をも好んて縦覧せしむ斯の如くして日本文運の進歩発達を目睹せる韓国人は一人として日本か其教育の旺盛にして且つ活気あるを口にせさるなし
如上日韓の来往年を逐ふて益頻繁を加ふるに従ひ韓国人か日本の文物に接触し或は世界の趨勢を知り文明の風潮を齎し専念国運の発展を企図するに当り教育渇仰の感想一層深く且つ滋きを加ふるは必然の結果にして韓国の教育行政たる決して易々たる業にあらす或は説をなすものあり韓人教ふへからずと然れとも世界の交通四囲の情況今日の如くなるの時に於て果たして能く韓国人の耳目を蔽ひ此民をして永く文明の風潮に遠からしめ得るや■否や是■■か前来叙述したる所にして有識の士恐らくはかゝる謬見を懐くものなかるへし
「明治38(1905・光武9)年の第一次日韓協約以降に、「国を強くするには教育ニダ!」って教育熱が盛んになって、明治40(1907・光武11)年の第二次日韓協約による軍隊解散がさらにその風潮を助長したってことだね」
「軍隊解散で職を失くした兵隊さんって、義兵になって暴動を起こすだけじゃなくて、私立学校の教師にも転職してたんだね」
「たとえて言うたら、学生運動やっとった連中が予備校教師になるようなもんやな」
「…な、なんだか微妙なたとえかも…ともかく、そういった人が教師などになって私立学校に関わっていったことが、以前に触れたように一部の私立学校で軍隊式の体操とかに熱中してた原因の一つになってるかもしれないね」
「あ、隈本繁吉の報告書で出てた私立安興学校みたいなものだね」
甲、私立安興学校
本校は郷校の遺趾を占め私立善遵学校と合併したる為めにや一昨夏視察せし所に比すれば校地の拡張、校舎の改修増築等設備頗る整へり、経費は郷校田■[水田]及既存寄附金より生する年収千円余を以て之に充て修業年限は予備科一学年本科三学年合せて四学年学徒約百四十名あり、儒生及自称両班の設立に係り自ら上流子弟を収容するの傾向あると共に形式上高等教育程度を以て■し居れり
本校が排日的行動に富むは屡々耳にせし所、特に校監鄭安奭は元軍人にして日語を解し居常軍隊的操練に力め事務員金允沁は熱心なる基督教信者にして安州市場税騒擾事件の首謀者と看做され学校に爆裂弾を蔵せし嫌疑を蒙り目下逃亡中なり、安州警察署長の言に依るに本校には参考書として不良図書を蔵すること頗る多く幼年読本・東国史略各二十一部は既に没収したり、尚附近にも价川郡にも私立鳳鳴学校、私立明立学校等頗る不穏なる学校あり、現に鳳鳴学校には安重根の日記、伊藤公暗殺事由七箇条及新協約の期日等を室内に掲け説話の資に附せりと云ふ、要するに安州附近は寧辺地方と共に人気険悪にして排日の風に富み互に気脈を通して不穏の現象を呈するものゝ如く特に安興学校は寧辺なる維新学校と共に此等の不良なる風潮を代表するの観あり、
「『元軍人』『軍隊的操練』『基督教信者』『市場税騒擾事件』と興味深いキーワードがそろっているんだけど、それはまた触れていくとして、一種の教育ブームで私立学校が激増したけど、教科内容や教師のようなソフト面に問題があるってことが再確認できたかな」
「校舎設備とかのハード面でも問題があったって、余裕で想像できるんやけどね」
「ま、まぁ、そのへんについては後で出てくるかもしれないね…今回は少し早いけどきりがいいからここまでにするね」
俵学部次官演説要領(明治43年7月)(1)
俵学部次官演説要領(明治43年7月)(2)



